処刑(転移)
広いサロンに、断末魔の絶叫が響いている。
見えない十字架に張り付けられたように動けないレオン。
騎士クマ君は、標的の胸――ピタリと心臓の位置に切っ先を向けた電動サーベルを右手に、悠然と突き進んでいく。
それは突き当たっても、決して歩を止めることなく――。
僕の中でレオンはすでに切り捨てた存在であり、この結末も初めから受け入れているし、割り切ってもいるので、今更偽善的な心痛は覚えない。むしろ叫んでいる当人よりも、子供達の方がよほど気掛かりだった。
二人寄り添いながら、固く目を閉じ、耳を塞いで恐怖の時をじっとやり過ごしていた。立ち位置がレオンの背後なのがせめてもの救いといえるだろうか。
この屋敷を出る時までに、きっと少なくないトラウマを積み重ねていくのだろうが、僕を含めて大人ですら、今は自分のことで手いっぱいだ。なにしろ足が床に張り付いたまま動かない。
ギャラリーの誰もが凍り付いたように、目の前の凄惨な公開処刑の光景に、それぞれのやり方で耐えている。
いや、耐えられてはいないのか。こんなに追い詰められた悲鳴が数か所で上がる場所は、絶叫マシン以外では見たことがない。
聞き覚えのある、ゴリゴリと堅いものを削るような音が、甲高いアリアと複数の悲鳴に紛れてかすかに聞こえる。
あの位置だと、まずは胸骨に阻まれるからな。まああのサーベル相手では貫通も時間の問題のようだ。
ドリルで骨を穿孔したことはあるが、まさかあの音を手術室以外で聞く日が来ようとは。しかも麻酔なしで。
ゲーム敗退は『死』と宣告されてはいたが、罰ゲームが想定以上にエグかった。
しばらくして削れる音がやむ。障害物を突破したということだ。
それからすぐにレオンの悲鳴が途切れ、代わりに息苦しそうに、咳とともに血を吐き出した。
左肺もいったか。
そこも突き抜ければ、あとは……。
罰ゲームは粛々と進行していく。
凝視する者もいれば、頑なに顔ごと逸らして身を縮こまらせている者もいるが、誰もがこの時間が少しでも早く終わることを願っていることだろう。
僕の位置からは見えないが、止まらないジェイソンの(クマ君の)チェーンソーは、すでに体を完全に貫通して、背中から切っ先をのぞかせたはずだ。
絶叫が収まったためか、レオンの背中側にいる双子が、恐る恐る目を開ける。そして驚きの悲鳴を上げると、また固く目を閉ざして、震えながら抱き合う。
さすがに心の痛む光景だ。さっさと終わりにしてほしい。
もはやレオンの目に、生者の光はない。苦痛も。
己の行いに対する、あまりにも重すぎるしっぺ返しだ。
しかし怯える子供達の姿ほどにも、気の毒だとは思えない。
当然数えていたが、ゲーム敗退までの距離は十五歩分あった。15ポイントも猶予があるのは、一見余裕そうでいてかなり厳しい。
一分当たり1.5回弱の嘘までは許されるが、ギャラリーへのレスポンスの失策は、一回で一気に2ポイント持っていかれる。最悪の場合八回のミスで終わる。
ギャラリーを敵に回しての達成は、実質不可能に近い。
どんなに上手く反省を装っても、一言問われれば、本心は簡単に丸裸にされて、偽る程に逆効果となっていく。
基本的に、本心から悔い改めた人間でなければ、クリアすることが非常に困難な仕組みになっている。
犯した罪への反省や、遺族への贖罪の気持ちを持たない限り――あるいはギャラリーの中にいる遺族が余程のお人好しでもない限りは、今回の結末は当然の帰結だった。
そもそも復讐ありきで、最も好都合なこのゲームがゲームマスターに選ばれている点を考えれば、生半可なことでは切り抜けられない。それどころか、今回のクライマックスのように、こっそりととどめを刺しに現れたりだってする。
もし、心から反省する気持ちを示せていたなら、レオンが生き延びる未来はあったのだろうかと、ふと考えてしまう。
正直僕には、そんな結末は想像がつかない。
目の前に家族の仇がいて、それを堂々と殺せるチャンスを提示されて、それでも許してやることは、はたしてできるものなのだろうか?
