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昭一の章 3

「おあがりなさいませ~こちらへどうぞ~」


 『おあがりなさいませ』とは、アップしてきた客に言う挨拶だ。この挨拶を受けた客は、来店時の『待合室』とは別の『()がり部屋』に通される。今回アップしてきたのは萩本の客、『乙原様』だ。さて、俺は給湯室にてお盆に冷えた麦茶とおしぼりを乗せて上がり部屋に向かうとするか。

 乙原様にお茶を出さないとな、

 乙原様に……


 表情筋が痙攣しているのを感じる。



 風俗店における店員の心得其の六


     お客様は神様である! 必ず満足をさせて帰すべし!



 ……今日の朝までは普通に仕事してたのだがな……



       ● ● ●



 午前十一時過ぎ、朝一の予約客を(さば)き終えると、二階フロントにも束の間の安らぎが訪れる。

 煙草は給湯室に行けば吸えるのだが、その前に通用口にセットしたアイスペールの数を確認しておくとしよう。

 二個か。

 ……ん?二個?

「あ、そうだ店長、真琴さんの予約客ってまだ来店されてませんよね?」

「んー……斉藤様ね……前日確認の電話も貰ってないし、これはすっぽかされたねぇ……」

 不機嫌そうに呟きながら小林は新聞を広げる。傍らのモニターには車のガラスを拭く山木の姿が映し出されていた。そののんびりとした仕草は、既に客にすっぽかしを食らったのを悟ったのだろう。店の(おもて)に対する警戒感がまるで感じられない。

 来客が無いならばと、給湯室にて煙草に火を点けると、棚に置いた自分の私物に目が留まる。コタツを直す為に家から持ってきたテスターだ。

 面倒臭いが、これも仕事か……

 そう呟いて煙草の火を消し、コタツを直すべく談話室に向かう。

 すると

「あ、乙原くん! 煙草吸い終わったならこれを一階に届けてくれる?」

 不意に小林に声をかけられた。

 カウンターから煙草の匂いを嗅ぎ取ったか……抜かりの無い男だな。

「はいこれ。今日の食事代ね。

 昨日も言ったけど、出勤日には食事代三千円支給するから。

 乙原君はまだ一ヶ月経ってないから二千円。まあ、試用期間と思って我慢してね」

 そう言いながら小林はカウンターから従業員の食事代として千円札を五枚取り出した。

 「ウス。いただきます!」

 とにかくこの街は現生主義のようだ。


 食事代を受け取ると、自分の二枚を財布にしまい、残りを一階に届ける。

 山木は車のガラスを拭いていた手を止め、

 ああ……ありがと。と、ぶっきらぼうに食事代をポケットにしまった。


 お前も笑顔の練習をしたらどうだ?


 山木に金を渡した後、再び二階に戻りコタツの修理に取り掛かるべく談話室に向かう。修理といっても、恐らくただの接触不良だろう。

「乙原君、時間かかりそうなら電気屋さん呼ぶから無理しなくてもいいよー」

「電気屋まで出入りしてんですか!?」

 組合の加盟店は多種多様のようだ。


「さて、と」

 談話室に入り上着を脱ぐ。嬢に合わせたエアコン28℃設定の室内では暑くてたまらん。やれやれ、ウォームビズとかどこの国の言葉なんだろうな。

「で、これどうすりゃいいんだっけか?」

 独り言を呟きながら俺は工具類とテスターを用意する。旧型の重くてかさばるテスターだ。親父のお古なのだからまあ当然なのだが、このテスターを見てふと気付く。


「……そういや、金津園に勤めてる事、親父になんて言ったもんかな……」


 テスターのスイッチを入れる。


「綾女の奴、それとなく言ってくれたかな……言ってはいないだろうなぁ……」


 コードをチェックする……

 やはり原因はここのようだ。


「ありゃ? 昭の字、何してんの?」

 誰かと思えば萩本か。

 何してるもなにも、お前昨日コタツが壊れた腹いせに関節技を極めやがっただろうが!

