離婚前夜
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「ミラベル? ――あぁ、彼女のことか」
夫のお酒が入って少しふわふわした声に、私は水の入った硝子コップを持つ手に力を入れた。半開きになった扉の近くに耳を寄せ、友人と話す夫――ジュスト様の言葉に耳を傾ける。
「ミラベル王女殿下と結婚。いやぁ、顔はちょっと地味だけど、男なら王女様との結婚は夢だよなやっぱり」
「……そうでもない」
彼はきっと、いつもと変わらず目は凪いでいるのだろう。妻の話を振られているのに。
はくり、呼吸が上手く吸えない。分かっていた筈なのに。彼が自分のことを愛していないって。
けれどジュスト様はいつだって私を無下に扱うことはしないから。ほんのたまに口角を緩めるから。
勘違いしてしまった。
「……ふふ。私ったらいつまで経ってもダメダメー、なんですから」
『ミラベル? ――あぁ、彼女のことか』
実際は、名前すらまともに覚えられていないというのに。
来た道を引き返す。いつの間にか呼吸が上がる。部屋に帰って来て、手に持ちっぱだった水を一気に呷った。
ふと、机の上に目が行く。一週間後に控えた結婚三年目を祝して、せっせと縫い進めていた刺繍の跡があった。
「結婚、三年目……」
この国では、白い結婚三年目の夫婦には離婚できる権利が与えられる。
「彼と、離婚しましょう……っ」
◇◇◇
くすんだ金髪に冴えない茶色の瞳。そして取り立てて特出したところのない容姿。これが『王家の枯れ薔薇』と称される私の見た目だった。
豪奢な金髪を持つ両親と兄姉。末っ子の私はぼんやりとしていて、いつも皆に置いていかれる。
とある夏の昼下がり。大好きな本の続きを持って、日が差す良い場所を探しているとバッタリお姉様に出会った。
「あらミラベル、貴女ってば。またそんな地味な格好で地味なことしてるの? 本当に恥晒しねぇ」
「えへへ。私ってばダメダメですから」
「んもう」
頬をぷっくり可愛らしく膨らませ、お姉様は去っていく。その瞳に浮かぶ優越感を私は見逃さない。
――歴史の授業で習ったことがある。平民よりも下、奴隷のような身分が昔あったことを。
穢れとされる仕事を担わせる、というのもあるけれど、もう一つの意味合いもあったとされた。
本をぎゅっと握りしめ唇を噛み締めた。お姉様には見えないように。
『あぁはなりたくない』――平民たちの意欲向上。見下す者がいれば、それだけ精が出るというものだ。下ではないという優越感があるのだから。
だからきっと私は、そのために生まれてきたのだろう。
お姉様の背が小さくなるのを見守っていれば、頭をぐしゃぐしゃされる。
「お兄様、なんの御用でしょうか?」
「さすがにもう振り返らなくても誰かバレるか」
「いっつもされますもの」
これまた綺麗な金髪であるお兄様は、王太子殿下でもある。にこ、と人好きのする笑みを浮かべた。
「ミラベル、自分を卑下しなくて言い返しても良いんだぞ? お兄ちゃんが許してやる」
「……私がダメダメなのは本当ですから」
髪の毛を整えながら背を丸める。
「ではさようなら」
「あぁ、またな」
お兄様は唯一、私を普通の妹みたいに扱う。それが本心かは定かではないが、頭を撫でられるのはこそばゆい。
足を止め、窓に目を向ける。丁度、白い鳥が勢いをつけ飛び立った。枝が白い鳥の所在を示すように震えている。
「私ももう十七歳。婚期、ですね」
こんな女を誰が嫁に貰ってくれるだろうか。そも、先程私に絡んだお姉様の嫁ぎ先すらまだ決まってないというのに。
その三日後だった。私の旦那様と出会ったのは。
懐かしさに胸を詰まらせながら、私は文字を紡ぐ。
「奥様、なにをされているのですか」
「お兄様へのお手紙です」
同封した離婚届の証人欄への記載をお願いする旨を書き連ねる。
私が秘密よ、と離婚することを打ち明けた侍女は頻りに眉尻を下げていた。
「思い留まってはいかがですか? 私は奥様が心配です」
「あらあら、心配かけてしまっているようね。でも大丈夫。色々当てはあるのよ」
離婚すれば、私は寄る辺がなくなる。お兄様は私にいつまでも城にいて良いと言うだろうが、未来の奥様に申し訳が立たない。
そのためにこっそり市井に下り、パン屋で住み込みで働けるようお願いしたのだ。平々凡々な見た目の私は王女と思われる訳もなくサクッと働くことが決まった。
「……私は、奥様の味方です。お金のない男爵家出身でほぼ平民みたいなものですし、市井でも役に立つと思います。だから、どうか私も連れて行ってくださいね」
「まぁ、ありがとう」
なぜ、彼女はここまで親身に? 離婚し平民になる女をとっても憐れに思ったのだろうか?
