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第八章「恐怖」

「嫌、離してよ!」

 夜の気配が近付いてきた森の中に、小さな溜息と大きな声が響く。言うまでもなく、シグルドとラケシスだった。

 魔術を封じられたラケシスだったが、今だにソラスの元に帰るのを嫌がっていた。泣いていたラケシスを見て「可哀想だが、これで大人しく帰る気になるだろう」と思ったシグルドだったが、それでも頑なに嫌だと言い張る彼女を見て面食らった。

 今はこうしてラケシスの手を引いて、無理矢理にドルチェが去った方向、ソラスの元へと向かっているのだが、暴れるは大声は出すわでシグルドは胃が痛くなる思いだった。

「魔術の力が戻らなければ、お前も困るだろう」

 シグルドは優しく諭す様に、泣き喚くラケシスに言った。それは魔術を封じられた本人が良く分かっている事なのだろうが、やはり帰りたくないの一点張りである。なかなか頑固な娘だ。

「ラケシスを作ったソラスも、どうせならもう少し手のかからない性格に作れば良かったものを」

 心の中でそんな事を思っていると、ラケシスから手を噛み疲れた。小さな痛みが走ったが、我慢した。

「痛いわよ、離してよ! 逃げたりなんかしないから!」

 噛みついても無視されたラケシスが、顔を真っ赤にしながら、手をぶんぶん振りながら言った。知らずのうちに力が入ってしまっていたらしい。ぱっと手を離すと、掴んでいた彼女の手首が赤くなっていた。

「すまない」

 素直に謝るシグルドだったが、次の瞬間平手が飛んできた。小気味良い音が響いた。

「馬鹿っ!」

 それだけ言って、ラケシスはついっとそっぽを向いてしまった。相当ご立腹の様子である。ドルチェの仕業でも有るとはいえ、こうして半ば強引にソラスの場所に送り届けようとしているのだから、彼女の怒りも当然だろう。

 しかし、やはりシグルドとしては、ラケシスに親元に帰って欲しいと思う。たとえ無理矢理でも、騎士として、王族として、このアグリア王国に住む者を危険な目に遭わせたくはない。ソラスに人形に戻されるのも、また昨晩の暴漢などに襲われるのも、彼女にとって不幸な事にしかならないのだから。

 言葉を交わす事もなく歩く二人に、いつしか暗い夜の影が落ちてきていた。

 

 夜が来る前に小屋を発見できたのは、まさに幸運と言えた。

 以前この辺りに住んでいた者が作った小屋なのだろうか、埃まみれの汚いあばら家だったが、野宿するよりは幾分ましである。扉はかろうじて蝶番(ちょうつがい)でつながっている程度で風は吹きさらしだし、床には風が運んできたのであろう枯葉や小枝が散らばっていた。

 入ってすぐの部屋は、先の状態に加えて床板がめくれ上がっていたりと、とても使える状態ではなかったが、奥の部屋はそれほど破損もなく、暖炉まであった。

 非常食のような物は置いてあるだろうかと期待してシグルドは辺りを見たが、それらしき物は無かった。思えば昨晩、ラケシスを助けた時から丸一日、何も食べていない。空腹のため、腹がきゅうと小さく鳴いた。

「とりあえず火をおこすか」

 辺りに散らばっている小枝をかき集め、暖炉に放り込むと、その横にあった火打石を使って火を点けた。昨日と違って毛布も無い為、自分はともかくラケシスには堪えるだろうと思っての配慮である。

「私が魔術を使えたら、暖炉に火を点けるくらい、簡単な事なのに」

 暖炉の火を見つめながら、ラケシスが力無く呟いた。彼女のショックを知れないシグルドは、どう声をかけて良いものか分からず、そっと彼女の頭を撫でてやった。

「魔術の力が無いだけで、こんなに不安になるなんて、今まで考えた事もなかった」

 そう言って、ラケシスはうつむいてしまった。小さく肩が震え、嗚咽が部屋に響く。

「流石にこのままでは居られまい。姉の言うとおり、一度ソラスの元に帰った方が良いだろう」

「でも、嫌なのよ……またずっと、樹の洞の中で生活しなきゃいけなくなる。もう二度と、外の世界なんて見れなくなるに決まってる。夜空の星も、綺麗な花も、青い空も、もう見れなくなっちゃう」

 王子とは言え窮屈な生活を強いられていないシグルドは、彼女の欲しているものを当たり前の様に持っている。それを思うと、何だか心が痛くなった。

 しばらくラケシスに寄り添っていたシグルドだったが、「今はそっとしておいてやろう」と思い、立ち上がった。

「少し辺りを見てくる。食料を探してくる」

 そのままシグルドは、嗚咽を漏らすラケシスを見ないように小屋を出た。

 