 客に肩透かしを食らったもんで談話室(こっち)に暇を潰しにきやがったとみえる。

 おいこら、勝手にテスターいじくってんじゃねえ!!

 ちょっと待て! くすぐってぇ! 何で脇の下から手が伸びてやがんだ!?


「……よし。ちょっとスイッチ入れてみな?」

 散々萩本に邪魔をされながら、ようやく作業は終了した。予定の倍の時間がかかったぞ萩本よ?

「スイッチ? ここかな?」

 ドテラ姿の萩本はテスターを放り投げると、今度はコタツのスイッチをいじくりだした。お前この野郎、もっと丁寧に扱え!


「おぉぉぉ!! 立った! クララが立ったー!!」


 テスターを片付けていると、背後からやかましい声が聞こえてくる。

 やれやれ、わざわざ電気屋を呼ばずに済んだな。

 ナンバーワン嬢も機嫌が直った様だし、これで訳の解らん関節技を繰り出すのを遠慮してくれると助かるんだがな。

 工具とテスターを片付け、立ち上がって腰を伸ばす。

 ……テスターは壊れてないようだ。結構丈夫に出来てるんだな。

「でかした!

 よし、褒美にオッパイを三回だけ揉む権利を貴様にくれてやろう!」

「気持ちだけ頂いておく」

 そんな貧相な商売道具は大事にしまっとけ。


「そういえば、綾女がお前さんと連絡取りたがってたぞ?」

 ふと思い出し、綾女のアドレスを萩本に渡す。ボーイが店の嬢に自分のアドレスを教えたら、それこそ『店の商品に手を付けた』と見なされかねない。良くて中居からの鉄拳制裁だろう。悪けりゃクビだな。

 しかし綾女のそれならば問題はあるまい。

 さて、そろそろ美樹と翔子のアップ時間だな。戻って支度をしなくては……。

 背広を羽織り、鏡の前でネクタイを直す。面倒臭いな畜生。


「おあがりなさいませ~こちらへどうぞ~」

 エレベーターが開くと笑顔で接客の再開だ。翔子の客は俺の強張(こわば)った笑顔で上がり部屋に誘導されていく。

 失礼いたします。と、あらかじめ開放されていた上がり部屋のドアを閉じられる。

 途端、図ったかのようなタイミングで内線が鳴り出した。

「はい……お疲れ様でした」

 小林がそう応対している所を見るに、美樹がアップしてくる様だ。

 俺は立ち位置を再びエレベーター前、カウンターの横に移す。程なくしてエレベーターから二人が登場し、

「おあがりなさいませ~こちらへどうぞ~」

 そう言うと、俺はあがり部屋のドアをノックする。

 先程は無人だった為に開放していたドアだが、中に客が居る時はそういう訳にもいかない。

 失礼いたします。と、ドアを開け、客を中に(いざな)う。

 様子を伺っていたのか、ドアを閉まると翔子が談話室から出てきて通用口に消えた。ぱっと見るに、不機嫌そうな顔をしてやがったが、何かあったのだろうか?

 三つ指を解除し、立ち上がって頭をボリボリ掻きながら美樹が談話室に向かうと、またもやカウンターの内線が騒音を鳴らす。

「はい……はい。

 御来店、御新規様ね」

 受話器を置いた小林はそう言うと書類棚に手を伸ばした。


  『真琴』

  『翔子』

  『美樹』

  『恵那』

  『茜』

  『瞳』


 すばやく取り出した各人の名前が書かれた冊子は、店内指名用のアルバムである。

 本日の出勤嬢の顔写真を見せて、客に嬢を選択してもらう為の物。俗に言う【アルバム指名】と言うやつだ。

「案内は僕がやっとくから、乙原君はあがり部屋のお客さんにお茶を持ってって」

 冊子をカウンターの上に置いた小林は、小声で俺に指示を出す。

 了解した。

 エレベーターのランプが上昇を示すと俺は一旦給湯室に身を潜め、上がり部屋用に冷えた麦茶に茶菓子、そしておしぼりを用意する。


「ようこそいらっしゃいませ~」


 上がり部屋に麦茶を届けた後は待合室の客だ。

 急須にお湯を注ぎ、緑茶を搾り出す。茶菓子、おしぼりとアリナミンを盆に乗せ、間仕切(まじき)りのカーテンを開くと、そこにいたお客様は……

「失礼いたしま……」

「真琴さんですか? この()は当店のナンバーワンの娘でして、すぐ御案内ができます。

 胸の大きさでしたら、こちらの娘になりますが、二時間程お待ちいただいての御案内となりますが……

   ……お客様?

