表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ギタアの恩返し

作者: ライス中村

むかしむかし、といってもそこまでの昔ではありません。バンドブーム真っ只中の1990年代前半の東京の安アパートに、一人の大学生が住んでおりました。彼はA大学の2年生で、若者特有のセンチメンタルな逆張り心のせいで、入りたかった大学のバンドサークルにも勇気が出ずに入部できないままでいました。

彼は自堕落な生活を送りながら、気が向くとたまに家でこっそり、高校時代から続けているアコースティックギターの練習をして……、というような日々を過ごしていました。

なぜアコースティックギターかというと、彼は本当はエレキギターを弾くバンドマンに憧れていたけれど、当時の彼には楽器の知識が全然なく、とりあえず安いギターを買おうとたまたま選んだのがアコースティックギターだったのです。買い直すお金もないまま、彼はアコースティックギターをポロンポロンと孤独に弾き続けていたのでした。


さて、今日は出席しなければいけない講義があったので、彼はしぶしぶ大学に出向きました。

ぼーっとしながら大学での時間をやり過ごしたあとで、彼はフラフラ街に向かいます。「大学生が、目的もなく街をうろつくのは"粋"だ」という考えがあったからです。

特にこれといった行き先もないまま、賑やかな商店街を進んでいる途中のことです。彼はなんとなく脇道のほうが気になりました。そのまま導かれるかのように脇道に逸れて歩いていってみると、そこには、今にも崩れそうなビルの壁に立てかけられて、ボロボロのエレキギターが置いてあるではありませんか。

彼は自分ではエレキギターを所有していないながらも、未練タラタラなエレキギターへの憧れから色んな知識は身につけていたので「これなら直せる!」と確信して、そのボロボロのエレキギターを家の安アパートに持ち帰りました。

楽器屋へ行き、いろいろと工具や部品を買ってきて、ネックの歪みを整え、ボディの汚れを落とし、弦を張り替えて、ペグを交換して……。

アンプが無いのでちゃんとした音が出るかは分かりません。が、少なくとも見た目のうえでは、新品かと見紛うほどにキレイなエレキギターが仕上がりました。修理に熱中していたので、もうあたりは夜になっていました。

「しめた。これで今日から俺もエレキギター持ちだぞ。」と考えた彼ですが、ここでもやはりセンチメンタルが彼の心に働きかけました。

「待てよ。もしこのギターが、実は捨てられていたわけじゃなかったのなら……。こんなにボロボロでも、ほんとうは誰かの持ち物で、これから修理に行くところだったとしたら……?まずい、これでは俺は窃盗犯ではないか。これはいけない。ちょっといじってしまったけれど、それは仕方がない。すぐに返してこよう。」

そうして彼は真っ暗な中を駆け抜けて、「バレないように」の一心で、ひっそりと元の場所にギターを返してきたのでした。


次の日、彼が再びあのビルのところに行ってみると、ギターはすでに無くなっていました。彼は、良かったような、でも少し残念なような心持ちで安アパートに帰りました。

さて、彼がアパートに着くと、なんと自分の部屋の扉の前には、知らない女の子がポツンと立っているではありませんか。

「あのー、ここの家の人ですよね。ちょっと色々あって、一晩泊めてほしいのだけれど……。」

彼は戸惑いました。彼女は誰だ? 全然知らない。大学で会ったこともなければ、バイト先で見かけたこともない。が、かわいい。俺の好みのど真ん中。ショートカットの黒髪に今風のお化粧をして、雰囲気も柔らかいし……。とってもおしとやかそうで、でも芯は強そうで、大学のミスコンなんかに出場しちゃったらまず間違いなくグランプリは受賞できるだろう。……泊めて損はあるか? いや、無いよな。じゃあ泊めていいよな。うん、そうしよう。

そして彼は彼女を家に泊めることにしました。

こんなセンチメンタルな彼にも友人の一人や二人は居て、その友人たちを家に泊まらせることはあったので、布団はちゃんともう1組ありました。ついでに、安アパートで部屋も狭いくせに、なぜか部屋を二つに仕切れるカーテンはついていたので、プライバシーに関しても問題はありませんでした。といっても、お互いの音は聞こえてしまいますが。

彼は彼女に、どんな事情でここに来たのか、なぜ自分の家を選んだのかをたずねました。しかし彼女は「答えたくない、答えられない」と言うばかりで、ちっともその真相はわかりそうにありません。仕方がないので「じゃあ夕飯くらいは一緒に」と話しかけても「お構いなく」の一言。ただ本当に彼の家を素泊まりの宿にするつもりらしい、ということだけは伝わってきました。

