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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【小話追加】婚約したばかりの公爵子息が「俺たちの子だ。……多分」と子連れでほざいてきたので、とりあえず殴ります。

日間ランキング1位ありがとうございました。

たくさん読んでいただいたお礼に、あとがきの下の方に小話『秘密のトンネル』を追加しました(12/26)




 ブライト侯爵家長女キャサリンは、自分の家の応接室で先日婚約したばかりのオーウェンと向かい合っていた。

 長身に鍛え上げられた体躯。黒い髪はセンター分けで目にかかるくらいの長さ。切れ長の赤色の目に完璧な輪郭。

 美男子としか言いようのないオーウェンは、魔法の扱いに長けたノワール公爵家の嫡男。現在は近衛騎士として活躍している。


 彼は本日、先ぶれもなくいきなりブライト侯爵家にやってきた。

 キャサリンとオーウェンは先月婚約したばかりだ。


 そして今、そのオーウェンの隣には──ちょこんと座る男の子が一人。

 オーウェンとそっくりとしか言いようのない、黒髪に赤い瞳という色を持つ。これはノワール公爵家直系の色だ。


 会っていきなり、満面の笑みで男の子に抱き着かれたことには驚いた。


 キャサリンが戸惑っていると、男の子は何かに気づいたように後ずさり、拳を握りしめて……微笑んだ。

 まちがっちゃいました、と言いながら。


「レオナルドです。五さいです」


 ニコッと笑った男の子は、自分の顔の前で「五さい」をアピールするように手を広げた。


「レオナルド様。はじめまして。キャサリンと申します」


 兄しかいないキャサリンには子どもの扱いがさっぱり分からないが、レオナルドを見ると、胸がきゅんとなった。

 とてもかわいい子だ。

 オーウェンの子供の頃もきっとこんな感じだったのだろう。

 この幼児が何者なのかは知らないし、なぜここに先ぶれもなく連れてきたのかも分からないが、顔立ちからしてオーウェンの近しい親族であることに間違いはないはず。


 オーウェンは切り出しにくそうな顔をして、お茶を飲んでいた。いや、切り出しにくそうというより、むしろ悩んでいる感じ。首を傾げ、空を見つめていた。

 多分このレオナルドがここにいることの説明について悩んでいるのだろうけど。


 美麗でありながらも口数が少ないオーウェンは、社交界では難攻不落の高嶺の花として君臨していた。浮ついた噂の一つも出てこないほど、真面目で誠実だと評判。

 当然のことながら、社交界の『結婚したい男性ランキングナンバーワン』だ。

 キャサリンも社交界デビューの時にオーウェンと少し会話したことがあり、この時から淡い恋心をいだいていたが──それとはまったく関係なく、政略結婚の話が親同士でされ、あっという間にそれは決まった。

