24.結婚の魔法
「――契約魔法」
アリスが言ったそれが魔法であることはすぐにわかった。慌てて離れようとしたが、時すでに遅し。魔法の糸のようなものが全身をあっという間に包み込んで、痛みとかはないけど思うように動けなくなる。そうかと思うと、糸は体に染み込むように、すっと消えてしまった。
「……よし。これで完了」
俺の額から手を離してそう呟くアリスは、さっきまでの幼い感じはどこへやら。いたく落ち着いた、まるで別人のように見えた。そして視界の端では山田さんと更科さんがあわあわとした様子でこちらを見つめている一方、ヤウルさんは呆れた顔を、カフィさんはあらあらと声が聞こえそうなニコニコ顔である。
「えっと、アリス?さっきのは魔法だよね?何をしたの?」
俺がアリスに向き直って尋ねると、やっぱりさっきの甘えた感じはアリスには一切なくなっている。
「そう、契約魔法っていう魔法。自分と相手の両方に、いろいろ制約とかをかけるの。お互いの同意は必要なんだけどね。でも、だから結婚する時にはこれをするものよ」
「結婚って……」
俺が戸惑いの最中にいると、後ろからヤウルさんが「アリス!」と怒りながらやってくる。
「何やってんだお前は!」
「何って、結婚するんだから契約魔法を使っただけよ?」
「お前、結婚ってなあ……」
さも当然、という風に答えるアリスに、はあ、とヤウルさんはため息をついてから今度は俺に体を向ける。
「イグルミさん、うちの娘がすみません。さすがに結婚っていうのは本音ではないに決まっているんですが――」
「ちょっとお父さん、そんな訳ないでしょ。ねえ?トーヤ。本当よね?嘘じゃないわよね?」
「え、ああ、うーん……」
はいもちろん結婚だとかは本音ではないですが、そしてさっきまでの彼女とはまるで別人のようですが、ここで嘘だと答えるのもなんだかかわいそうだよなあ、なんなら教育にもよくないよなあ、とそんなことを思っていると。
「イグルミさん。たぶん勘違いしていると思うんですけど、この子はもう皆さん基準では子どもとは言えないんですよ」
「どういうことですか?」
「私たちは人間種よりもずっと長命ですし、身体的な成長も緩やかなんです。例えば、イグルミさんには私が何歳に見えますか?」
ヤウルさんが?まあアリスのお父さんってわけだし、見た目からしても……。
「三十歳くらいですか?」
俺が答えると、静かに首を振る。まあちょっと若く見積もったところはあるし――。
「八十歳です」
「「八十歳!!?」」
俺と、いつの間にか近くに来ていた更科さんが同時に声を上げる。いやいやどう見ても、まだまだ元気なお兄さんといった風にしか見えない。ということはたぶんカフィさんも同じようなくらいなんだろう。少なくとも、二人とも八十歳には到底……。
「なのでアリスも――」
動かした視線の先、変わらぬ表情でアリスは言う。
「私は三十歳ね」
「「三十歳!!?」」
えっと、つまり……。
「……俺より年上ってこと?」
「そうなの?まあ、そういうこともあるかもしれないわね。トーヤは何歳なの?」
「二十二……」
「へえ。お姉ちゃんは?」
「私?私は二十三歳だよ」
「二人とも、思ったよりも幼いのね」
「幼い……」
まさか子ども(見た目は)から「幼い」なんて言われる日が来ようとは思わなかった。
「それで、結婚。してくれるのよね?」
「結婚!?」
更科さんが声を上げる。
「灯哉くん、結婚するの?この子と!?」
「いやあ更科さん。ちょっと誤解というかですね……。ああ、えっと、アリス、本気なの?……なんですか?なの?」
「もちろん。なんで?」
何を気にすることがあるの?と言わんばかりにアリスは答える。とにかく、何とか誤魔化す方法とかを探さなくてはいけない。
「俺が「幼い」くらい歳下だったから、てっきり辞めたのかと思って」
「トーヤは歳がちょっとでも離れてたら結婚しちゃ駄目だと思ってるの?」