   ……乙原君?」

 見合い写真の様な冊子を並べて営業トークをしていた小林の台詞がふと止まり、御新規様と俺の顔を怪訝な顔で交互に見やる。



「……昭一……?」


  「……親父……?」


     「……親子……!?」






「昭一……あ……  


         !

         !

         ぉ

         ぉ

    た で  ぉ

    ん こ  よ

    あ こ  の

         ん

         て

         し

         何   」



  ……何でお前は

                  オネエ言葉だ……?




「ボーイか? ボーイとして来たんかー!?」

 なんかデジャヴだなこのやりとり……あ、萩本に同じ事言われたっけか。

「しかし昭一、お前仕事はどうしたんだー!?」




 お前こそ、    




    で   に 

    ん   日    ソープに来てんだよ!!

    な   平

                 ……仕事はどうした……?



「……まさかリストラ食らったんじゃないだろうな……?」

「おいおいおい、主語が抜けとるぞ昭一~

 けど『なんで平日にソープに来てんだよ』って顔に書いてあるけどな!」



         ろ

         え

         答

 だったら    と    このクソ親父。

         サ

         ッ

         サ



「なんか有給溜まっとるらしくてな~、使えって総務から言われたもんでな」


 で、よりによって使う用事が金津園に登楼(とうろう)で、

   よりによって選んだ先がウチの店かよ!


「あ、店長(マネージャー)さん、このナンバーワンの娘をお願いします(シルブプレ)!

 で、お前、大工(しごと)はどうしたんだよ!?」

 お前、息子の近況より、嬢の指名の方を優先しやがったな?

「……不景気なもんでリストラ食らいましてね……」

 そういえば相手は客だ。一応敬語を使わねばな……。

「はい!! 

 それではお客様! 真琴さん御指名という事で、あの、コースと料金の方がですね」

 小林が会話に割り込み、『ここは任せてお前は行け』とアイコンタクトを送る。

 店長、それ死亡フラグでは?

「……失礼いたします」

「あ、昭一!

 お前帰ったら綾女と三人で家族会議開くからな。

 けど、俺が今日ここに来た事は綾女には黙ってて下さいお願いします!!」

 ……一体どうしろってんだ?



       ● ● ●



「昭一……秋田、乳頭の湯は黒に(あら)ず。乳白色だ。覚えておきなさい……」

 おあがりなさいませ、と冷えた麦茶を出した俺に乙原様は素晴らしくマッタリとした顔でそう告げる。

 どんな賢者モードだ?

「……それでは失礼いたします」

 とりあえず満足している様子の親父を部屋に残し、上がり部屋の扉を閉める。さて、俺の立ち位置はエレベーター横なのだが……


「おう昭の字。秋田、乳頭の湯は黒でもピンクでもなくて乳白色だぜ。これ豆知識な」


 お前達、部屋で一体何してやがったんだ!?

「だってさー、『乳首の湯』じゃん?

 そりゃあたしもピンクだと思うじゃん?

 ピンクじゃなかったら黒だったり? いやー流石にそれはなくない!? っつー会話になるじゃん?

 そうじゃね小林君!?」

 はあ、そうですね、と困った顔で生返事をする店長小林。

 お疲れ様だな。

「そんな訳で、あれだ。次のミッションでは別府の湯と草津の湯、どっちがいいと思う?」

「……どちらでもよろしいのでは……?」

 俺も同意見だ。

「なんだと貴様! 大学で一体何を学んできやがった!?」

 お前こそ、大学を何だと思ってやがんだ?