 棚ぼたというべきか。


 とはいえ、婚約してから会うのはまだ三回目。彼が話術があまり得意ではないことはすぐに分かった。

 ゆえに、このままでは話が進まなそうだし、こちらから話を振ろうと決意した。


 オーウェンには妹がいる。

では妹の子か、と思ったが、はて……とキャサリンは首をひねった。


「アデライン様は……たしかまだ十五歳でしたわよね?」

「ああ、そうだ」


 計算してみよう。

 現在十五歳ならば五年前は十歳だ。

……子供を産むことは厳しいだろう。

 では、妹アデラインの子供ではない。


「ノワール公爵閣下には、確かご兄弟はおられないと伺っておりますが」

「ああ。父に兄弟はいない」


 公爵夫人はオーウェンの妹のアデラインを産んだときに、儚くなってしまったはず。

 そしてノワール公爵に兄弟はいない。

 となると、五年以内に子どもをつくる可能性がある人物は……。


「異母兄弟、でございますか」


 微笑みを浮かべながら公爵閣下はまだまだお元気なことで……と、言外に含ませた。


「違う」

「……違うとは?」


 御父上であるノワール公爵の子ではないと否定されると──あと一つしか可能性がなくなってくるのだが。

 冷静を装いながらも、キャサリンの口角がぴきりと引きつった。


「…………レオナルドは──俺の子だ」


 しっかりとキャサリンの目を見つめた赤い瞳。きっぱりと告げた言葉は、とても嘘を言っているようには思えず。

 自分の顔が引きつったまま固まったのを感じた。

 難攻不落の高嶺の花。

 潔癖で女性関係に一切噂がなかったオーウェン。


「────……」


 キャサリンは手元の呼び鈴を左右に揺らし、メイドを呼び寄せた。

 部屋に入ってきたメイドに「しばらくこの子と遊んであげてもらえるかしら」と口元に笑みを浮かべたまま伝えた。


「レオナルド様。我が家の庭にはステキな秘密のトンネルがありますの。ぜひご覧になってください」


 お菓子を食べ終わったレオナルドは、すでに足をぶらぶらとさせ、退屈になった様子だったので「いいの!?」と顔を輝かせる。


 かわいい。

 キラキラしてる。

 すっごくかわいい。

 子供に罪は何もない。


 メイドと手を繋ぎ、レオナルドは部屋から出ていった。

 キャサリンはギギギ……と音がするようにゆっくりと顔をオーウェンに戻した。


「オーウェン様。もう一度先ほどの言葉をうかがってもよろしいですか? レオナルド様は、オーウェン様の……」

「……レオナルドは、俺の子だ」


 聞き間違いではなかった。

 一番聞きたくない言葉だった。

 つまり彼は──キャサリンと婚約する前に子供を作っていたということだ。


 現在二十歳のオーウェン。

 十五歳ごろに子供を作ったということか。

 それをキャサリンに……いや、ブライト侯爵家に伝えることなく婚約したということだ。


 ──……なんたる侮辱。

 儚い恋心が、無残に砕かれた思いがした。


 オーウェンのノワール公爵家と、キャサリンのブライト侯爵家は、当然のことながらブライト侯爵家の方が家格は下だ。

 けれど、建国と共に長い年月を歩んできて国と民のために尽くしてきたブライト侯爵家は、何度も宰相や国の重役の任についてきた。

 これほどまでに軽んじられるいわれは一切ない。


 キャサリンはスクッと立ち上がり、ソファに座ったままのオーウェンの横に立った。


「オーウェン様がそんな方だとは存じませんでしたわ」


 微笑んだままだが、目は一切笑ってないキャサリンの青空色の瞳に、オーウェンがゴクリと喉を鳴らした。


「キャ、キャサリン嬢。……違う。勘違いしていると思う」

「レオナルド様がオーウェン様のお子様であるということに間違いはないのでしょう?」

「そ、それはそうなんだが。そうじゃなくて」


 もしかして子供が生まれたことを知らなくて、こっそり生まれていたことをようやく知ったということだろうか。

 しばらくキャサリンの目を見つめていたオーウェンだったが、なぜか頬を紅潮させ、スッと視線を逸らした。


「レオナルドは俺だけじゃなくて。──俺ときみの子! 俺たちの子だ。……多分」


 キャサリンの目の前が怒りで赤くなった。


 ──パチンッ!


 気づいた時には、オーウェンの頬を平手打ちしていた。


「……っ! ……このような侮辱を受けたことは、いまだかつてございませんっ。いくら他の方のお子をこの先わたくしが長子として育てることになろうとも、その説明はあんまりでございますっ」


