第2節 召喚という名の異常事態
――まだ夢の続きなのでは?
そんな甘い幻想は、最初の“言葉”によって打ち砕かれた。
「これが、今期の召喚対象か」
低く、硬質で、余計な感情を含まない声音だった。
その言葉が空間全体に響いた瞬間、彼女――カナスの身体に、背骨をなぞるような冷気が走った。
“見るからに魔族”な何かが三体、黒曜石の玉座を囲むように並び立っている。いずれも人間とはかけ離れた姿。
一体は皮膚の代わりに炎を纏い、もう一体は羽根を引きずり、最後の一体は粘土細工のように形が定まっていない。
だが彼女は、その光景に悲鳴も上げず、むしろ自分の靴がどれだけ煤で汚れていないかを確認していた。
――落ち着いてる? いや、違う。情報が少なすぎる。
無理に動けば、選択肢を減らす。だから、黙る。それだけ。
カナスは現状を把握しようとしていた。
職業病ともいえるその習性が、彼女の反応速度を“異質”なものに変えていた。
周囲に広がるのは石造りの広間。
天井は高く、中心に燭台が浮遊しており、微弱な魔力の明滅とともに光源を維持している。
壁はすべて黒。装飾は極端に少ないが、配置に法則性がある。おそらく――これは儀式場。もしくは、公開処刑に近い空間だ。
「スキル鑑定を急げ。時間を無駄にするな」
粘土のような存在が命令を下す。直後、どこからともなく現れた黒装束の魔族が、淡い魔法陣を展開した。
「……鑑定開始。転移適合確認済み。異世界人種別コード:“ナ-0925”、性別:女、名称:カナス……本名記録あり、変更許可中……スキル保有:確認」
魔法陣が発光し、文字のようなものが浮かび上がる。
その中で、一つだけ大きく表示された行があった。
《保有スキル:平時調整(分類:支援系/評価:E級未満)》
沈黙が降りた。
魔族のうち一体が、露骨に鼻を鳴らした。
「……また“ハズレ”か」
粘土魔族が眉をしかめるような動きを見せる。
「支援系、それも“平時”限定とは……戦争下では何の意味もないな。なぜこんなスキルを引いた」
“お前が悪い”とでも言いたげな視線が、カナスに集中する。
彼女は、特に反論しなかった。
黙って立っていた。ただ、ゆっくりと息を整えていた。
そして、情報を並べていた。
――異世界。召喚。スキル。魔族。評価。役割。序列。会話速度。用語選定。文化的背景。
魔王軍。
たぶん、そういう名前の組織。
軍事組織の中核で、誰かがこの儀式を行い、“人材”として彼女を呼んだ。
……人材?
「“鑑定完了”」と、黒装束が締めくくる。
炎を纏った魔族が言う。
「無能なら処理するか? 次を引く時間はある」
その瞬間、玉座に座る存在――“あれ”が初めて動いた。
ゆっくりと指を一本、宙に向けて動かす。
「不要」
一言だった。だが空間全体が一瞬で静まり返る。
誰もが、その声に従う以外の選択肢を持っていないことを理解していた。
魔王。おそらくこの世界の絶対的な支配者。
そして彼は、カナスをじっと見つめたまま、言葉を重ねる。
「スキルはどうでもいい。こちらが必要なのは、“動かせるか”だ」
“動かせる”とは、何を。誰を。何の仕組みを。
だがカナスは、すでに直感していた。
組織だ。人材だ。流れと情報と、人と人の間だ。
彼女がこの空間に存在する理由は――“使うため”だ。
彼女は、気づかれぬように口の端を引き締めた。
召喚? スキル? 戦争?
馬鹿げている。だが、馬鹿げていない。
“この職場よりは、マシかもしれない”という思考が、一瞬だけ頭をよぎった。
そしてカナスは、ほんのわずかに会釈した。
職場で、初めて顔を合わせた相手にする最小限の礼儀として。