       ● ● ●



「乙原君、今日はもう片付けちゃってもいいよ」

 ウチのクソ親父を帰して数時間、まだ午後十時だが、来客の無い静かな店内で小林はそんな事を告げる。

「いいんですか? まだ時間はありますけど?」

「うん。もうこんな時間に来店されても、アップ時間を考えると女の子が終電に間に合わなくなっちゃうからね。

 本日の受付及び営業はおしまい」

 JR岐阜駅の名古屋行きの終電は23時50分。名古屋から通勤する嬢にとっては大問題だ。

「あ、けどお客様が遅刻したりするとUP時間が遅くなりますよね? それで終電逃したらどうすんですか?」

「その時は、店で契約してる個人タクシーを呼ぶから大丈夫。金津園から名古屋駅まで一万円で乗せてってくれるよ」

 普通にタクシーを使うよりは安いのだが、それでも交通費に一万か……()けぇな……

「まあ、この世界の女の子の金銭感覚は普通じゃないからね。僕等とは一桁違ってんじゃないかな?

 あ、真琴さん、

 はい、本日のお給金です。お疲れ様でした」


 遠目に見ても、萩本が数えている金が少なくない事は解る。小林の言うことはあながち嘘じゃないだろう。

 まあ、人の金を気にしても始まらないので、俺は二階の客室のタオルを補充しに行く。山木は三階の客室を点検しに行った様だ。


「じゃ、お先に御無礼(ごぶれい)します」


 嬢の送りを済ませ、静けさを増した店内で俺と山木は小林に挨拶をする。対する小林は、はいお疲れさん、とだけ言い、俺達を先に帰し、自身はノートパソコンで書き物をしている。

 二重帳簿でも作っているのだろうか?

「……なぁ乙原君、さっきの変な挨拶、何?」

 帰り道、怪訝な顔で山木が聞いてくる。こいつから話し掛けてくるのは初めてじゃないか?

「……挨拶?」

「帰る時、なんかサムライっぽく店長に挨拶してたろ?」

「ああ、『御無礼』ですか?

 岐阜弁で『失礼します』って意味です。変ですかね?」

「いや、別に変じゃないけどね、真琴さんも普段はそんな風に喋ったりするのかと思ってさ」

「これは職人時代に爺さん達と会話してる内に染み付いた言葉ですから……普通の女の子はあまり古い岐阜弁は使いませんよ。ましてや萩も……真琴さんは高校卒業後は東京に出てますし、むしろ共通語の方を多く喋るんじゃないですかね?」

 ふうん、と呟く山木。寮住まいの彼はそのまま自転車に(またが)ると、錆び付いたペダルを(きし)ませながら無灯火のまま路地裏に走りゆく。黒い自転車と黒服の山木は、俺の挨拶を待つ事も無く数瞬で闇に溶け込んでいった。

 風俗業界は、大抵の店で寮を用意しているものだ。

 寮といっても建物を所有する訳ではなく、店でアパートを何室か借りていて、従業員なら性別を問わず誰でも、光熱費を払うだけで、家賃もかからずにそこに住む事が出来る。

 男も女も流れ者が多い業界なだけに、寮を利用する者は多い。俺の様に実家から通うのは少数派だ。

 さて、車通勤の俺は徒歩で駐車場に向かうとするか。

 明かりがすっかり消え失せた道中。数百m先に歓楽街がある事など微塵も感じさせない静かな住宅街の小路(こみち)を、街灯と窓からこぼれる明かりが控えめに照らす。

 道端の道祖神に供えられた白玉椿に目を向けつつ、革靴の音を住宅街に響かせる。下駄の音でないのが少々残念だが、これも現代版の風情としておこうか。

 革靴を存分に鳴らした後、駐車場に辿り着いた俺は、車のキーを出す際に妙に背広のポケットがゆったりしている事に気付く。

 納まっているべき代物が無い感覚……

 そうか! 携帯が無い!!

 どこだ? どこで落とした!?

 帰り道とは考えにくいので、恐らく店のどこかであろう。俺はキーをポケットにねじ込み、今度は無粋(ぶすい)なリズムで革靴を鳴らす。小林はまだ残っているだろうか?