 こっそり生んだ母親が、何らかの事情で子供を育てられなくなったのかもしれない。

 実はあなたの子でした、あとはよろしくお願いします、と現れるのも貴族社会ではなきにしもあらずだ。

 だがそれならそれで、そう説明すべき。

 誠実な彼ならそうするだろうと思ったのに。


 オーウェンはびっくりしたように目を丸くしていた。

 騎士の彼からすれば、キャサリンの平手打ちなど、虫に刺された程度のものだったのだろう。痛みという意味ではちっとも効いてなさそう。


「ちがっ、聞いてくれキャサリン嬢! 本当にあの子は俺ときみの子でっ」

「いつ! わたくしがっ、子を産んだというのですかっ」


 よし、今度はグーで殴ろうと拳を固め、振りかぶった。

 絶対殴る。

 ほんの少しでもダメージを与えてみせる。


 ──振りかぶったが、立ち上がったオーウェンにより、その手は掴まれ、止められた。


「あなたの手が、傷ついてしまう」


 ……その優しさすら、今は偽善のようにしか感じない。

 怒りから、わなわなと小刻みに身体が震える。

 手を掴んだオーウェンの赤い瞳が揺らいだ。

 不安げで、許しを請うようで。

 彼はキャサリンをそっと抱きしめた。


「俺も今日のことで混乱しているんだが……分かりにくいかもしれないが説明させてほしい」


 そんな説明聞きたくない。

 もうこの話はこれでおしまいだし、婚約だって今すぐ白紙に戻してやる……と思ったのだけど。


 抱きしめてくる彼の鼓動が──あまりに大きい。

 心臓が飛び出してくるのではないかと思うほど、バクンバクンと大きく鳴っている。


「…………」


 鼓動がおっきすぎて、こっちが驚く。

 ちらりと見上げると、彼は真っ赤な顔をしていて。


「…………まだ女性慣れ、しておりませんでしたの?」


 ちらりとキャサリンに視線をやった後、ふいっと恥ずかしそうに目を逸らした。





 ──キャサリンとオーウェンが初めて出会ったのは三年前。キャサリン十五歳の社交デビューの日。


 とある魔女が始まりだと言われているブライト侯爵家だが、滅多に女性が生まれなかった。

 銀髪に水色の瞳という色合いで、オーウェンとは違った神秘的な美しさをもったブライト侯爵家。

 その待望の娘ということで、社交界ではデビュー前から噂になりっぱなしだった。


 デビュー当日、兄とのファーストダンス後は男性たちに群がられ逃げようとしたものの、第三王子が会場を出てからもしつこく絡んできた。

 走って逃げていたところ、突然手を掴まれ、柱の陰に連れ込まれ──心臓が止まるかと思った。


「しっ。静かに」


 それがオーウェンだったわけだ。

 とはいえ、オーウェン自身も女性から逃げていた。


「オーウェン様、確かにこちらに行かれたと思うのだけど」

「今日こそ必ず踊っていただくわ」

「オーウェン様が任務以外で夜会に参加される機会、少ないですものね。この機会を逃がすわけにはいきませんわっ」


 探し回る女性たちの目が、ギラギラしていた。

 それとは反対に、オーウェンの顔は青ざめ、目が死んでいる。

 女性も第三王子もこの場から立ち去った後で、オーウェンはようやく自分がキャサリンを抱きしめる形になっていたことを思い出したのか、真っ赤な顔で手を放した。


「も、申し訳ないっ」

「いえ、とても助かりました。ありがとうございます。ブライト侯爵家のキャサリンと申します」

「あ、オーウェン・ノワールと申します。普段は近衛騎士の任についております……」


 間抜けな自己紹介だった。

 すでに情けないところを見せてしまったからなのか、オーウェンは身の上を語ってくれた。


「──では女性が苦手、ということですの?」

「力が強かったみたいで、昔、妹に怪我をさせてしまったことがあって。それから怖くて女性を避けてたんだ。騎士は滅多に女性いないし……」


 長身の男が、二回りくらい小さく見える。

 彼の名は、当然のことながら知っていた。けれど、聞いていたイメージと全然違う。

 シュンとしょげた様子の彼がかわいく見えて、キャサリンはクスッと笑った。


「それは──力加減の問題ではないのですか? 慣れれば問題ないのでは?」

「でもどうやって」

「わたくしの手を握ってみてください。痛かったら言いますわ」

「え」

「先ほど助けてくださったのでお礼です。今だけ協力いたしますから、慣れていきましょう。このことは秘密にいたしますから。それに……先ほど手を引かれ、抱きしめられた形になったときの力加減は問題ございませんでしたよ?」


 思い出したのか、カッとまたしても頬を染めたオーウェンと、手を握り、力加減の練習をしたのだった。





 ──あれから女性に慣れたのだろうと思ったし、五年前に子供を作っていたのなら『そういう行為は問題なくできたのだな』というイメージを今回持ち、勝手に裏切られた気になってしまったのだ。

