幕間 走馬灯(LV)
レオン・ヴェルヌ
――なんでこんなことになったんだ。
圧倒的な後悔と恐怖の中、頭の中を捉え切れないほどの記憶が通り過ぎていく。
俺の人生は、十五年前の遺産相続人選定会で、確かに変わったはずだった。
それまでは、デキ婚した女房と生まれたガキとも三年持たずに別居になって、仕事も長続きせず、住所も転々とするような底辺暮らしだった。
それが、あの出来事で、一気に風が向いてきたんだ。
最終日、一人殺しただけで、人知を越えた遺産が手に入った。
洗脳の力を理解した時、あったのは圧倒的な喜び。魔法の実験で、クロードを思い通りに操ってやった時は、勝ち組になったと確信した。
あの後のごたごたで、工作が中途半端なまま、時間切れで機動城の外に放り出された時には、さすがに焦らされたが。
まったくの想定外だった。遺体どころか返り血すらも機動城の外には出ねえなんて、思うわけがねえ。あれだけ血まみれだったマリオンが、何の異状もない姿で地面に転がっているのが見えた。
殺人の物的証拠は、外の世界には何もなかった。
こんなことなら、犯人役なんて用意しないで、記憶だけ消して何もしない方がよかったじゃねえか。
軌道修正しようにも、ババアが三人が殺されたと、すぐに大騒ぎを始めた。クロードも、泣きながら周りに訴えてやがった。せっかく記憶を奪ったのに、あのガキ、また図書室に行って、結局父親の死体を見付けたらしい。
ただの行方不明ですませられたはずなのに、いろいろと失敗した。
《《あいつら》》に乗せられた。よく考えりゃ、俺には設計図なんて別にいらなかったじゃねえかと、あとで気付いた。
悔やんでも、もう手遅れだ。機動城から時間通りに転移で帰還した俺達は、あっという間に軍やら警察にそれぞれ確保され、もう洗脳の追加はできなかった。
あとは当初の計画通り推し進めるしかない。
あいつらも覚悟を決めたんだろう。事前の打ち合わせ通りに動いた。
今後、個人的には関わらないことも、決め事の一つだ。
こんな事件の後では、確実にマークされる。何かで会う機会があっても、会話はもちろんメールやリモートでの接触も、世間話や当たり障りのない連絡事項以外は危険だ。
だがその後、こんなうまくいくかってくらい計画通りに事が運んで、後悔はすぐに消えた。
とんとん拍子にマリオンの容疑は固まり、俺は元の日常に戻れた。いや、元どころじゃねえ。
俺が手に入れたのは、洗脳の『魔法』だけ。セットでもらえるはずの『設計図』は逃した。
だが、どうせ表沙汰にはできねえ能力だ。
大体、洗脳の道具なんて、製造販売されるわけがねえ。買われるどころか、普通に国に没収されるのがオチだ。
だったら、何ももらえなかったことにした方が好都合だった。
思った通り、洗脳は、人生が逆転するほど役に立つ魔法だった。
俺の世界がいっぺんに変わった。クロヴィスを殺しておいてよかったと、心から思った。
違法だから表立っては使えねえ。だがここぞという時、バレない程度のほんのわずかな暗示だけでも効果は絶大だった。
仕事なら、初対面の握手で確実に好意を持たせられる。接触する機会を増やして、会う度にその都度少しずつ、俺の都合のいい人間に変えていった。女も同じだ。最終的には大体俺の思い通り。笑いが止まらねえ。
別居中の女房と暮らしてたヴィクトールも、俺には懐いてなかったが、離婚の時、裁判で簡単に奪ってやった。