「ありゃ? 乙原君、どうしたの?」

「すんません、携帯を落としちゃって……」

 肩で息をする俺を見て事情を察した小林は、自分の携帯で俺の携帯をコールしてくれた。

「んー、呼び出してはいるんだけどね……そういえばマナーモードにしてる?」


 してるよ!


 サービスマンたるもの、仕事中は着信音を消すのは常識。バイブはONにしてあるとはいえ、そんな振動音は微塵も聞こえてこない。

「タオル補充してる時に落としたんじゃない? リネン室から順番に探してみたら?」

 そうしますと言い、俺は階段を駆け上がる。あ、営業時間外だからエレベーター使っていいんだったな。まあいいか。

 四階に着き、最も疑われる場所であるリネン室の扉を開けた。

 電気を付ける前から部屋がぼんやり明るいのが解る。携帯のモニターのライトだろうか?

 よかった、タオルの束を担ぐ際にポケットから落ちたのだろう。

 俺は暗い部屋の中、携帯の元に行こうとすると、


 ……誰かいる……?


 ライトにぼんやりと照らされている髪の長い女性。店の女は全員帰った筈。ならばこの女性は?

「あのー……それ、俺の携帯っすよね?」

 珍しそうに携帯を開いたり閉じたりしている女性に、意を決して声をかけてみた。

「……!!」

 俺がそこにいる事に相当びっくりしたらしい。

 女性は急にアタフタと携帯を備品棚に置き、手をバタバタと振って妙なジェスチャーをやり始めた。

「……?

 ……怪しい、者ではない……です?」

「! ! !」

 コクコクコクと首を振る女性。いや、国宝級の怪しさだと思うが?

 女性は尚もジェスチャーを続ける。

「えーと……ここに携帯が……落ちてたから……拾って……眺めてた?」

「……!! !! !!」

 『そうそうそう!!』と言いたそうなジェスチャー。どうやらこの人は携帯を拾ってくれただけのようだ。

 ジェスチャーが伝わってホッとしたのか、女性の体は見る見る透明になっていく。

「あ、ひょっとして、昨日俺にタオルを差し出した人ですか?

 なんつーか、ありがとうございました!」

 俺が言い終わると、女性の姿は完全に消えていた。

 今まで十年近く寺や神社で仕事をしていたが、実際に見た事は無かった。


 ……あれが『霊』って奴か……


「あ、乙原君、携帯見つかった?」

 二階に戻ると、小林は丁度パソコンを片付け終わり、コートに袖を通している所であった。

 上品なベージュ色の生地のそれは、俺の安物のコートよりも何倍も値が張るであろう事は、雰囲気で解る。

「あ、お騒がせしました。リネン室にありました」

「ならよかった。じゃ、店閉めるよー」

 一階に降り、施錠をする小林。店の(あるじ)たる彼なら知っているだろう。ちょっと聞いてみよう。

「所で店長、四階のリネン室の備品棚に盛り塩が置いてあるのは、どうしてです?」

「ああ、あれね。なんか霊が出るらしいよ」



          !

          た

          っ        「……霊ですか?」

   さらっと   お

          い        「うん、霊。」

          言



「風俗のビルなら怪談は別に珍しくもないけどね。夜の零時ジャストに談話室の鏡を見ると自分ともう一人の顔が映るだとか、人魂(ひとだま)みたいな謎の発光体とか、消灯したはずの客室から明かりが見えるだとか。

 ……後は備品棚から使ってないはずの備品が大量に消えてたなんて話もあるね」

「……後半二つの話は、ボーイのミスと、手癖の悪い嬢の仕業(しわざ)な気がしますが……?」

「正体見たり枯れ尾花(おばな)ってね。

 まあ、僕は四年この街にいるけど、オカルト的な現象は実際に見た事は無いからねぇ」

 そう言うと小林は自転車に跨り、おやすみと言い残すと、寮住まいではあるが、山木が消えたのとは別方向。まだネオンが灯る柳ヶ瀬(吞み屋街)の方に消えていった。



       ● ● ●



「うがぁぁぁぁぁぁぁああ! 