 女性慣れしてないということ自体が、嘘だったのかとすら思って。


「頼むから説明させてくれ」


 あまりに真剣な面持ちだったから、話は聞くべきかと聞いてみたところ──最初の感想はこれだ。


「なるほど……オーウェン様。オーウェン様の場合、最初に結論のようなもののみを告げるのはやめた方がよろしいかと思います」

「だが回りくどい言い方をするよりもいいかと」

「オーウェン様のそれは結論ではなく、途中経過です。重要なことはそこではないです」


 それは『レオナルドがオーウェンとキャサリンの子』という話のことだ。

 確かにそれも重要だが……一番はそれじゃない。


「──信じてくれるのか?」

「あなたがこんな凝った話の嘘をつくとは思いませんし、レオナルド様を見るとその可能性は高いのだと思います。つまり必要なのは──私の『血』ですね?」


 庭で遊ぶレオナルドを窓越しに眺めながら告げると、オーウェンはしばらく気まずそうに目を泳がせた後、大きく頷いた。



 ──これから六年後に、治療法のない病が大流行する。

 治療法を模索する中で、キャサリンの実家、ブライト侯爵家の血がその病に多少なりとも効くことが判明した。

 だが効力が弱い。ブライト侯爵家の中ではキャサリンの血が一番効力が強かったが、それでも有用ではない。

 研究に協力していたブライト侯爵家とノワール公爵家は、ある結論に達した。

 別の血が混ざったことで、キャサリンの血の効果が弱まったのだと。

 つまり──キャサリンが処女の時ならば、その効果は最大限に有効だったと。



「ノワール公爵家には秘術がある。この瞳を犠牲にすることで一度だけ過去に人を送ることができる……と言われているからそれを使ったのだろう」


 レオナルドは今朝、突然オーウェンの部屋に現れたのだと言う。


 少年は未来のオーウェンとキャサリンから手紙を二通持っていた。

 オーウェン宛とキャサリン宛だった。


 キャサリン宛の手紙を読むと、レオナルドの弟、つまりオーウェンとキャサリンの次男が病に罹り、どうしても救いたいという旨の話が書かれていた。


 つまりレオナルドは未来から来たキャサリンたちの子供ということだ。

 最初からこの手紙を見せれば良かったのに。

 確かに筆跡は自分たちのもの。

 とはいえ──。


「まだ婚約したばかりで、もう少し私たちの信頼関係を築いてから来てくださってもよかったのに。時期の指定はできないのですか?」


 時期が指定できるのであれば、の話だけれど、さすがに婚約一か月で来られてもまだオーウェンの人となりもちゃんと分かっていないというのに。

 危うく話も聞かず、婚約を白紙にするところだった。

 すると、オーウェンがなぜか頬を赤らめ、目を逸らした。


「いや、あの……時期を指定してこの時期だった、らしい」

「……? なぜこの時期なのでしょう?」


 そのことについて、オーウェンはこの時に語ることはなく、ただ挙動不審に視線を漂わせていただけだった。





「かあさ……じゃない。キャサリンさまっ、ありがとうございましたっ」


 指定された魔法具にキャサリンの血を入れた。

 レオナルドは魔法具を大事そうに抱えて、ニコニコしていた。


 でも……とても我慢しているように見えて。

 子供のことは分からないけど。

 五歳の子にこんな大役を任せるなんて、とレオナルドの前に跪き、ギュッと抱きしめた。


「──レオナルド様は、頼りにされているのですね。それに報いるべく、とてもがんばっているのだと思います。すごいことです。……心細かったですよね」


 六年後ならば、自分は今とさほど顔は変わらないだろう。

 けれど母とは呼ばないように言われたのではないか。混乱するから、と。

 だから「キャサリンさま」と呼ぶのではないか。


 自分の弟のために。

 家族の願いのために。

 彼は言っていた。

『ぼくがいくって、ぼくがひとりでいくって、ちちうえにいったんです』と。


 五歳の子が一人で過去に渡る決意はどれほどのものだっただろう。

 だからといって、怖くないはずがない。

 ──ただ、我慢していただけじゃないのだろうか。


 抱きしめたレオナルドは、硬直していた。

 だがやがて、魔法具を持ったままの身体を小さく震わせ、しゃくりあげ泣き始めた。


「……っ、ひっ……く、う」


 こんな小さな子が一人で怖かっただろう。

 初めて会ったとき、きっと彼はキャサリンを母だと思ったのだ。

 でも過去に戻ったことで、今のキャサリンの中に自分は存在しないということを知ったのだろう。

 あまりのいじらしさに、自分の視界が緩んでくる。


「会ったばかりですが、私はあなたが誇らしいです。勇気があってかわいくて頼もしくて。レオナルド様。きっとあなたは私の世界一の宝物なのです。未来で会えるのを──楽しみにしていますね」