不思議だ。暫く見つめていれば、ジュスト様が帰ってきたと他の侍女が伝えに来てくれた。慌てて手紙を片してから、ショールをかけてもらう。
玄関まで赴けば、ジュスト様が立っていた。もう上着は脱いでいて、じっとしている。
すすすと側に寄った。
「こんなに寒いのですから、早く暖炉の前に行ったら良いですのに」
呆れた声を出せば、塞ぐように抱き締められた。大きな体に埋もれて少し苦しい。
「君を待っていた」
グリグリと頭を私の首元に押し付けてくる。そんなに屈んで体が痛くないのだろうか。
「そうですかぁ。でも私は屋敷の中にいますよ?」
「そうだな」
多分、求めてた答えはコレではなかったのだろう。愚鈍な私には分からない。
ぎゅっと抱き締め返し誤魔化す。
私の旦那様は、竜も討伐できるほどの騎士故に身体中に傷が絶えない人。黒髪に青い瞳を持つ端正な顔にも傷がある。
さわさわと撫でれば、かぷりと甘噛みされた。痛くないけど背がしゃんと伸びる。
「やめてください」
「して良いのかと思って」
どういう基準だろう。
そのまま抱っこされた。
抵抗は無駄なのでされるがままに食堂へ連れて行かれる。
愛されている、のかもしれない。けれど確信を持てないのは、三年間も白い結婚を貫かれているからだ。
二児の母となったお姉様に手紙で「子供はまだ?」となじられるが、子供に至る行為をしたことがないとは言えていない。
妙に淋しくなって、艶のある黒い髪に顔をうずめた。
離婚まで、あと五日だ。
◇◇◇
晩夏。その日も私は本を持って歩いていた。
「嫌よ! こんな人と結婚するなんて嫌!」
お姉様の甲高い声が響く。その声に導かれ歩けば、応接間に辿り着いた。
お父様とお母様、そしてお姉様。――もう一人、知らない男性。騎士服に身を包む後ろ姿だけでも、鍛え上げられていることが分かる。
観察していれば、お姉様が私に気づいたようだった。青い顔から一転、喜色満面を浮かべた。
「ミラベル! あの子がぴったりなはずよ! 騎士ジュストへの褒賞なら!」
そこでようやく。振り向いた彼と目が合う。
どんな肖像画よりも美しい顔。……そして、傷。無数の傷跡が美しい顔に精悍さを加えていた。なるほど、お姉様が嫌がるわけだ。騎士を野蛮とよく称していたから。
騎士ジュスト――聞いたことがある。騎士団長であり、先日竜を倒したとか。大方、それの褒賞を賜わうため来たが、お姉様が我儘を言っているのだろう。
ぽ、と頬を染めてしまった。うん、こういう造形美とっても好き。お父様やお兄様には筋肉のキの字もないから、尚更。
「その、傷に触れてみてもよろしいでしょうか?」
「……えぇ、どうぞ」
物腰は柔らかいらしい。ちょっと意外。
腕をぐーんと頑張って伸ばし、遠慮なくさわさわ触れる。少し盛り上がっていて、くすぐったいのか彼の目が細まった。
「素人質問ですが……この傷はなにをして作られたのですか? あ、不愉快でしたら流してください」
「いいえ、構いません。この傷はそうですね……初めて剣を握って扱いを間違えた時に少々」
「まぁ」
つま先立ちにも疲れ、顔を触るのをやめると、
「あら」
周りの目が私に集まっていることに気づいた。
そこでお兄様が入室した。
「ミラベル、侍女たちが探していたぞ。ほら、行こう。話し合いを中断させたらいけない」
「あ、すみません。ではそういうことで」
ゆっくりフェードアウトしようとすれば、ハッとしたお姉様が声を荒げた。
「ちょ、ちょっと、ミラベルが彼と結婚するんでしょ? そう言ったじゃない」
「……? 言ってませんが」
お兄様が厳しい目をお姉様に向けた。
「ミラベルに押し付けようとするのはよせ! お二人も、なんとか言ったらどうですか」
お父様とお母様は目線を泳がせた。
「けど、嫌だって言ってるし……」
「王女としての務めを果たさせろ、と言っているのです! いつもミラベルに嫌なことは押し付けて……!」
お兄様が吠えた。
こうも『嫌』と連呼され、ジュスト様の方こそ気が滅入ってしまうのではないのか。ちらりと見上げれば彼もこちらに視線を向けていた。
「もう俺の傷に興味は?」
「えっと、あるにはあるのですが身長差が……。ダメダメですみません」
お兄様の怒鳴り声が響く部屋で、私は微笑み謝罪する。暫くジュスト様はそのままの格好だったが、失礼という軽やかな声と共に抱き上げられた。
視界がぐんと高くなり、足が宙ぶらりん状態になる。安定感はあるが、高くて怖い。
「な、あぁ……っ」
「触りませんか?」
情けない声を上げる私に首を傾げている。
「さ、触る触らないの問題ではなく、これは男女の距離感としては不適切です」
「俺にどうしろと」
「婚約者の方とお願いしますっ」
「では、婚約者になってください」
騒がしかった室内が、彼の鶴の一声で静まり返る。
……こんな、私と? 王家の枯れ薔薇と?