アリスは真っ直ぐに俺を見ながらそう言う。あまりにもアリスが当たり前のように言うものだからつい「いやいやもちろんそんなわけないじゃん!」と答えそうになったけど、いやまあ間違ってはないけど、どちらかと言うと問題は身体的な差だと思うんだよね。さらに、きっと八歳差というものの感じ方が人間の俺と違うのはなんとなくわかる。そして山田さんと更科さんが「頑張れ!なんとかしろ!」という視線をさっきから送り続けている。痛い痛い。
そうしてなかなかに困っていると、ヤウルさんが声をかけてくれる。
「イグルミさん、あんまり気にしないでください。ここだとアリスも同世代の男がいなかったりで色々と世間知らずなところもありまして。きっかけはわかりませんが、こういうことに興味があるのも今だけだと思います」
「ちょっと、そんなことないんだけど。それにトーヤは私を助けてくれたんだから!」
アリス(歳上)が腕に抱きつく。あわわわわ。
「ちなみにヤウルさん、さっきの魔法の制約って、どんなのがあるんでしょうか……?」
契約魔法とアリスが言っていた魔法。アリスはさっき、お互いに制約をかける魔法だと言っていた。現実世界では結婚式に誓いの言葉を交わすけど、別にだからといって、例えそれを違えても当然何も起きやしない。ただ魔法であれば別かもしれない。
そんな心配をしていたけど、ヤウルさんは明るく答える。
「安心してください。契約魔法は大した効果もない魔法ですので。一概に契約魔法といっても差はありますが、さっきのだと『どちらかに危機が迫ると相手にそのことと居場所が伝わる』というものです。結婚の時の、といえばこれが一般的です。効果こそそれだけですから」
俺はそれを聞いてちゃんと安心できたけど、不満そうなのはアリスの方。
「そうなの?それだけ?」
「ああ、それだけそれだけ。結婚って言っても大したもんじゃないだろ?だからイグルミさんとの契約魔法はちゃんと解除して――」
ヤウルさんがそう促すが、アリスが首を横に振る。今度はヤウルさんが困ってしまった様子。
「まあまあヤウルさん、大丈夫ですよ。お互いに危なくなったら知らせてくれるんですよね?じゃあ、またアリスが危なくなったら僕がなんとかできるように頑張りますから。ね?アリスもそれでいい?」
アリスはそれに、強く頷いた。
ヤウルさんは渋い顔だけど、俺としても思うような「結婚」と違うことがわかったし、さっきの魔法も特に問題があるわけでもないとわかったのだから十分。
「それにしても、どうしてアリスは結婚だなんて言い出したのか……」
ヤウルさんがそう呟くと、アリスは当然という風に答える。
「ママ」
「え?」
「ママが言ってたの。『私たちは同族にだってほとんど会えないんだから、いい相手を見つけたら逃がさないようにしないと』、って」
「ママ!?」
それを聞いたヤウルさんがカフィさんにぎゅん、と顔を向ける。そのカフィさんはというと、特に反省する様子もなくにこにこしたまま。
「あらあら、そんなことも言ったかしらねえ?」
「ママ……」
力なくヤウルさんが零す。まあ、カフィさんとしてもこんなことになろうとは考えてもみなかっただろう。たぶん。
そしてがっくしとした様子のヤウルさんの肩に、山田さんがいつになく優しい眼差しでそっと手を置く。
「ヤマダさん……」
「ヤウルさん、お互い頑張りましょうね」
「はい……」
二人で視線を合わせると、ゆっくり頷いていた。教育者として、深く言わずとも通ずるものがあるんだろうな。
「ま、頑張ってよ、灯哉くん?」
そう言いながら俺の肩に手を置く更科さん。なんで楽しそうなんですか。
「……お姉ちゃんも、トーヤと結婚したいの?」
「え?」
「アリスさん?」
アリスがあまりに真剣な眼で聞くもんだから、思わず更科さんは吹き出す。
「ははは!大丈夫だよー。私はこのお兄ちゃんのこと盗らないからねー」
それを聞いて安心した様子のアリス。
「更科さん、楽しんでますよね?」
「え?まさかまさか!楽しんでるなんて!」
そう笑顔で答える更科さん。アリスもずっと表情は変わらないけど、どこか笑顔に見えた、気がした。
そんななか俺は、誰にも助けられることができないことを悟り、ただどうしたものかと頭を抱える他なかったのだった。




