第三章「迅雷」
ミレーネの姿を見た翌日の早朝、シグルドは西に向かって馬を走らせていた。
ファーニャの占いにより、ミレーネの呪いを解く方法は西の森に有ると言われたからだ。
占いと言っても、単なる「当てずっぽう」のものとは違う。アグリア王家きっての魔力を持つ彼女の占いは、百発百中と言っても過言ではないくらいの的中率を誇るのだ。占いと言うよりも予知に近いが、具体的な方法が分かるわけではない為、ファーニャ本人が「占い」と言っているだけである。
アグリアの王都を出てから馬車で二日ほど行った場所には、広大な大森林が広がっている。
高級な薬草などが多く採取される場所だが、奥深くは磁石も利かず、一度入ると二度と出られない死の樹海となっている場所だ。人々はそれを「冥土の入り口」と呼んでいた。
「ファーニャの言っていたものが、冥土の入り口に無ければ良いのだが」
流石の「迅雷」も、そこに迷い込んでは生きて帰れる自信は無い。しかしミレーネを治す方法が何であるか分からない以上、覚悟は決めておいたほうが良いかも知れないと思った。
「薬草の類であれば楽なのだが、どうも胸騒ぎがしてならないな」
そう思い、いやいや、と大きく頭を振った。ミレーネを救うと決めたのだ、今からそんな事を考えていてはいけないと気を持ち直す。
途中、馬を休ませるために小休止を挟んだが、太陽が西の空に落ち始めた頃、シグルドは大森林へと入った。よく訓練された彼の愛馬は、乗り手であるシグルドに似て頑健に育てられている。二日はかかるはずの距離も、一日もかからずに難なく走りきった。
沢山の木々に日の光を遮られ、森の中はひんやりとしていた。もう日は沈みかけているが、ここは既に夜の暗闇に包まれている。
流石の愛馬も、森の中では歩みが遅くなる。深い闇の中を進ませるわけにもいかず、シグルドは馬を止めて地面に降りた。
「今日はここで野宿するとしよう」
騎士団の訓練で、野宿には慣れている。地面に腰を下ろし、手際良く火を起こした。
しかし、突然の結婚話に驚き、その相手が呪いをかけられていると知らされ、そして今、こうして呪いを解く方法を探しているとは、我ながら数奇な運命に見舞われたものだと思う。王子様がお姫様の呪いを解いて結婚、というと、御伽噺に似たような話は幾つも有るが、まさかその王子役をやる事になろうとは。
元凶である父レイディルに対する怒りは未だ冷めきらない。恐らく父は、こうなる事を予想して事を運んだのだろう。巧く嵌められたとは思うが、逆らえずに行動する自分の姿も妙に滑稽だと思った。
「全く、俺もお人好しだな」
シグルドはぼんやりとそんな事を考えていたが、ふと何かに弾かれる様に傍らに置いた剣を取り、辺りを見回した。辺りは静まり返っているが、彼の耳には確かに聴こえたのだ。
火にくべた小枝がパチンと弾けた。その瞬間、「あっちか」と呟いたシグルドは、地を蹴って走り出した。
「嫌、嫌! 何なのよ、離してよ!」
暗い森の奥で、少女が数人の男達に取り囲まれていた。
「こんな時間に森をうろつくもんじゃ無いぜ、お譲ちゃん」
「今時分、誰も助けになんか来やしねえよ。おとなしくしてな!」
見た目十五、六ほどだろうか、暗闇でもよく分かる金髪に翡翠色の瞳を持つ美しい少女は、突如現れた暴漢達をキッと睨み付けていた。普通なら顔が恐怖に歪む所であろうが、気丈な性格であることが伺える。
「いい加減にしなさいよ!」
羽交い絞めにされながらも反抗する少女に、暴漢の一人が「うるせえ!」と汚く吐き出しながら右手を振り上げた。少女は尚も、殴りかかるその男を睨み付けている。
しかし、男の拳は少女に届かなかった。届く前に斬って落とされたのである。ずっと目を閉じず、果敢に男と対峙していた少女にも、一閃の光が走った様にしか見えない斬撃だった。
遅れて、男の絶叫が森の中に響いた。
「何だ、てめえ!」
「その娘を離してもらおう。さもなくば、全員この場で斬って捨てる」
闇に溶ける漆黒の髪と瞳は、シグルドのものだった。少女の悲鳴が聴こえた為、即座に駆けつけたのだ。全力疾走でここまで向かったのに息一つ乱していないのは、彼の頑健さと厳しい訓練の賜物である。
「格好つけてんじゃねえ! 邪魔するんなら命は無えぞ!」
「ふん、悪党の見本の様な事を言う奴だな。もう少し気の利いた事は言えないのか」
まるで本の世界に出てくる典型的な悪役の様な台詞に、シグルドは苦笑しそうになった。次の言葉は「やっちまえ」とでも来るか、と思っていたら、
「やっちまえ!」
予想通りの反応に、思わず吹き出しそうになりつつも、ぐっと堪えて剣を構える。
「この俺に挑むとは、命が惜しくないようだな」
これは驕りでも何でもない。「迅雷」の異名は伊達ではない。
襲い来る男達の動きは、大きく暴力的だった。これは確かに自分を強く見せ、相手を威嚇するには効果を発揮するが、それは素人に対してのみである。
シグルドが闘刃を横一閃にするや、一人目の首を瞬時に跳ね上げた。更に返す刀で続く二人目の胴を断つ。背後から忍び寄っていた男の気配を察知し、振り下ろされた鉈を振り向きざまの剣閃で弾き返し、がら空きになった胴を逆袈裟に斬り上げた。
次々に襲いかかる暴漢を一閃の元に葬り、残るは少女を羽交い絞めにしている男だけになった。
「全く、これでは訓練での模擬戦のほうが、まだ緊張感が有る」
返り血一つ浴びずに立っているシグルドの姿を見て、男が声にならない悲鳴を上げた。
「貴様で最後だな」
「ひいっ!」
剣先を突きつけられた男は少女を突き飛ばして離し、腰に下げたラッパの様なものを取ってシグルドに向けた。この辺りではあまり見ない、銃と呼ばれる武器である。近年、剣や槍の代わりに普及しつつある機工武器で、鉛の弾を高速で打ち出すものだ。その殺傷能力は、従来の武器を大きく上回る。
その銃口を突きつけられれば大半の者は戦意を喪失するだろう。が、シグルドはこれに向かって駆け出した。
まさか銃に向かってくるとは思ってもみなかったのか、男は驚き恐怖で歯をガチガチと鳴らしたが、迫り来るシグルドに向かって引き金を引いた。
鉄板を金槌で思い切り打ち叩いたような轟音と共に凶弾が発射されたが、シグルドはこれを走りながら両断した。この素早い剣閃こそが、シグルドが「迅雷」と呼ばれる理由にある。
次の弾丸を打ち出す前に喉を斬られ、最後の一人がゆっくりと地面に倒れ伏した。