 夜の森を歩きながら、シグルドは途方に暮れていた。

 ミレーネの呪いを解く方法を探すために森に入り、ようやく手掛かりを掴んだかと思いきや、それが子供のように手のかかる人形だった。更にその人形は、今やただの「大きな子供」と化している。

 それに、泣いているラケシスに対し、どう接して良いものかも分からない。父や兄が見れば「情けない」と一笑されそうだが、騎士団の男連中とばかり付き合ってきたシグルドには、女性の扱いがまるで分からなかった。

 全く、父上に嵌められて、とんだ災難を被ったものだ。そう思ってシグルドは自嘲気味に笑った。

 しかし、泣いているラケシスを見ていると、どうにも目を離せない。どうしても、構ってやりたくなる。

「そろそろ落ち着いただろうか」

 食べれる植物を見つけて袋に詰めていたシグルドは、採取を切り上げて小屋へと戻ろうとした。

 ふとその時、甲高い悲鳴が夜の静寂を切り裂いた。小屋のある方向からだった。

「ラケシスの身に、何か有ったのか!」

 すぐさまシグルドは駆け出した。

 ドルチェはソラスの元で待っていると言った。しかし「冥土の入り口」まで足を踏み入れる人間はそうそう居ないだろう。では一体何が、と考え、不安に駆られた。

 

「大丈夫か!」

 外れかけの扉を乱暴に放り投げ、シグルドは小屋に入った。瞬間、驚いて目を丸くした。

「助けて!」

 ラケシスが、何やら白く細い手の様なものに、宙吊りにされているではないか。床や天井、壁から無数に伸びるそれは、彼女の体にぐるぐると巻き付いて離れようとしない。暖炉の火は消えかけていたが、その姿は暗い中でもはっきりと見る事ができた。

「以前ここに住んでいた者の慣れの果てか」

 幽霊やら妖やらの類は、シグルドにとっては専門外の相手である。しかしラケシスが魔術を使えない以上、シグルドの力で何とかするしかない。腰の剣を抜き、構えた。

 ――人形だ。

 ――女の人形だ。

 ――体をよこせ。

「聴くな、ラケシス!」

 少女にまとわり付く紙の様に薄っぺらな手を斬りながら、シグルドは叫んだ。こういったものは、恐れや同情など、心に付け入る隙を見せれば、より簡単に体の中に滑りこんでくる。しかし平常心を保てと言うのは、今のラケシスには酷な事ではあった。

 幾ら斬っても、次から次にわらわらと沸いて出る白い手に、シグルドは舌打ちした。ラケシスは泣きながらシグルドを見ている。

 ぎりっと奥歯を噛み、シグルドは賭けに出た。暖炉の中に残っていた、まだ火が消えきっていない木片を掻き出して、それを床の上にぶち撒けたのだ。

 たちまち火は床に燃え移り、大きな炎となって壁や天井を舐めた。途端に、辺りから苦しげな声が上がる。

 ――ぐあアァぁ!

 ――熱い、あつい、アツイ!

 ――嫌だ、いやだ、イヤダ!

 炎に合わせるようにゆらゆらと(うごめ)く白い手が、ラケシスの束縛を解いた。床に落ちそうになったところでシグルドは彼女を受け止めると、勢いを付けて炎の壁に体当たりした。元々脆くなっていたせいか、あっさりと壁は破れ、シグルドたちは勢いよく地面に転がった。

「今のうちに、少し離れよう。動けるか?」

「駄目、動けない」

「大丈夫だ」

 恐怖で腰が抜けたのか、立ち上がれずに弱々しく言うラケシスを、シグルドは抱え上げた。炎上する小屋からは、まだ怨霊の声が微かに聞こえてきていたが、気に止めないようにしながらシグルドは走り出した。

 

 小屋から離れたところで、シグルドは「ふう」と一息ついてラケシスを降ろした。折角小屋を発見したと言うのに、結局野宿である。

「あいつら、一体何だったの?」

 訊いてくるラケシスの歯がガチガチと鳴っていた。恐怖と涙で、顔がくしゃくしゃになっている。

「恐らくは、元あの小屋に住んでいた者の死後の姿だろう」

 一体どのような未練があってあの場所に留まっているかは、流石に予想がつかなかった。しかし、シグルドたちが最初で最後の来訪者であれば良いのだが。

 そんな事を考えていると、突然ラケシスがシグルドに飛びつき、顔を埋めてきた。一瞬固まりそうになったシグルドだったが、何とか耐え忍んだ。

「帰る! ソラスの所に帰る! もう怖いのは沢山だわ!」

 泣きながら顔をぐしぐしと擦りつけてくるラケシスを見て、シグルドは優しく笑いかけた。魔術が無ければ彼女は、普通の人間の少女と、何ら変わりはなかった。

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