「っ、かあさまっ」


 頭を撫でると、その小ささに驚く。

 切ないほどに愛おしい。


 しばらくしてレオナルドはそっと離れ、袖口で自身の涙を拭った。


「じゃあ、ぼくいきます。みんなまってるから」


 ニコッと笑った彼を、オーウェンが突然ひょいと抱きかかえた。

 レオナルドを片手で抱きかかえたオーウェンも、彼の頬をそっと撫でる。


「レオナルド。きみの勇気と強さが俺も誇らしいと思う。勇気って最初からたくさんあるものじゃないんだ。きっと……ふり絞ってきたんだよな。がんばったんだな。子どもにここまでがんばらせておいて大人は何をやってるんだと思うけど、皆がこれを選んだんだから、きっと最善だったんだろう。レオナルド。──頼んだぞ」


 レオナルドの抱えた魔法具を、オーウェンがそっと触った。

 少年はきりっとした顔になり、にやりと得意げに笑い頷いた。


「じゃあ、とうさま、かあさまっ! また、未来でっ!」


 ポケットから取り出したビー玉のような魔法具を床に打ち付けると、レオナルドが光に包まれた。


 ──光がおさまったときには彼の姿は消えていて。



「そういえば、なぜこの時期だったのでしょうか」


 首を傾げたキャサリンに、真横にいるオーウェンは言葉を詰まらせた。

 何度か咳払いをし──彼女の細い指に指を絡める。

 キャサリンが驚いてオーウェンを見つめた。


「……どうやら俺は──結婚まで我慢が利かず、かなり早い時期にきみと同衾してしまうらしい」

「……へっ!?」


 令嬢らしからぬ、素っ頓狂な声をあげてしまったキャサリンは一気に頬が熱くなった。


「この婚約は……俺が父上に願い出たんだ。あの日、夜会であったきみを忘れられなくて」

「っ! それならそうとおっしゃってくだされば」


 つないだ手が、熱い。

 見つめ合った二人は、どちらからともなく顔を近づけた。


 その瞬間──。



「──ひゃっ!? …………オ、オーウェン様!? なぜここに?」


 いきなり間近にオーウェンの顔がある。

 ついでになぜか手を繋いでいる。


 意味が分からず、二人で慌てて、わたわたと距離を取った。

 きょろきょろとあたりを見回す。

 直前まで何をしていたか、全く覚えていない。


「キャサリン嬢こそなぜここに……というか、ここは──我が家ではないな?」

「うちの屋敷です」


 頬を赤らめたままの二人は、応接室のテーブルに置かれた手紙らしきものを見つけた。

 けれど──そこには何も書かれていなかった。


 二人は状況が分からず、しばらく首を傾げていた。

 ただ、胸になにか大切なものがあったような、それがなくなったような……そんな気がしていた。



 ◆◆◆



「二人分の両目が必要だが問題ない。父上は了承してくれている。俺と父上の分があれば、過去に一人を送って戻せる」

「ですがそれではお二人とも、何も見えなくなってしまうではございませんかっ」


 なんでもないように言ったオーウェンの言葉に、キャサリンは泣きそうになった。

 未曽有の危機に陥っているこの国。

 王族もこの病に罹り、ついにはわが家の二歳の次男にまでその病魔は迫った。


 研究を重ねた結果、キャサリンの血が最大限効果を発揮したであろう時期に戻れば、その血を基に薬を作ることができるのだという。


 ノワール公爵家秘伝の魔法に、過去にさかのぼることができるというものがある。

 二十歳以上の大人の赤い瞳四つを差し出すことで、人間一人を過去に送れる。ただし、瞳を差し出す本人がそれを本心から望んでいない場合、術が発動することはないらしい。

 必要なのは『大人の赤い瞳』と『強い意志』。

 すでに亡き者の瞳を保存していても、無意味ということ。

 それで過去に戻り、過去のキャサリンの血をもらいに行こうとしているわけだが……公爵と公爵嫡男の両目が見えなくなってしまえば、この先どうなるのか。


「息子の命には代えられない」

「…………」


 そんなことは分かっている。

 次男の苦しそうな様子を見ていると、一刻でも早くこの状態から解放してやりたいと思うし、その命が助かるためなら自分の命すら惜しくもないと思う。


 だがそれは、『自分』だからだ。

 夫や義父を犠牲にして、なすべきことなのかが分からない。


 そのとき、かわいらしい声がした。


「──こどもがいくなら、四つもひとみはいらないみたいですよ」


 いつの間にか部屋に入ってきていた、長男のレオナルドだった。

 五歳ながら、魔法の勉強が大好きで今もノワール公爵家秘伝の魔法書を抱えている。

 そこには十歳までの子供を送るのなら、必要な大人の瞳は二個だと小さく記載されていた。


「え?」

「とうさまとおじいさまの片目ずついただければ、ぼくがいけます。……ぼくがいく。いかせてください! だって……両目がなくなっちゃったら、とうさまもおじいさまもぼくのことみえなくなっちゃうんでしょ? むかしのかあさまの血があれば……たすかるんでしょ!?」