頭がこんがらがって、上手く考えられない。とりあえず目の前のことからこなす堅実的な私は、ヨレヨレの声でお兄様に降りたいと訴えた。
「ミラベル、大丈夫だ。手を伸ばせ」
「お兄様ぁ〜」
今まで優しくしてくれても『どーせ演技だ。この良き王太子め』とか思ってごめんなさい。貴方は立派な兄でもありました。
手を伸ばす。だがスカッと空を切った。
「…………」
お兄様がすすすと寄る。だがまた手は届かず。元凶は言わずもがなジュスト様だ。
「な、なぜ……」
「まだ返事を聞いていませんので」
ひゅう、と足を風が撫でる。恐怖で身がすくみ、私は目をつむって叫んだ。
「貴方のお顔に一目惚れしました! 私を貰ってください!」
「……それは、傷を除いて?」
「傷込みです!」
ヤケクソに近い咆哮。お父様たちの、あんな大きい声初めて聞いた……という視線を受けながら、私はなぜか一層強く抱き締められた。降ろして。
ひょんなことから自分が高所恐怖症(お兄様に教えてもらった。あの日以降仲がぐっと深まったのだ)だと知ったが、それはすぐ解消されることとなった。ジュスト様が私をよく持ち上げるからだ。
曰く、私が歩くのは遅いらしい。一理ある。
今日は湖畔に来ていた。風を受け、私のくすんだ金髪も靡く。勿論今日も抱き上げられていた。
「良いお天気ですね」
「あぁ」
婚約を結んで一年が経った。姉より先の結婚は外聞が宜しくないと、私たちの結婚は当分先だ。お姉様が最近どこぞの貴族と懇意にしているらしいので、あと二年後くらいだろうか。
ぼんやりしていれば、見つめられていることに気づいた。
「なにを考えていたんだ」
「お姉様のことです」
端的に述べれば納得したのか首を縦に振られる。
「……ジュスト様は、どんな幼少時代でした?」
「俺は母を生まれた時に亡くしていて。父は騎士だからか、幼少期からしごかれていたよ」
「それでこんなに凄い騎士様になったんですね」
肩に手を置き、目を合わせた。
「凄いですね。私は枯れ薔薇なのに」
「枯れ薔薇……」
「あれ、知りませんか?」
「いや知ってる。枯れた薔薇だろう?」
これは知らない感じだな。
◇◇◇
目が覚めた。布団の中が寒い。私一人で眠っていれば当たり前かと自嘲する。
起き上がれば涙がコロリと転がった。
「懐かしい夢だったな……」
出会った頃の夢。私が、本当は愛されていないのかもと思うようになる前の、一番幸福だった時間。
手で涙を拭った。
「今日が、白い結婚三年目の前日ですね」
お兄様に何度も良いのかと聞かれて、その度に良いと答えサインを書いてもらった離婚届も手中にある。なにも臆することはない。
前を強く見据える。だけど次第にボヤケていって。私は体を丸めた。
シーツが灰色の斑に染まっていく。
「……私ったら本当にダメダメですね」
要領が悪くてとろくて、人の気持ちも上手に推し量れない。顔も地味で体の凹凸だってない。
『ミラベルってば、ぜーんぶダメダメなのね』
ヴァイオリンの稽古で、あまりに私が不器用だから先生に酷く怒られた日。お姉様にそう言われ納得してしまった。
私は全てにおいてダメダメなのだ。
今だって。本当は好きな人の幸せを祈る私なんていない。ずっと私の側に繋ぎ止めて置きたいという醜い願望がある。
暫くの間、私は侍女を呼ぶことができなかった。
――夜。いつも通り出迎えた私は、彼を執務室に呼んだ。侍女には、扉の向こうに待機してもらっている。
「なんの用だ。ここに呼び出して」
私は目の前のことからこなす堅実的な女。
バッと離婚届を出した。
「あの、離婚しましょう。大丈夫です、もうお兄様からのサインも頂いておりますし、あとはジュスト様がサインしてくだされば終わるので」
面倒はかけさせません! とアピールする。
涙がまた出そうになって、ふぐと唇を引き結び耐えた。
「――は?」
体がビクリと震えた。気温が数度下がった気がする。
そろりと彼の方を見れば、青い瞳を昏くさせ私を威嚇している。ひょ、と驚きすぎて声が漏れてしまった。
「今なんて言った?」