そしてやがて夜が来ました。お風呂もすすめたのですが「入らなくていい」と言われてしまって、彼はちょっとばかりうんざりしてしまいました。こんなことなら安易に泊めるなんて言わなきゃ良かった、と。

彼女は「自分が寝ている間は絶対にこのカーテンを開けないでほしい」と言ってきて、やさしい彼はそれを拡大解釈するようなことなどは当然せずに、その言葉にしたがってあげるのでした。


次の朝。目覚めた彼の顔を上から彼女がジッと覗き込んでいました。

「泊めてくれてありがとう。これ、お礼。」

彼の顔にファサッとなにかが被さってきました。起き上がってそれがなにか確認してみると、それは上等そうな黒のギタークロスなのでした。

「楽器屋へ持っていって、店員さんに見せてみて。」

そう言うと、とっくに身支度を済ませていた彼女はそのままスタスタとアパートから出ていきました。

彼は狐につままれたような心持ちで朝の歯磨きをしたりヒゲ剃りをしたりしました。そしてそのあと言われるがままに楽器屋にそのギタークロスを持っていき、楽器屋の店長に見せてみました。


「こ、これは……!?知らない人には価値がわからないかもしれないが、とんでもなくいいギタークロスですよ!できれば、これを13万円で買い取らせてもらえないですか?」

楽器屋の店長はひっくり返ったような声でこう言いました。13万円。貧乏学生の彼にとっては全内臓が飛び出そうになるほどありがたい金額です。彼はもちろんギタークロスを売り払いました。

そうしてホクホクとした気持ちで牛丼屋へ向かい、普段は頼まない超特盛牛丼を注文し、それに卵やらチーズやら、考えられるだけのトッピングを全て載っけて、思いっきりガツガツ食べました。

さて、アパートに戻ると、なんと昨日と同じ女の子がまたもや家の扉の前にたたずんでいるではありませんか。

「あのー、今日もできれば泊めてくれるとありがたいなぁ、なんて。もちろんお礼はあります。」

彼は、たとえ彼女との仲を深められなくてもこれだけの金が貰えるなら儲けものだ。と思ってOKしました。

昨日と同じようにここに来た理由も話してもらえず、会話も弾まず、夕飯やお風呂も拒否され……が続いたあとで、今日も寝る時間になりました。

「カーテン、絶対開けないでね。」

そういってカーテンが勢いよく閉められます。

彼はこのイレギュラーについていろいろと考えたくなって、部屋を暗くしたあともまだ意識がはっきりしたまま天井を眺めていました。

すると、しばらくたって、隣のカーテンの向こうからなにやらゴソゴソと音がします。ときどき「んっ、んっ」という声も混じっています。

大学生の彼はセンチメンタルながらも心に獣を飼っていたので、彼女がカーテンを開けないでほしいと言った理由について、色々とよこしまな妄想をし始めました。

なぜ隠したがるのか。それは単にプライバシーというよりも、なんらかの恥ずかしさや後ろめたさが伴うからではないのか。それすなわち、なんからのえっちなことが、カーテンの向こうで行われているのではないか。いや、違うかもしれないけれど。しかし「んっ」てなんだ。そんな声がえっちな行為以外で発せられることが果たしてあるだろうか。いや、ない。ほとんど、99.99%ないと言っていい。なんということだ。カーテンの向こうにはえっちが広がっている? いやしかし。俺は、ぼくは紳士だから。そう、他の馬鹿大学生と違って異性や恋愛にかまけるようなことはしないと決めているんだ。気を強く持て。俺。

彼は結局その晩一睡もできず、しかしながらなんとかカーテンを開けないという約束を守り切って、次の朝を迎えました。

勢いよくカーテンが開けられて、ズカズカと彼女がこちらに近寄ってきました。

「あら、もう起きてたんですね。これ、お礼です。」

心なしか昨日よりもキレイそうな黒いギタークロスが、彼の右脇にファサッと置かれました。

そうして、彼が話しかける間もなく、この日も彼女はスタスタとアパートから出ていったのです。

この日も出席が必須の講義があったので、彼は寝不足のまま大学に出向いて、そのあとで帰りにギタークロスを楽器屋に持っていきました。今日のギタークロスは15万円で売れました。

