23.少女の目覚め
マスヴァラ、もしくはアリスとの戦闘。そして魔族に対して異常なまでの敵対心を持った勇者の登場。そんなことが続いたことで心身ともに疲れきった俺たちはそこから動くこともなく、ただ俺たちイセカイ運輸の面々に繰り返しお礼を言うヤウルさんとカフィさんと、眠るアリスが目覚めるのを待っていた。
「――ところでイグルミさん。マスヴァラに何をしたんですか?」
ヤウルさんが、こちらを見ないまま静かに尋ねる。
「……何のことですか?」
「惚けないでも流石にわかりますよ。さっき急にマスヴァラの様子がおかしくなったのは、イグルミさんが何かされたからですよね。サラシナさんもご存知なんですか?」
自分の名前が挙がり、どうするの?と更科さんが俺をちらちらと様子を伺う。一方、山田さんは何のこと?と俺たちの顔を交互に見る。
……できれば秘密の方がいいって言われていたけど、バレているのなら仕方がない。
「そうですね。今さら黙っているのも無理ですよね」
「ありがとうございます。魔法ですか?」
「いえ、魔法じゃないんですが、たぶん体験するのが一番早いと思います。……ヤウルさん、ちょっとだけ、すみません」
「え?」
俺はそう断ってから、顔を上げたヤウルさんをじっと見つめる。じっと、見つめ続ける。
「――ああ、そういうことですか」
どうやらちゃんと効果があったらしい。俺は視線をヤウルさんから外す。逸らした視線の先にいた山田さんは、いよいよ不思議そうな顔をしていた。
「魔法ですか?私が思うに、仕組みは違いましたが、魔族にも似たような魔法を使える者がいた覚えがあります」
「僕は人間種なので魔法ではないですけど――」
答えながら俺は例の目隠しをして、例の魔法を唱えると、暗い視界が布越しにはっきりと見えるようになった。
「でも似たようなものだとは知り合いに言われました。お話したように僕たちは異世界から転移しているので、そこで得られた特殊能力みたいなものらしいです」
「……ねえ、それ詳しく教えてもらえる?」
我慢できないというふうに山田さんがおずおずと声をかける。
「どうやらですね、僕の目に見つめられた魔族や魔物は力が上手く使えなくなるらしいです」
「ああ、やっぱり弋くんも持ってたんだな。早く言ってよ〜」
「なかなか言うタイミングがなくって」
笑顔で答えたけど、実際のところ言えなかった大きな理由は別にある。
俺のこの能力(転移者に発現する特殊能力で、転移者は「スキル」と呼んでいる)をできるだけ秘密にするように助言したり、また目隠しをしても目の前が見えるようになる魔法を教えてくれたりしたのも、あの魔王だからだ。山田さんには魔王と、俺や更科さん、シェナさんとの関係はまだ秘密のままだし、ヤウルさんたちの言っていた魔王像を聞いた今、なおさら話す訳にはいかなかった。
「とにかく、皆さんのおかげでマスヴァラも倒して、こうしてアリスも無事に帰ってきました。本当にありがとうございます!」
「いえいえ、俺たちこそお二人がいなければどうなっていたことか……ねえ?」
代表として答えた山田さんの言葉に、俺と更科さんは深く頷く。確かにマスヴァラを倒すきっかけは俺たちが作ったかもしれないけど、決定打を与えたのは間違いなくヤウルさんだし、そもそも二人がいなければ俺はすでに死んでいた。
「……まあ俺は何もしてないけどね」
ボソッと、悲しそうな顔をして山田さんが呟いていたのが聞こえた。「そんなことないですよ!」と大声でそう言いたかったけど、マスヴァラとの戦闘においては特に山田さんに出番がなかった事実を思い出し、なんと言っていいものかと俺も更科さんもあたふたしていると。
「……んん」
「アリス!!」
ついに眠っていたアリスが目を覚ました。そんな彼女をヤウルさんとカフィさんが抱きしめる。
「ふぐっ!」
一瞬アリスが苦しそうな声を上げたが、そんなことお構い無しの二人。というかたぶん聞こえてない。しかし、嬉しそうな二人を見ていると俺たちも嬉しくなる。
「良かった……!良かった、アリス!」
「ごめんね、怖い思いをさせて……!」
二人は我が子に抱きつきながらそう言葉をかけるが、肝心のアリスにとってはそれどころではない。
「苦しいんだけど〜!」
「ああ、ごめんごめん!」
アリスに言われ、二人は慌てて抱きしめるのをやめる。でもその顔は、確かに晴れやかだった。
そんな様子を微笑ましく見ていた俺たちイセカイ運輸の三人。するとアリスはこちらをじっと見つめる。
おっと。知らない人たち、それも魔族でもない俺たちが揃って自分たちを見つめているのはさすがに変に思うのは当然のこと。
「ねえ、そこのお兄ちゃん?」
その視線の先には。
「……僕?」
「そう。お名前は?」
「弋灯哉だよ」
「なんて呼べばいい?」
「そうだなあ。じゃあ、『灯哉』がいいかな」
「そうなんだ。……お父さん、トーヤが私を助けてくれたお兄ちゃんなのよね?」
「ああ。確かにそうだけど、覚えているのか?」
「うん」
そういえば、マスヴァラの魔法が解けたあとに意識が戻ったような瞬間があった気がする。でも今の俺は目隠しを着けてるし気づかないものかと思ったけど、よくわかったものだ。
そんな事を思い返していると、アリスがてくてくとこちらに歩いてきて、俺の手を握る。そして皆から少し離れたところに連れて行かれると、今度は俺に頭を下げろと手のひらをひらひら、合図する。
「はいはい」
俺はそれに従ってその場で腰を落とすと、アリスは耳元で小声で言った。
「私と結婚して?」
………………。
思考が停止する。
聞き間違いかな?と思って頭の中でさっきの言葉を繰り返す。ただ俺には特にそれらしい、聞き間違えたような言葉は思い浮かばなかった。
「ええと……?」
でもやっぱり聞き間違いかもしれない。というか普通に考えればそうだろう。そう思ってアリスを見ると、甘えたような表情でこちらを見ていた。聞き間違いでは、ないらしい。
「……ダメ?」
「ええと……」
そうだ。俺はもう社会人。大人なんだ。一瞬でも子どもの言葉を真に受けて考えてしまうなんて、俺も大人としてはまだまだだったということ。こういう時こそ余裕をもって即座に返すのが大人としては正しいはず!俺はゆっくり、優しく答えた。
――少なくとも、現実世界ではそうであるはずなんだと、今になってもそう思っている。
「そうだね。アリスちゃんがもう少し大きくなったらね」
「アリス、でいい。あと、大きくなったらじゃなくて、今がいい」
「うーん……わかったよ。いいよ」
「本当に?」
「ほんとほんと」
「じゃあ約束して?」
「約束?いいよ。指切りげんまんとか?」
「?そういうのじゃなくて――」
するとアリスは俺の額に手を置く。
「ん?」
「――契約魔法」
「えっ……あっ、ちょっと!」
アリスの言葉で現れた糸のようなもの。俺は抵抗する手段もなく、あっという間に、ただそれに包まれるのを受け入れるしかなかった。




