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第7節 流出するのは人材か、それとも意志か


 人材が流出する組織には、必ず“穴”がある。


 制度の欠陥、指導の不足、あるいは理念の崩壊。

 だが魔王軍の場合、そのどれでもあり、どれでもないように見えた。


 ――そもそも、記録されていないのだ。


 「誰がいつ辞め、誰がどこへ行ったのか」


 カナスは、倉庫の片隅にある資料棚を一つ一つ開きながら、静かに呟いた。


 正式な“退職届”の存在率は、わずか18%。

 そのうち、離職理由が記載されていたものはさらにその半分。

 そして、その内容は決まってこうだ。


 《戦線転属》《傷病治療》《精神的不調》《消息不明》《意思による離反の可能性否定》……


 「“誰も辞めたがっていないことになっている”?」


 明らかに、不自然だった。


 まるで――**辞める理由そのものが、“処理されている”**かのように。


 何かが隠されている。

 もしくは、誰かが隠している。

 そのいずれか、あるいは両方。


 その時。


 「……失礼、あの、お時間よろしいでしょうか」


 声がした。


 カナスが顔を上げると、そこに立っていたのは、一人の“新米鬼族”だった。

 制服の端がほつれ、肩章は半脱落。瞳には怯えと困惑が混ざっている。


 「人事部、ですか?」


 「い、いえ。違います。あの、私、補給部の補佐官でして……その、手紙が……」


 彼女は震える手で、封筒を差し出してきた。

 無地の封筒。宛名も差出人もない。中には一枚の紙。


 【“辞めたい。けど、それが“裏切り”になるなら、私は死にます”】

 【“魔王軍で戦う理由を、教えてください”】


 手書きだった。筆跡は震えていた。

 文末には署名もない。だが、その内容は明白だった。


 「……こういうものが、“届く”のですね」


 カナスは、手紙を棚に置いた。

 表情は変わらない。ただ、その瞳はわずかに暗くなっていた。


 「はい……皆、“魔王様に迷惑をかけたくない”って、そう言います」


 「それは忠誠か、恐怖か。――どちらとも言い切れないから厄介ですね」


 彼女は、自嘲気味に息を吐いた。


 そして、ペンを取る。


 【分類:非公式離脱希望者/状況:周囲に相談できず沈黙/動機:理念不明瞭による自我の迷子】


 記録する。それが彼女の“最初の武器”だった。


 記録すれば、可視化される。

 可視化されれば、数えられる。

 数えられれば、比較される。

 比較されれば、“異常”が浮き彫りになる。


 「辞めたいのに辞められない組織とは、“思考の出口”が封鎖された監獄です」


 カナスは、机に並べた離職未遂者の記録をじっと見下ろした。


 ――皆、似ている。

 “悪ではない”。

 ただ、“迷っている”。


 そして、その迷いは、共有されることなく個別に孤立し、やがて無言で消える。


 「誰も悪くないのに、皆が壊れていく」


 それは、最も恐ろしい組織のかたちだった。


 「魔王軍の理念。……正式には何なのでしょう?」


 資料を探す。検索する。だが、見つからない。

 “魔王様の意志を継ぎ、世界の安定と覇を目指す”という曖昧な標語ばかりが繰り返されている。


 具体性がない。

 つまり、“辞めてはならない理由”も曖昧なのだ。


 「理念が不在で、責任は希薄。命令は空転し、記録は死んでいる。……これが“軍”?」


 カナスは、まるで笑うように目を細めた。


 その時、彼女のスキル《平時調整》が、静かに作動する。


 目に見えない数値が、“組織温度”として脳裏に浮かぶ。


 【組織活性値:12%】

 【責任構造:崩壊寸前】

 【理念浸透率:5%未満】

 【離職潜在指数:78%】


 「これはもう、“生きている”のが奇跡です」


 けれど。


 ――それでも、彼女は“再構築”を選ぶ。


 それは、ブラック企業にいた日々と同じだった。

 壊れかけた部署で、誰も手を出さなかった“灰”の山に、ひとり手を突っ込んだ。

 他人は笑った。“何やってんの?”と。

 でも彼女は、そういうのが一番“性に合った”。


 「人事、というのは“組織の掃除”ですから」


 誰かがやらなければ、腐る。

 だから彼女は、やる。

 辞めたい理由を書けない誰かの代わりに、“辞められる構造”を作る。


 それが、平時調整者――カナス・アスカルトの、戦い方だった。

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