第8話「視力と佐々木さん。」
朝の教室。
佐々木さんは、いつものように窓際で静かにノートを開いていた。
僕は席につきながら、ふと彼女の眼鏡に目がいった。
「佐々木さんって、眼鏡かけてるけど……視力どれくらいなの?」
彼女は、眼鏡をくいっと直して、静かに答えた。
その仕草が、なんかこう……反則だった。
「6.0」
「マサイ族!?」
思わず叫んだ。
教室の空気が一瞬止まった気がした。
「……え、6.0って、あの、視力の話だよね?」
「うん。遠くの文字、だいたい読める」
「だいたいって!? どこまで!?」
「校門の掲示板の“今月の目標”とか」
「それ、200メートル先だよ!? 望遠鏡か何か!?」
「あと、隣の校舎の黒板も読める」
「隣の校舎!? それ、もう隣のクラスじゃなくて隣の世界だよ!?」
佐々木さんは、ふわっと笑って言った。
「でも、近くはちょっとぼやけるから、眼鏡かけてる」
「遠視ってレベルじゃないよ!? 未来見えてるでしょ!?」
「うん。たまに、明日の天気も見える」
「それ、気象衛星じゃない!? 視力じゃなくて観測能力!?」
「あと、木戸君が昨日食べたメロンパンの袋、今も机の下にあるよね」
「えっ!? なんでそれ見えるの!? 僕ですら忘れてたのに!?」
佐々木さんは、机の下を指さした。
そこには、確かにメロンパンの袋が落ちていた。
「……佐々木さん、もしかして、目が良すぎて“第六感”になってない?」
「ううん。“第六眼”」
「新しい感覚生まれちゃってるよ!?」
「でもね、木戸君の心の中は、まだ見えない」
「えっ……それは……」
「だから、もっと話してほしいな」
佐々木さんは、眼鏡越しに僕を見つめた。
その瞳は、6.0の視力で、僕の顔の奥まで見てる気がした。
「……木戸君、顔赤い」
僕は、顔が赤いと言われた瞬間、さらに赤くなった。
(いや、言われたら余計に赤くなるから! それ、照れの加速装置だから!)
「そ、それは……佐々木さんが、なんか……その……」
「なんか?」
「いや、なんかこう……見てくるから……」
「見てるよ。6.0で」
「だからだよ! 視力の暴力だよ!」
佐々木さんは、ふふっと笑って、眼鏡を外した。
その瞬間、僕の心臓が“ドン”って鳴った。
眼鏡を外した佐々木さんは、天使のような瞳をしていた。
いや、天使っていうか、もう“精霊”だった。
「……裸眼でも、木戸君の顔は、ちゃんと見えるよ」
「えっ……それって……」
「輪郭が、はっきりしてるから」
「輪郭!? 僕、輪郭だけ!?」
「でも、輪郭って大事だよ。人の“境界線”だから」
「急に哲学!? 僕の顔、哲学の入り口だった!?」
佐々木さんは、眼鏡を指先でくるくる回しながら、ちょっとだけ視線を逸らした。
「……でもね、木戸君の顔、見てると……ちょっと、ドキドキする」
「えっ!? えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ
僕は、限界突破した。
心臓はドラムロール、顔面は灼熱地帯、語彙力はどこかへ旅立った。
「え、あの、えっと……それって……その……」
言葉が出ない。出てこない。出てくる気配もない。
佐々木さんは、そんな僕を見て、くすっと笑った。
「ふふ、木戸君って、顔にすぐ出るね」
「いや、出るっていうか……もう、顔が情報端末みたいになってる……」
「じゃあ、私はそれを“視力6.0”で受信してる」
「僕の照れ、電波で飛んでるの!? Wi-Fi!? 顔面Wi-Fi!?」
佐々木さんは、眼鏡をそっと机に置いて、少しだけ僕に近づいた。
「……でもね、木戸君の顔、見てると落ち着くの」
「えっ……それって……」
「輪郭が安定してるから」
「また輪郭!? 僕、輪郭で人生支えてるの!?」
「うん。輪郭って、心の居場所になるんだよ」
「急に詩的!? 僕の顔、居住空間だった!?」
佐々木さんは、頬を指でちょんと突いてきた。
「……ここ、ちょっと赤い」
「それ、あなたのせいだからね!? 責任取って!?」
「じゃあ、責任取って……」
佐々木さんは、ふわっと笑って言った。
「明日も、見に来るね」
「えっ……僕の顔を!?」
「うん。輪郭、確認しに」
「僕、明日までに輪郭整えておく……」
佐々木さんは、眼鏡をかけ直して、席に戻った。
その仕草が、やっぱり反則だった。
――視力6.0の佐々木さん。
彼女には、世界のすべてが見えているのかもしれない。
でも、僕の心だけは、まだぼやけてるらしい。
だから、もっと話そう。
もっと見てもらおう。
……輪郭だけじゃなくて、僕の全部を。




