18.秘密のこと
俺、弋灯哉がキテレツ運輸という異世界企業――いや逆か。いや、別に間違ってもないか――に就職してから、早くも三ヶ月が経とうとしていた。
「――えっ?もしかして本当に入社して三ヶ月が経とうとしている?」
「いやいやーおかしな事言わないでよ灯哉くん!そんな三ヶ月なんて……って嘘。本当に三ヶ月も経つの!」
俺は更科さんより一つ年下でした。それが判明した途端に敬語の「け」の字も無くなった彼女と、人生の後輩で職場の先輩の俺自身が、二人して脳内で驚いている。しかしほんと、時間が経つのってあっという間。学生時代はこれほどじゃなかったのに。なんなら仕事柄、アーウェズトにいるだけでも実際に時間はかなり長くなっているのに。
とはいえあれから――具体的に言うと、俺が初めてアーウェズトに転移をした日、そして更科さんが同僚になったあの日からの日々は、そのたった一日に比べれば実に大したことのない毎日だったと言ってもいいんじゃないかと思う。
仕事を始めて一週間くらいは更科さんとともに山田さんにアーウェズトを案内してもらい、何度かシェナさんとダロさんのギルド二人と話をした。山田さんからすれば俺に早くアーウェズトと、この仕事に慣れて欲しいという思いがあったんだろう。更科さんもアーウェズトには何度も来ていたけど、やっぱりお客さんでいる時には訪れることのない場所も多くて、見学の最中は俺と似たような気持ちでいたらしい。
そんな期間も終わると、今度は「スリロス」について考える時間が多くなった。
スリロス。俺がトラックに轢かれて初めて転移した異世界で、アーウェズトとは違い、完全なる人工の世界。山田さんに言わせれば、「スリロスのことはアーウェズトみたいに異世界と思うよか、ゲームの世界と思っといた方がわかりやすいよ」とのこと。アーウェズトとの転移の原理をそのまま転用して、ただし転移先としてイセカイ運輸が創った世界が「スリロス」。なんでそんなことができているのかと言うと、これまでにも何度か山田さんとの話の中で登場していた「佐藤さん」なる人物のお陰だそう。それって科学とかでどうにかなるもの?どんな特殊能力者?と思ったけど、あんまり山田さんも話したことは無いそうで、その上で彼のことを話したがらないあたりは特別人物ということらしい。少なくとも俺にはそう聞こえた。
スリロスは、言ったようにイチから創った世界。つまり地面から空、森の木々やそこに生きる動物というか魔物から、立ち並ぶ建物類、果ては転移先の自分自身の委細まで完全なる作り物で創り物、作り者で創り者だ。だからこそ、これまで常態的に人が不足していた探索部ではスリロスの作成や運営は全くと言っていいほど手が回っていなかった。そりゃあ世界を創るなんて、神様でさえ七日間かかったんだ。それだって成功例なんだから、たぶん何度も失敗したことだろう。それをただの人間が一人でやろうなんて、ね。
しかし急遽新たに職員が二名も追加されたので、やっと本格的に進めていこうかと、そんな運びとなったのだった。さらには更科さん、ベータテストみたいな試作段階のスリロスにたまたま会社側の誘いで何度か参加したことがあって、いわばスリロス経験者だった。あら偶然。
そんなわけで、我らが探索部は新たな段階へと歩み始めたのだった――。
――さて。
ここはアーウェズトギルド。現実世界ではけたたましい蝉たちがカルテットだかクインテットだかメニメニテット(要はたくさんということ)している八月も中旬。アーウェズトには季節の概念がないが、なんだかちょっと暑い気もする。
「今日もヤマダさんは来てないんだね?」
「はい。今日も山田さんは来てないんです」
シェナさんの言葉を、同じ言葉しか話さないNPCのように更科さんが淡白に繰り返す。アーウェズトには毎日顔を出しているけど、ここ最近は毎日同じやり取りをしている。
山田さんによるアーウェズトの観光ツアーを終え、俺たちがスリロスを作り出そうと動き出したその日を境に、山田さんは別の用事でアーウェズトに来れない日が多くなった。職場では毎日顔は合わせるし、どうも社長に呼ばれているようだけど、俺たちが理由を聞いても言葉を濁すばかりで何も教えてはくれない。何か秘密裏にやっているようだけど、この会社にいると秘密なんてのは慣れっこで俺も更科さんもあまり気にもしていなかった、のだが。