あのクソ女、代理人任せで直接会うのに苦労したぜ。だが、一度でも触ればこっちのもんだ。暗示をかけて、ガキを虐待する母親の出来上がりだ。
別にガキが可愛かったわけじゃねえ。一番自由にできる手駒にするためだ。他人を大きく変えれば怪しまれるが、一緒に暮らす自分のガキなら、少しずつまったくの別人に作り替えてもバレにくいからな。
そうやって、今では完全に俺に従順な、俺のコピーが出来上がった。
この十五年、なかなかうまくやってきたと我ながら思う。
だが、能力が極秘な分、目立たないようにするのはストレスでもあった。
洗脳を周りに怪しまれないためには、常識の範囲内でしか変えられねえ。俺に関わった人間ばかり異常行動をし始めたら、確実に疑われちまう。
俺に多少有利な契約を結ばせるにも、洗脳した相手にちまちま貢がせるのにも、限度があった。
資産家と結婚して、遺言を作らせてから自殺でもさせりゃあ、あっという間に大金持ちだが、それを実行に移せなかったのは、年に一度、招待状が来るせいだ。
まだ、解放されていなかった。俺達一族の人間は依然として、国から高い関心を持たれたままだった。
注目だけされ続けてるのに、毎年機動城には入れねえ。
だったらもう放っておいてくれと、さすがにうんざりだった。
流れが変わったのは、今年になって、とうとうマリオンの記憶から、ラウルの殺害シーンが録れてからだ。
冷や汗をかきながら家で公開映像を確認した時には、思わず喜びの声を上げた。想像以上の出来だった。どう見ても、マリオンは凶悪な殺人鬼だった。
そして、これまでの停滞した十四年間が何だったのかと思うほど短期間に、マリオンの死刑が決まった。
あとは、死刑執行のために、眠りの暗示を解くだけだ。
これは賭けの要素も大きかったが、勝算は高かった。マリオンは限界を超えた過酷な脳の走査を、体感時間にして二か月もの間、休みなく受け続けてきたわけだからな。
予想通り、脳にかかった負荷はあまりに大きく、正常な精神状態ではなくなっていた。
やった! 俺はツイてる。
アルが随分足搔いてたようだが、マリオンは全部の罪を背負ってそのまま処刑された。結局こうなるなら、最初から煩わせるんじゃねえよ。クソが。
内心では意気揚々と、処刑場まで見学に行った。
マリオンにチェンジリングが起こるなんて予想外のハプニングはあったが、まあ、あいつがちゃんと死んだなら問題ねえ。チェンジリングは完全な別人に入れ替わって、記憶を引き継がねえらしいからな。
おまけになんと、マリオンが死んだおかげで、遺産のお代わりのチャンスが再びやってきた。
次はもっと金になる遺産が欲しいとこだなと、期待しながら機動城に乗り込んだ。
必要ならあと何人だって殺してやるぜ。どうせ死体は外に出ないんだ。今度は遠慮なくヤレる。こんな完全犯罪はそうそうねえ。
一応、殺害現場から余計なことが判明しそうになったら、洗脳してやるつもりでアルの捜査について行ったが、結果は拍子抜けだった。死体が一つも見つからねえ。
俺が殺したクロヴィスもいねえし、あいつら、本当にどうなったんだ?
コーキの奴、実はみんな生きてるんじゃないかなんてふざけたことぬかしやがったが、さすがにそんなわけねえよな? 少なくともクロヴィスは、背中から確かに心臓を一突きにしてやったんだ。間違いなく死んでいた。
――そのはずだ。
結局死体はどこにもなかったし、適当な武器コレクションを掴んでみても、前みたいな指令も情報も下りてこなかった。
畜生、条件が変わって、最初から全部やり直しってことかよ!
