第十三章「対話」
ミレーネの呪いをシグルドが断ち切った翌日の午後、王室には七つの姿が有った。これだけの人数が王室に揃うのは、久々の事だった。
国王レイディルを前に、ドノヴァン、シグルド、ファーニャの兄妹と、大魔術師ソラス・ナクル。そしてその娘ドルチェとラケシスが並んでいた。
「シグルド、この度の働き、大儀であった。そして、大魔術師ソラス・ナクル殿、ご助力心から感謝致します」
国王であるレイディルがソラスに向かって頭を垂れ、ソラスは慌てたように首を振った。三本の尻尾が狼狽する様に蠢いている。
「私はシグルド殿に感謝しております。なにしろ、娘を救ってくれた恩人なのですから」
どうか面を上げてください、とソラスが言った所で、レイディルは顔を上げた。一国の王が頭を下げるなど、有ってはならない事とソラスは続けた。
大魔術師と言われた彼だが、礼節を重んじ、決して傲慢さを見せない。宮殿にやってきた偽者のソラス・ナクルたちとは対照的で、逆に彼の器の大きさが見て量れた。
ミレーネの呪いを解いた後、初めてソラスの姿を見た時は、レイディルもドノヴァンも、いつもの冷静さを失って驚き呆けていた。しかしシグルドからの報告を聞き、伝説の魔術師と分かってからは、特に彼の姿を気にする様子は見せなくなった。
「ミレーネ殿はどうしておられる?」
レイディルがファーニャに視線を移した。ファーニャはにっこりと微笑むと、
「ミレーネ様は、順調に回復なさっておりますわ。あと三日もすれば、寝台から降りる事も出来るでしょう」
言い終わって、ファーニャは一瞬暗く目を伏せた。次の瞬間には元の明るい顔に戻っていたが、その様子を見ていたシグルドは、何事か有ったのだろうかと怪訝そうに眉をひそめた。
しかし、ミレーネの体調が快癒の方向に向かっていると聴き、シグルドは胸を撫で下ろした。
ふとラケシスの姿を見やると、何かに不満そうにうつむいていた。昨日ミレーネを助けた時からそうだったのだが、話しかけようとしても無言で逃げられてしまい、何も分からずにいたのだ。「何か怒らせる様な事をした覚えはないんだが」と彼女を見ていると、不意に目が合ってしまった。
一体どうしたのだ、と目で訊いたが、ぷいっと視線を外され、無視された。思わず渋面になる。
「ところでシグルド」
父王に呼ばれ、面持ちを正す。ラケシスの事は気になるが、後で話を聴いてみようと思い、意識をレイディルに向けた。
「ミレーネ殿とは、もう話はしたのかね?」
「いえ、まだですが」
まだお休み頂いていたほうが良いと思いまして、と付け加えたが、レイディルは不満そうに顔を歪めた。ドノヴァンが、その様子を見て影でクスッと笑ったのを、シグルドは見逃さなかった。
しばらくのやり取りの後、シグルドは部屋の外に追い出された。レイディルとドノヴァンが、ソラスと話がしたいと言い出し、下がれとシグルドだけに命じたのである。
一体何の話をしているのか分からないが、策略家の父と兄の事である。どうせソラスをこの宮殿に留まらせる為の口実でも並べているのだろう、と察した。ついでに言えば、恐らくこのままミレーネの所へ行けという配慮も有るだろう。
思い通りに動くのは癪だったが、シグルドもミレーネの様子が気になっていた為、彼女が居る部屋へと向かった。
一番最初にミレーネに会うと決め、部屋の前に来た時のように、シグルドは固まっていた。あの時はファーニャが中に居たため、多少気が楽だったが、今度はシグルド一人だ。巧く話せるだろうかと緊張しつつも、覚悟を決めてノックをする。
中から「どうぞ」と、まるで琴の音色のように澄んだ声が返り、シグルドは扉を開けた。
「失礼します、ミレーネ殿」
「シグルド様……」
シグルドの姿を見て、ミレーネの表情が暗く陰った。顔色は確かに良くなってきているが、憂いを帯びた表情に、シグルドは眉根を寄せた。
「どうされました? 具合でも悪いのですか?」
訊かれて、ミレーネは静かに首を左右に振った。しかし元気の無い顔に不安になりつつ、少女の隣に寄る。
「唐突に申し訳ありませんが、シグルド様にお話が有るのです」
哀しげではあるが、どこか強い意志を秘めたような顔つきに変わったミレーネを見て、シグルドは人払いをした。付き人や召使いが部屋を出、気配が遠ざかるのを確認して、シグルドは口を開いた。
「一体どうなされた」
シグルドの真剣な眼差しに圧されたか、ミレーネは少しの間口をつぐんだが、やがて口を開いて瞳に涙を潤ませた。
「無礼を承知で申し上げます。シグルド様、私との婚約を取りやめるよう、国王様にお願いしていただけませんか」
懇願するミレーネをシグルドは驚いたような表情で見つめた。先ほどファーニャが見せた暗い表情は、これを意味していたのか。それはシグルドにとっても願ってもない事ではあるが、果たして父がその様な事に聴く耳を持つかどうか。
しばらく考えていたシグルドだが、ミレーネの瞳を真っ直ぐに見つめながら、一つ質問をした。
「私との婚約が、それほど嫌だと?」
「私には、故郷に心に決めた人が居ます。このまま望まぬ結婚をしても、シグルド様も私も、決して幸せにはなれないと、そう思ったのです」
意地の悪いシグルドの問いに、ミレーネは真っ直ぐに彼の目を見据えながら、そう答えた。これで口篭る様なら、望まぬ結婚を押し付けられているシグルドもミレーネの言う事を黙殺するつもりだったが、なるほどしっかりとした決意を持っているなと頷いた。
政略結婚とは、本来「当人達が幸せになる」為のものではない。それくらいはシグルドも分かっている。しかし十八の少女に、呪いで伏せっている最中に何も知らされぬまま話を進められて、政略結婚させられそうになっている現実を、受け止めろと言うほうが無体な話である。
「良く分かった、ミレーネ殿。意地の悪い質問をして悪かった」
シグルドは立ち上がると、ミレーネに優しく笑いかけた。
「明日、父に話してみる。正直な所、私……いや、俺も、この結婚には反対だ。何としてでも説得してみせよう」
どうも堅苦しいのは合わんな、とニッと笑うと、ミレーネは大粒の涙を流しながら、シグルドに深く頭を下げた。それ以上は何も言わず、シグルドは部屋を後にした。背中から聞こえる嗚咽交じりの「ありがとうございます」という言葉に、シグルドは心の中で優しく笑っていた。
しかし、あの父王がそう簡単に婚約取り下げを受理するとは思えない。しかし約束してしまった以上、守り通すのが騎士道であると、シグルドは気合を入れた。