 ベッドで苦しんでいる弟を見つめて、自分の手を固く握っている。

 ふと寝ていた弟の目が薄らと開いた。

 兄を見つめ、ふわりと目を細めた。


「…………にい、しゃ」


 仲の良い兄弟だ。

いつも兄の後ろをついて回る弟と、弟想いの兄。

 レオナルドの親友も、今は病に伏している。


「ぼくが、みんなをたすける。それにぼくなら……ノワールのうちの子だってすぐわかるでしょ?」


 ニカッと笑っていたけれど、その顔がこわばっているのなんて母親なんだからすぐわかる。

 その身体が小さく震えていることだって気づいてる。


 これが本当に最善なのだろうか。

 どんな危険があるかもしれない、時間渡りを小さな息子にさせることが。


 何度も自問自答し、みんなで話し──。


「ぐだぐだいってる間にみんなしんじゃうかもしれないっ! そしたら、ぼくだってこのびょうきにかかるかもしれない。いましかできないんだっ!」


 宝石のように赤い両の瞳を潤ませた彼に、キャサリンたちは託すことにした。




 ──出発前のレオナルドを、キャサリンはきつく抱きしめた。


「必ず無事で戻ってきて。みんなのことも大事だけど、あなたのことが大事なの。母様の一番の宝物を、必ず戻して」

「……それ、ぼくのこと?」

「当たり前でしょ。世界で一番大切な宝物よ」


 オーウェンとノワール公爵の左目は、眼帯で覆われている。

 ──眼帯の下はすでに空洞だ。


 過去の自分たちにしたためた手紙を、レオナルドに持たせた。

 怖いだろうに、それを押し殺して懸命に笑う息子がこれ以上不安になることがないように、キャサリンたちも笑みを浮かべた。


「きっとなにも問題ない。大丈夫だ。多分信じてもらうには時間がかかると思うが、焦らず平常心で。楽しむくらいがちょうどいい。この魔法玉を砕けばすぐ戻れるから」

「帰ったら、大好きなキッシュを焼いてもらいましょうね」


 まばゆい光が、レオナルドの足元を照らす。


「じゃあ……いってきますっ!」


レオナルドは片手をあげニカッと微笑み、姿を消した。


 過去に行き出会った人は、レオナルドが元の世界に戻ると同時に、その記憶を失う。

 それを知りつつも、レオナルドは向かった。


 ──未来のために、過去へ。




〜完〜


タイムトラベルものを書いてみたくて一気に書き殴ってしまいました。設定ゆるゆるな異世界ファンタジーということで。

拙いものをお読みいただきありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけていたら幸いです。



⭐︎追記(12/26)⭐︎

たくさん読んでいただき、総合日間ランキング1位(12/25.12/26)になってました。

素敵なクリスマスプレゼントをありがとうございました。

お礼に小話を一つ。

レオナルドが【秘密のトンネル】に反応した理由です。

蛇足になるので、レオナルドが過去に飛ぶ少し前の、ノワール家ほのぼの日常を知りたい方だけお読みください。


↓ ↓ ↓ ↓


***小話【秘密のトンネル】***


「ふわぁ~! おはなのトンネルだっ」


 キャサリンたちは子供二人を連れて、王立庭園に来ていた。

 そこには大人二人がゆったりと立って歩けるようなアーチ状のトンネルがあった。

 咲き誇った色とりどりのバラが美しい。

 宝石みたいな赤い目を輝かせ、キャッキャッとはしゃぐ息子二人にキャサリンとオーウェンは目を細めた。


「母様の実家のお庭にもトンネルがあったのよ」

「かあさまのおうちのトンネル……みたことないです」

「レオナルドが生まれる前にお庭を大改装してね。トンネルなくなっちゃったの」

