第一章「王命」
「父上、突然何ですか、それは!? 俺は何も聴いていませんよ!?」
広い王宮内に、突如怒声が響いた。その大声は、王室から聞こえてきたものだった。
「突然大声を出すな、シグルド」
王座に座っている黒髪の男、ここアグリア王国の王であるレイディル・フォイム・アグリアは、顔をしかめながら片耳を抑えた。
「私としては、お前の事を思っての事だったのだが、不満だったのかね?」
「不満も何も、当人である俺に黙って、何故そのような重大な事を取り決めるのですか!」
対する第二王子シグルドは、尚も引き下がらずに抗議した。
事の発端は、ほんの数分前。
シグルドはレイディルに呼ばれ、王室へと通された。
「おめでとう、シグルド。今日はお前に重大な発表が有る」
入るなり「おめでとう」と言われ、呆然とするシグルドに、レイディルは口元に笑みを浮かべながら続けた。
「お前の結婚相手が決まった」
王子でありながらアグリア王国の第一騎士団の団長を務め、「迅雷」の異名を持つ剣豪であるシグルドは、当年取って二四になるが、未だ結婚せずに独身のままで居た。
本人に結婚願望などは無く、またその様な話が出る機会も無かったが、唐突に結婚の話を持ち出され、冷静さを失って抗議したのである。
「まぁ聞け」
なだめる様に右手を上げ、全てを見透かすような黒の双眸でシグルドを見るレイディル。その威圧感に、シグルドは押し黙った。
「結婚相手の名は、ミレーネ・レフィア。年齢は今年で十八になる。ミドナ国の貴族の令嬢だ。つい先ほど、王宮に到着された」
「レフィア、と言いますと、あのレフィア家の?」
シグルドの問いに、レイディルは軽く頷いた。
ミドナ国は、アグリアの東に位置する。大量の鉱物資源を有し、近年各国で伸びつつある機工技術の最先端を行く経済大国である。
レフィア家と言えばアグリアでも有名で、精練された機工技術により作られた武器や兵器の輸出を主とし、更に多大な金鉱山の所有など、莫大な資産を持っていると聞いている。
「……要するに、政略結婚という訳ですか」
「まぁ、早い話がそうなるな。しかしながら、お前も今年で二十四になる。早い所身を固めてくれれば、父としても一安心だ」
「父上、勝手な事を言わないで下さい!」
尚も食い下がるシグルド。政略結婚など御免である。
異性に関して全く興味が無いシグルドも、結婚するのであれば意中の女性が良いに決まっている。現に兄、第一王子ドノヴァンは、親の猛反対を押し切って、王都に住んでいた平民の娘を嫁に貰っているのだ。それを突然「政略結婚しろ」と言われて、承諾できる訳がない。
しかしレイディルはシグルドの叫びに対し、ふうと小さく溜息をついただけだった。
「勝手な事を言っているのはシグルド、お前のほうだ」
俺のどこが勝手だと言うのですか、と反論しようとしたが、レイディルの鷹の様な鋭い目に気圧されて言葉を詰まらせた。
「お前の婚姻によって、我がアグリア王国は莫大な利益を得るのだ。具体的に言えば、ミレーネ嬢の持参金だけで、国庫はこれから先四、五年は安泰する。更に、我が国には無い最先端の技術、多くの金鉱山、そして広大な土地の譲渡を約束されているのだよ」
アグリア王国は確かに小さな国ではあるが、国庫の四、五年分の持参金と言えば王族並みかそれ以上である。シグルドも流石に驚きを隠せなかった。
「この婚姻は我が国、そして国民にとって大きな利益となる。どうかね、シグルド。これを王命とするには相応しくない事だと思うかね?」
シグルドはたじろいだ。流石に「王命」を持ち出されては、沈黙するしかない。――しかし、納得できるかどうかは別である。
「無礼を承知でお訊きしますが」
しばらくの沈黙の後、搾り出すように切り出した。
「何だ?」
「その持参金に頼らねばならないほど、我が国は貧窮しているのですか?」
アグリアは他国と比べて機工技術も発展しておらず、大規模な鉱山なども無いが、独特の文化を持つ「富める小国」と言われている。
しかし、それは表向きだけであって、実際は違っているのだろうか? もしそうなのであれば、政略結婚の話が持ち出されるのも仕方の無い事だろう。
ただ、この問いに父が頷くとは思えなかった。そして思った通り、レイディルは問いに対して目を伏せ、うつむいてしまった。もし頷いてしまえば、それほど国庫が貧窮するまでに政策が取れていない事、言わば国王として無能である事を自ら肯定する事になるからだ。
だが、シグルドはそんな父の様子を見、自分が今置かれている状況を理解した。
納得はいかないが、仕方が無い。
「父上、ミレーネ殿は何処に?」
重い沈黙を破るように、シグルドは切り出した。
「今は専用の部屋を仕立て、そちらで休んでおる。侍女に案内させよう」
言って、レイディルは二回ほど手を叩いた。王室に入ってくる者は無かったが、扉の外に一つ気配が増えたのをシグルドは感じ取った。前もって命令を下していたのだろう、手早いことだ。
「分かりました」
小さく礼をして、シグルドはくるりと踵をかえした。
扉を開けようとした時、背後から「すまないな」と小さく聞こえたが、振り向かずに「いえ」とだけ短く答え、王室を後にした。
いつも冷静沈着で自信に溢れている父の、申し訳なさそうな、情けない顔を想像すると、振り向くことが出来なかったのである。