さてさて、彼がアパートへ帰ってくるとまたまた彼女が扉の前に立っていました。

「今日も泊めてくれませんか?どうしても泊まらなくちゃいけなくって。」

彼はさすがに不審に思いながらも、昨日の夜のちょっとした興奮を思い出してこの日も彼女を受け入れました。

そしてまた就寝時間が訪れます。

「絶対に、絶対にカーテンを開けないでくださいね。約束ですよ。」

そういって彼女は今日も勢いよくカーテンを閉めました。

彼はいちおう布団に横たわりましたが、いよいよカーテンの向こうが気になってしまいました。

お礼をもらっているとはいえ、こちらも3日間も彼女を泊めてあげている身。ならば、直接に彼女に触れたりせずに少ーしだけ覗くくらいなら、許されてしかるべきじゃないのか。これはすけべ心というよりも純粋な生物学的な興味にしたがっているのであって、なんら自分の脳におかしなところはない。そうに決まっている。

彼は息を殺して、「その時」を待っていました。やがて昨日と同じようにゴソゴソという音がして、「んっ、んっ」という声が聞こえはじめました。

よし、今だ。彼はカーテンをわずかに動かして、その隙間からこっそりと向こうの様子を覗きました。

しかし見えたのは、えっちな光景どころか、あの女の子の姿ですらありませんでした。


かなりの長髪に丸メガネ。モサモサとしたヒゲにデニムジャケットとジーパン。そこにいたのは、後期ビートルズのジョン・レノンとまったく同じ見た目をした男でした。男は、声だけはあの女の子と同じで「んっ、んっ」と言いながら、その長髪を一本一本抜いて、それを器用に編んで上等そうな黒い布を作っていました。それは昨日一昨日と彼がもらったギタークロスに違いありませんでした。男にはなんらかのこだわりがあるとみえて、途中で作業の手がいったん止まったかと思うと、おもむろにズボンの中に手を入れて、「んっ」という声とともに毛を抜いて、その毛をも、ギタークロスに編み込んでいました。

あまりの恐ろしい光景に、彼は「あっ」と叫んでしまいました。すると男は驚いたような、そうしてかなしそうな顔をして、こちらを見ました。

「ああ、覗いてしまったんだね。そうさ。僕は4日前に君に綺麗にしてもらったギターの妖精だ。君に恩返しをしようと思って、こうやって夜な夜なギタークロスを編んでいたのさ。でももう、これで全て終わりだ。だって、僕の本来の姿と正体を知られてしまったんだもの。僕を綺麗にしてくれて本当にありがとう。じゃあね。」

男はそのままスタスタとアパートから出ていってしまいました。

大学生の彼は、しばらくポカンとしていましたが、ふと思い出したように、ジョン風の男を追いかけようとして、慌ててアパートから飛び出しました。しかし、あたりをいくら探しても、彼の姿を見つけることはできませんでした。

アパートに戻ると、部屋には編みかけのギタークロスだけがポツンと寂しく残っていました。


さて、それからのお話です。さすがに編みかけのギタークロスは楽器屋に買い取ってもらえなかったので、彼の部屋にはずっと、その出来損ないのギタークロスが飾ってあります。使われている毛が毛なのでちょっと汚いなと思いながらも、彼はその不思議な出来事を忘れたくないと思って、ギタークロスを捨てずにいるのでした。

それと、彼はようやく勇気を出してバンドサークルに入部しました。いろいろなことが起こるこの一回きりの人生で、くだらない逆張り心で「やる・やらない」を決めていてはもったいない、どうせなら飛び込んでいった方が得に違いない、と、彼はギターの妖精の出来事を通じて学んでいたのでした。さいわい、大学のギターサークルの雰囲気はよく、彼は仲のいいサークルメンバーとバンドを結成することになりました。彼のバンドは、インディーズながらも、それなりに人に知られるくらいの知名度を手に入れました。


何年か経ったある日のこと、彼は、この日はたまたま、いつもの馴染みのライブハウスとは違うライブハウスのイベントに呼ばれて、思いっきりパフォーマンスをしたあとで楽屋に戻りました。すると、あの時自分が修理したギターが、ひっそりと壁に立てかけられていました。スタッフに聞いても、あれが誰のギターかはわからずじまいでした。ギターはかなり使い込まれていて、手入れも行き届いているような感じに見えました。


彼は昔のことを思い出しながら、あの日の自分の行動は、やっぱり間違っていなかったよな、と思いました。そうして、それ以上はそのギターについて深く詮索せずに、ライブハウスをあとにしたのでした。


あたりには誰が弾くともなく、軽快で心地よいギターの音が、ジャキジャキとひろく鳴り響いていました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