「どんなのだったんですか?」

「大人はすっごく小さくならないと通れないくらいの大きさでね。今のレオナルドなら走って通り抜けられるくらいの……──秘密のトンネルなの。通り抜けた先にはね、子供の頃の母様が大好きな場所があったの」

「なに!? トンネルとおったら……なにがあるの!?」


 早く教えて! とドレスの裾を引っ張りながらレオナルドが見上げてくる。

 敬語を勉強中だけど、まだ感情的になるとすぐに口調が戻るのがかわいい。


「ふふふっ! 秘密のトンネルを抜けるとね、一面のお花畑とブランコと……木の上におうちがあったの。子どもだけのツリーハウスだったのよ」


「えーーっ! ツリーハウスって、えほんにでてくるあのおうち? いいなぁ。ぼくもあそびたかった……」

「母様も見せてあげたかったわ」


 子供しか素早く通れない緑のトンネルを抜けた先にはツリーハウスがあったが、残念ながら庭の大改装と共になくなってしまった。

 ツリーハウスから見ると迷路のようになった庭の造りや屋敷の様子がよく見えて、なんだかワクワクしたのだ。


「我が家にもツリーハウス作ろうか?」


 残念そうなレオナルドを見て、オーウェンが提案する。

 レオナルドはうーん、と首を傾げ悩んだあと「……ううん、いらないです」と言った。


「だってあぶなそうだから。でも……ちょっとだけみてみたかったなぁ」


 レオナルドに向かいトテトテとアンバランスに歩いてくる満面の笑みの弟を見つめながら、呟いた。


「にーしゃ!」


 ガシッと小さな身体がレオナルドに抱きつくと、レオナルドもぎゅっと抱き返し、破顔した。

 弟がかわいくて仕方がないらしい。

 小さな弟がツリーハウスを登り、危ない思いをするのを心配してるのだろう。

 確かに下の子だとかなり危ない。というか無理だ。

 レオナルドが遊んでいたら、下の子も気になってツリーハウスに登りたがるだろうし。


「とうさま、かあさまっ! はやくっ!」


 トンネルをどんどん進んでいく息子たちが、キャサリンたちを振り返り手を振った。


 ──もうなくなってしまったあのツリーハウスが、もしもまだ実家に残っていたとしたら。

 下の子はまだ危なすぎるけど、レオナルドだけなら連れて行けたかもしれない。

 

 あの小さなトンネルを抜けた時の光景を目にしたら、どんな反応をするだろう。

 色鮮やかで、手作り感あふれるあのツリーハウスを見た瞬間、キラキラと目を輝かせはしゃぐことだろう。

 でも……。

 たくさんはしゃいで遊んで、ふと冷静になったときに……彼はきっと弟のことが恋しくなるんじゃないか。

 あのツリーハウスで一人、泣いてしまうかもしれない。

 本当はとても寂しがり屋だから。

 やはり下の子が大きくなったときに遊べる場所を作るのがいいなと思った。


 「すぐ行くから待って」と子供に言うと、キャサリンにオーウェンが手を差し出した。

 赤い両の瞳がキャサリンを見つめ、やわらかく緩んでいる。 

 木漏れ日の中、愛する人と共に歩くその先には、何よりも大切な宝物がふたつ。


 ──病魔が王都を襲い始める半年前の、ある昼下がりのことだった。



~小話完~



ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。

ブクマ、評価、いいねなどで反応していただけると今後の投稿の励みになります。ポチッとしていただけるとすっごく嬉しいです……!

※誤字報告、本当にありがとうございます!!

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