第6節 紙の墓場と、人事部という戦場
「――で、ありますから、本部署においては一時的な業務停止および構造整理を実施いたします」
その報告は、魔王軍本部・人事部にて、正式な“提出”として扱われた。
カナス・アスカルト。
人間でありながら魔王軍第四軍・臨時調整官。
そして現在、全軍の中でも“最も危険な書類”を携えて、魔王軍人事部の扉を開いた人物。
「……お、お待ちしておりましたっ!」
出迎えたのは、肥満気味のインプ族職員だった。
書類が詰まった台車を引きながら、汗だくでカナスに敬礼する。
「ええ、お疲れ様。――人事情報室は、どちら?」
「階段を下って左手、二重扉の奥ですっ!」
すでに、調査資料は分類済みだった。
――採用記録。配置指令。昇進・降格の通知。
――離職届。行方不明届。死亡・変異報告書。
カナスは目を通すたび、目の奥が焼けるような感覚を覚えていた。
それは“魔王軍”という名前から想像される、豪胆で、苛烈で、容赦ない“軍隊”の姿とはまるで異なる。
そこにあったのは、組織としての崩壊プロセスだった。
「……死亡扱いで処理……遺族不在……勤務歴4日……? 何をしてるの、ここは……」
囁くような独り言。だが、言葉には憤怒も悲嘆もない。
あるのはただ、“数字としての理解”だ。
書類というのは、最も冷酷で、最も誠実な証人である。
「職場に問題がある。構造も異常。人材も定着しない――それでも回っている?」
では、なぜ。
なぜ魔王軍は、この崩壊率で瓦解しないのか?
資料を繰るごとに、矛盾が浮かぶ。
問題は山積している。報告も放棄されている。
だというのに、戦線は保たれ、国境線も大きくは動いていない。
「回っている理由が、書かれていない」
――まるで、“何か”が埋め合わせているように見える。
偶然? 現場の献身? それとも、書かれない“もう一つの力”?
カナスはペンを走らせる。
スキル《平時調整》が、静かに“補正”を開始する。
【仮説1:無記録の人材流入が存在する】
【仮説2:別系統による人材供給ルートがある】
【仮説3:不死・再生・複製等の超常スキルによる代替戦力が運用されている】
【仮説4:魔王直属による補填支援が、制度外で行われている】
どれも、実態把握が難しい。
しかし“穴”があっても倒れない組織には、“補完者”が存在するのが常だ。
そしてそれは、得てして“記録に残らない力”である。
「……書かれなかった戦力。あるいは、“名前のない誰か”」
その存在が、魔王軍を支えているのだとすれば――
それはまさに、“紙の墓場”にすら埋まらぬ影だ。
「カナス様、第三軍人事記録が届きました……!」
慌てて入ってきた使い魔が、封印された箱を差し出した。
見れば、鍵が3重。記録認証と魔力封印がなされている。
「……なんて仰々しい。では、開封を」
鍵を開け、封印を解き、中を覗いた瞬間――
ふわり、と、花の香りがした。
中にあったのは、一輪の花と、一枚の紙。
【“口を出すな。見なかったことにしろ”】
そう書かれていた。
カナスは、表情を変えなかった。
ただ一度だけ、軽くまばたきをして、封印を元に戻した。
「これは……見なかった、ことにしておきましょう」
それは、“脅し”だった。
あるいは、“警告”。
もしかすれば、“配慮”かもしれない。
だがカナスは、誰にも告げず、そっと箱を棚に収めた。
人事部とは、戦場である。
そこでは、剣よりも書類が人を殺す。
そして今、彼女はその真っただ中にいた。