 また狙撃されたあああぁぁぁあ!

 何こいつ!? 超強ぇー!」

 帰宅するなり聞こえてくる綾女の絶叫。またFPSやってんのか。

「あ、兄貴おかえり。何? 今日は昨日よりも早いやんか?」

 一瞬だけ振り返り、綾女はすぐに視線をモニター画面に戻す。

 (やかま)しい妹は放っておいて、俺は風呂に入るとしよう。


「萩本にお前のアドレス教えといたぞ」

 リネン室の人については黙っておくか。どうせ信じないだろうしな。

「あー郁恵先輩ね。昼過ぎに番号付きのメールを貰ったよ。さっきメール返したけど、まだ返事が来ないなー」

 対戦が一段落したのか、一旦ログオフして綾女はビールの缶を開ける。

「番号が書いてあったんなら、電話してみたらどうだ? 今は寮に帰ってる筈だけどな」

 地元出身である萩本の実家は金津園から四十分程の所にあるが、さすがに実家に住むことに抵抗があるのだろう。店の近くの寮を借りて住んでいる。

「んー……もう十二時前やけど、大丈夫かな?

 ……まあいいや、ちょっと電話してみるね」

 時間を気にする綾女。風俗嬢にとって、この時間は全然宵(よい)の口だぞ?

「あ、もしもし~? 乙原昭一の妹の綾女で……

 あ、覚えてくれてました? お久しぶりっす!」

「兄貴っすか? 今帰ってきたところで、風呂上りにビール飲んでるっす」

「私っすか? 一応、社寺建築で飯食ってるっすよ。先輩は声優はもう……そうっすかー……」

「あははは! そうそう、県大会のあの時! 懐かしいっすわー!

 そうそうそう! そんで音響の下山君が……」

 受話器の向こうからもテンションの高い声が聞こえてくる。昔話に花を咲かせている様だ。

(めし)っすか? え、おごり!? ゴチになりやす!! 平日の夜はいつでも空いてるっすよー!」

「先輩の次の休みは……火曜っすか。……はい、じゃぁ失礼しやーす!」

 電話を切る綾女。存外早かったな。

「郁恵先輩に晩御飯おごってもらう事になったよー」

 あいつはしっかり稼いでるからな。しっかり奢ってもらいなさい。


「……」

「ん、どうした綾女?」

「なあ兄貴?」

「ん?」

「郁恵先輩さ、楽しそうに仕事しとった?」

「……俺が見る限りじゃ、性に合ってるみたいだったけどな?」

「……けどさー……」

「どうしたんだよ?」

 少し落ち込んだ顔で綾女は続ける。

「郁恵先輩、あんなに意気揚々と東京に行ったのにな……」

 声優の話か。

「あいつもやるだけの事はやったんだろ。

 それで駄目だったんなら仕方無()ぇよ」

 この世の夢など、その全てが叶う訳が無い。

 天の神もそこまで暇ではなかろう。

 萩本もそれが理解できない奴でも無いしな。

 俺だって十八の頃は

 『日本一の宮大工になる!』

 と意気込んで玄翁を握ったものだ。

 まさかその十年後に金津園でボーイをやろうとは、当時の俺は予想もしなかっただろうな。

「なんで郁恵先輩はソープの道に入ったんだろ?」

「聞けっかよ、そんな事」

 萩本に何があったかは解らないが、人の運命など、ちょっと切っ先をそらしただけで、明後日の方向に流れていくものだ。

 それた先にレールが敷いてあるか、はたまた重大な脱線事故なのかは、それこそ天の神にしか解るまい。

「あいつはああ見えて割り切って考える事が出来る奴だから、お前も余計な事を心配すんな」

「……」

 真綿を()したような沈黙が居間を覆う。

「あ、そういえば親父は?」

 と、話題を変えようと聞き終わるや否や、居間の間仕切りのガラス戸が、ガラリと音を立てた。


「帰ってきやがったかドラ息子!

 これより第一回、乙原家族会議大会を開催する!!」




     ……大会……?













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