まずは、次にどんな課題が来ても対応できるように少しでも備えておきてえ。
だからヴィクトールを使って、とりあえずコーキを手駒にしようと考えた。
魔法持ちは使える。マリオンが相続した魔法を、無自覚だとしてもコーキは持っているはずだ。
他の二人は俺を警戒して傍に近寄らねえが、自分の魔法に気付いてもねえコーキなら簡単だ。
俺が暗示をかければ、うまく使いこなせるようになるかもしれねえ。
そう思ってヴィクトールをけしかけたのに、あのバカは呆気なく撃退されやがった。
あの強力な睡眠薬が全然効かなかったってことは、あいつの能力は、やっぱり完全防御なのかもな。潜在的に抵抗力が高いのかもしれねえ。
まあ、機会はいくらでもある。次に会った時には、ウザいアルごと操り人形にしてやるさ。
この機動城内でなら、力を抑える必要もないんだ。監視カメラなんて何の意味もねえ。ざまあみろ、アル!
情報と洗脳の魔法を持っている俺は、誰よりも有利なんだ。今度こそうまくやってやる!
――そう、思っていたのに……。
どうして俺は今、こんなことになってるんだ?
目の前で不気味に唸るサーベルは、あと数センチで俺に届く。逃げたくとも、首から下は動かねえ。
なんなんだ、これは。悪い夢か?
落ち着け!
もう少し、あと十何秒かだ。たったそれだけ乗り切れば、俺は全てを手に入れられる!
こいつらは結局アマちゃんだ。絶対最後までは振り切れねえ。
このクソゲームが終わったら、転移が手に入る。俺が最強だ。
そうしたら即座に、アルとクロードを洗脳してやる。この二人さえ真っ先に抑えれば、あとはジジイと女子供だけ。魔法持ち三人向こうに回しても、どうとでもなる。
特にコーキ、てめえは許さねえ。
中身がジジイと言うだけあって、無害そうな面でとんだ食わせ物だった。でも体は若い女だからな。いっそ洗脳してくれと泣いて頼むような目に遭わせてやるぜ。
楽しみに待ってろよ。
――残り、五秒を切った! よしっ、もう黙ってても、勝ちは確定だ!!
輝かしい未来を確信したところで――――呼吸を忘れた。
ここにいるはずのない奴がいる。
え? どういうことだ? 意味が分からねえ。
最初に目に飛び込んだのは、一族特有の水色の髪――。
瞬きの前には、誰もいなかったのに。
突然現れた信じられないものに、目を見張った。
「な、なんで、お前がっ!? あり得ねえっ! ――まさかっ……まさか、これは全部お前のっ……!!」
動揺のあまり、我を失った。
十五年前と少しも変わらない姿で、俺の目の前に立っている。
そんな馬鹿な! いったいどうなってやがる。なんでお前がそこにいる!?
間違いなく、殺されたはずだ。死んだお前を、俺は確かに見ている。
そうか、違う。現実にここにいるわけじゃねえ。これはホログラムか何かだ。本体は別にある。
でも、ただの幻じゃねえこの存在感。手を伸ばせば掴めそうなほどに。
何よりはっきりと奴の意志を、強烈な殺意を感じる。
まさか、俺はずっと奴の手の平の上だったってことか!? 初めから狙われていたのか!?
いや、だが、もう俺の勝ちは決まっている。十分から開始されたカウントも、たった今――0になった!!!
やった!! 俺は、勝った!! 全てを手に入れたんだ!!
どうだ、見たか、ざまあみろと、喜びを爆発させ、勝利の雄叫びを上げながら、俺を取り囲むギャラリーをどう料理してやろうかと早速考えたところで――言葉を失った。
今まで見えていたタイマーが、ふっと幻のように掻き消え、数字の違うカウントが現れた。
赤い数字はすでに五秒を刻み、黒い数字は残り二秒で止まっていた。
「ゲームオーバー!!」
どこからか、そんな声が聞こえた。
ちょっと待て!! そんなバカなっ……俺は、偽物のカウントを見せられていたのか!!? ふざけんなよっ、そんなのアリかよ!!?
――復讐のために、地獄から戻って来たんだよ。
目の前の亡霊は、そう言って笑った。
それが、俺の最期に見たものだ。