「いえ……あの……だから離婚を……届けにサインを……」
ずんずん近寄ってくる。その度に下がるが執務室の広さなどたかが知れている。すぐに壁に追いやられ、逃げないように足の間に足が入れられた。腕も押さえつけられ痛くはないが抜けられない。
怖い声が上から降ってくる。
「なぜそんなことを?」
「ぇ……だ、だって」
喉が詰まって上手く言葉が出ない。
顎を掴まれ、目線を合わせられた。
「だって?」
「――知ってしまったんです。好きなら、身を引くことも愛だと! は、離してください!」
大声で叫び手足をバタつかせれば体を離してもらえた。
私は離婚届を胸に掻き抱く。
ずっと前。彼に枯れた白い薔薇を貰ったことがあった。
綺麗に剪定されていたが、枯れているという事実は変わらない。ちょっぴり悲しい気持ちになっていれば、ジュスト様に頬を触られた。
「白い枯れ薔薇には、生涯を誓うという意味がある。君に贈るのにぴったりだと思ったんだ。受け取ってくれるか?」
指先に彼の唇が触れて。私は呆然と目を見開く。
喜びで体が震え、何も二の句が継げなかった。今まで私の劣等感だった部分を、丸ごと抱き締めてもらったような感覚。
その時に思った。彼の幸せを一番に願うと。たとえその願いが叶う時、私が側にいれないとしても――
「待て。それでなぜ離婚になる」
「だって……ジュスト様は私を愛していないでしょう?」
「愛してる」
あっさり答えられた。
「でも、この間ご友人の方がミラベルと言った時、忘れていらっしゃいましたよね?」
「確かに少し忘れていたが、それは違う。ずっと君を、愛称のベルで呼びたいと考えていたら、ミラベルの方への反応が遅れただけだ」
「え」
すっぱりきっぱり否定されて、なんだかこちらも意固地になってしまう。
「ですが、これも聞きました。王女との結婚は夢だ、という発言にそうでもないと言っていたことを!」
「それの前に君を地味だと言ったからそれを否定したんだ。安心しろ、あいつは全治一週間の傷を負わせておいた」
あわわ。ご友人の方、どうか安らかに。
これで終わりか? と首を傾げるジュスト様に、今までいえなかったことを勢いに任せ言ってしまった。
「じゃあ、なぜ一緒に寝てくださらないのですか……? そんなに私に魅力がないのでしょうか?」
涙目で見上げれば、彼の喉が鳴った。そのまま動きが止まって、今度は私が首を傾げる。
「いや……違う」
「ではなぜっ」
「昔言っただろう? 母は生まれた時に亡くなった、と。君が母と同じようにいなくなってしまったらと思うと、怖かった」
続けて。ほんのり目元を赤くしながら、一目惚れだったと言われる。
「え……っ」
「俺の傷を気にしない君と、結婚して一生一緒にいたいと思った。好きだ」
ストレートに愛を囁かれ、頭がいっぱいいっぱいになる。でもこれだけは言わなければと顔を上げた。
「私、貴方を置いていったりしません。だって私もジュスト様のことがとっても――だ、大好きですから。こんなダメダメな私でも、良いですか?」
壊れ物を扱うみたいに優しく抱きすくめられる。
「自己卑下はやめてくれ。君が……ベルが良いんだ。」
涙がホロリと溢れて。彼の体温に身を任せる。
直後、耳の側で何かが盛大に破り裂かれる音がした。
「……え」
「さて、この離婚届はもういらないな」
なんとも無惨な姿の離婚届が。なんてこった。
横抱きにされ、ジュスト様が歩き出す。
……まさか。勘違いでなければ、そっちには。
「まだ明日まで時間があるな。丁度いい」
――そっちには、一度も使ったことのない夫婦共同の寝室が……!
扉を出た所で侍女に助けを求めるが、彼女は粛々と頭を下げるだけ。味方だって言ってたのに、嘘つき!
「二度と離婚したいなんて言葉、言えないようにしよう」
「ひゃ、ちょ……あの待ってください冷静になりましょう。ちょっと待……っ。きゃっ、いやぁ〜〜〜〜〜っ!」
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