やはり僕には分らない。
だからだろう。職業柄、人の死には多く接してきたが、これほど痛みを感じないのは初めてだなと、他人事のように思う。
きっともう僕は、昔の自分とは違った人間になっているのだ。
復讐という目的での殺人を、心の中だけでなく、現実でも是とした時から。
しかし恐怖の時間には続きがあった。
レオンの死だけでは、まだ終わってはいなかった。
むしろこれからが見せ場だったのかもしれない。
処刑が終わり、騎士クマ君は胸に刺さったサーベルを引き抜くために後退を始めた。
サーベルの駆動音が、先程の振動とは別の音に切り変わった気がした。
その場に立ったまま息絶えているレオンを目の当たりにした数人は、あまりの光景に慄然とした。
胸にぽっかりと穴が開いたような、なんて詩的な表現があるが、文字通りレオンの胸に、ハート型の穴が開いていた。――丸でも星でもなく、ハート型……。
まるでハートの形に型抜きされたクッキー生地のようだなんて感想がうっかり思い浮かんだ僕は、やはりいくらか冷静さを失っているのだろうか。――それともいつも通り?
ただし、向こう側の景色がのぞけるほどの空間からは、大量の血が噴き出していて、完全にスプラッタだ。
僕は事故などでもっとひどい状態のご遺体に対面した経験も少なからずあるので、それなりに耐性もあるが、他の面々の顔色はひどいことになっている。
――なるほど、『転移』のアイテムか……。
ゲーム開始前に聞いた言葉の意味を理解して、さすがに何とも言いようのない気分になる。
胸の真ん中だけ、部分的な転移をしたわけだ。こんなにきれいな切断面は見たことがない。居合の達人が一刀両断したようでいて、なめらかな曲線や鋭角を描いている。
それにしても心臓を失った箇所に、残されたハート型の空洞。僕の冗談より笑えないシャレだ。
こんな無意味にしか思えない転移の使い方を見せつける理由――考えるまでもないか。軍曹はどこまでギャラリーを追い込めば気が済むのか。
そして、ただ一人の舞台の観客への、強烈なメッセージ。
僕はと言えば、クマ君の完全防御は、返り血すら弾くのだなと、変なところに感心している。
いや、それよりくり抜かれたパーツはどこだと、周囲に視線を走らせた。
そしてサーベルの切っ先に目が留まる。
猟奇的な光景に、更に上がる新たな悲鳴。
すっぱりと切断された大動脈大静脈から、血を垂れ流す模型のような心臓が、高々と掲げられている。
心臓など珍しくもないが、さすがにこの悪趣味さには僕も眉をひそめた。
ハートに剣が突き刺さった意匠はタトゥーなどでも好まれる人気の図案だが、まさかのリアルなやつだ。可愛いクマ君との対比もあって、現物は実にシュールだ。
一緒にくりぬかれた、服の断片及び肺や骨肉など心臓周りの組織は、バリ取りで除かれた不要部分かのように、床の上に無造作に廃棄され血だまりを作っている。
常軌を逸した惨状に気が付いた者は卒倒し、阿鼻叫喚の様相を呈してる。
僕の手を固く握るアルフォンス君の手も、震えていた。
ショーとはいえ、ここまでやるか。
文章だけでは分からなかった部分の全貌に、抑えがたい胸糞の悪さが込み上がってくる。予想をはるかに上回っていた。さすがにここまでは想像していなかった。
この茶番の主催者はどうあっても、身内同士で喰らい合う舞台を作り上げたいらしい。
実に残虐でドロドロしていて、いやらしい。
従兄弟同士の対決は、満足できたか? ――そんな皮肉が口から出てきそうだ。もちろん、その尻馬に乗っている僕自身への自嘲も込めて。
分かりやすく血の雨を降らせ、身内同士の関係性に軋轢を生ませ――。
次のゲームへ向けて、どれだけのプレッシャーをかけるつもりなのか。
いずれ自分にもこれが降りかかるのだろうかと、この場の誰もが戦慄の未来を思い描いて震え上がっている。
まったくもって忌々しい限り。
僕の固めたはずの覚悟すら揺るぎそうなくらいだ。
その点で、この演出は実に効果を発揮していると言える。
まだ初日。たったの数時間で、この場に立たされた生贄の心はすでに折れかけている。
ゲームは始まったばかりだというのに。
ゴールは、あまりに遠くに見えた。