「そうは言っても、さすがに山田さんからは何も教えてもらっていないので俺たちも気になってるんです。シェナさんとダロさんは何も聞いてないですか?」
「うん?そうだね。私たちも何も聞いていないよ。まあでも、何かを隠してるものを無理やり暴こうというのもあまりいいことでは無いからね、このまま放っておくのがいいんじゃないかな」
「そうですよね……」
シェナさんの言う通りかもしれない。わざわざ秘密裏にやっているということには、それなりの理由があるはずだ。まあしかし、秘密にしていることが秘密になっていないがために、返って注目の的になっていることは否めない。
「それで今日はどうする?いつものやるかい?」
「シェナさんたちさえ良ければ、ぜひお願いします。更科さんは何かやることがありました?」
「ううん、何も無いよ。灯哉くんがやるなら私もご一緒させてもらおうかな!シェナさん、それでもいいですか?」
「もちろん構わないよ。じゃあ準備して。ダロもよろしくね」
「わかった」
俺たちはギルドを、そしてアーウェズトを北側の出口から出る。アーウェズトは東西南北その全方位に森がある、つまりは森の真ん中にある都市国家だ。
イセカイ運輸で働き始めてから、アーウェズトについては山田さんやシェナさんたちからたくさんのことを教えてもらった。
この世界はひとつの大陸でできていて、そのさらに周りが海に囲まれている。海と言っても水には塩じゃなくて魔力が充満していて、魔物の住処にしかなっていないようだけど。そしておよそ大陸の六割程度は魔物が暮らす森で、その他は人間種が暮らす各都市部や大小さまざまな町、そして大陸の南西部には、魔王率いる魔族領が広がっているという。
このように文字にすると実にわかりやすい構図になっているようだけれど、魔族や魔物によって人間種が住む土地を追われることもあれば、それを後になって魔物から取り返すこともあれば、人間種が森を新たに開拓することもある。要は大陸全体での大まかな図は容易に描けるが、細部は日々変化しているということだった。なお、土地の割合ではだいぶ人間種が劣勢だけど、魔物は住む場所を広げたいとかもそこまでではないらしい。
アーウェズトは大陸全体で見ればだいぶ北東の端に位置している。魔族領から見ればだいぶ遠くにあるわけだ。
「では始めるとしよう」
魔族領から遠いということは、つまりは魔族が少ないということ。そして魔族が少ないということは、人間種に強い敵対意識を持つ魔物もその分少ないことでもある。つまり、邪魔されにくいということだ。実際に俺たちはアーウェズトで魔族の襲来を目の当たりにしたし、襲ってくる魔物くらい普通にいるから、あくまで比較的、ということに過ぎないけど。
「イグルミさん、さあ、いつもの着けて」
「はい」
俺はポケットから長い黒い布を取り出す。そしていつものように、それで目を覆うようにして顔に巻き付けて端と端を結ぶと、布で視界は当然真っ暗になる。
俺は結び終えた左手のひらで目元を覆い、言われた言葉をそのまま呟く。
「暗きを照らす光よ」
それに応えるようにして、何も見えていないはずの目が、あるはずの布を忘れたように周りを見渡せるようになる。
ただ、せっかく選べたんだったらもっと魔法の詠唱ぽいのにしてもらえばよかったと今さら思わないでもない。クリアライト!とか、スーパーアイ!とか。……うん、どう考えてもそっちの方が恥ずかしいわ。
「よし。準備できたね。ダロ、今日はどうする?」
「そうだな。そろそろちょっと西の方面に行ってみるか」
「危なくない?」
「なんとかなるだろ」
「でもそうか。なんとかするのはダロの役目だからね」
「なんとかならなかったら頼んだぞ」
「はいはい――じゃあ行こうか」
「はい!」
若干恐ろしいことも耳に入ったけど、こうして俺たち四人は今日も森へ入っていった。




