観劇
瞑目し、穏やかではいられない感情を鎮める。
そう、この遺産相続自体が、準備万端に整えられたジェイソン・ヒギンズの復讐だった。
戦場で諦めの人生を送っていた彼にとって、予期せぬチェンジリングは掛け値なしの僥倖。
異世界で新しく始まった穏やかな人生は、戸惑い以上に大きな希望を与えた。
だからこそ彼の、その後の怒りと悲しみ、憎しみが、淡々と事実だけ述べる文章から伝わってくるようだ。
希望と絶望、そして復讐に憑りつかれた後半生。
もはや復讐だけが、彼の生きる糧だった。
そのためだけに、この場所は機動城へと姿を変えた。
元々は、世間から離れ、故郷を偲んでゆったりと過ごすための別荘に過ぎない場所だったようだ。
本来なら、軍曹の死後も世に出ることはなかっただろうプライベートな隠れ家が、今や世界的に有名な不可侵の宝島――僕に言わせれば幽霊屋敷へと、嫌すぎる転身を遂げた。
そこまでやり切った彼の執念から、その憎悪の程がうかがい知れる。
だとしても、それをおいてもなお、無差別はあまりにひどい。あまりにも理不尽だ。
その身勝手さ、悪辣さ。無関係な人間を攻撃対象として、どこまで巻き込んで苦しめたのか。
やはりその部分には、言いようのないどす黒い思いが沸き上がる。
だがその一方で、圧倒的に共感する感情も、否定はできないのだ。
全てを失い、諦めの中で生きていた中で奇跡的に手に入れた希望を奪われた時、人はどうなるのか……。
めまいがしそうな怒りと同時に、彼を憎み切れない自分を、自嘲とともに受け入れる。
それは僕もまた、彼と同種の憤りを抱えて生きてきた側の人間だからだろう。
きっと僕が同じ目にあって、報復できる力と状況がその手にあるなら、手段は違っても間違いなく同じ道を進むと知っている。
何より、勘違いするべきでないのは、確かにこれは彼の復讐ではあるが、彼は場を用意しただけなのだ。
ここに至るまで、十五年前の悲劇は、軍曹のシナリオをなぞった結果なのだと思っていた。いや、ある意味ではそうだろう。
しかし彼自身には、悪意はあっても明確な殺意はなかったのかもしれない。
選択肢の全ては、相続人候補者に委ねられていたのだから。
殺人の舞台を整える一方で、悲劇を回避できる可能性を、残してくれてもいた。
五日間を、ただ穏やかに過ごして無事家に帰る未来もありえた。
選び取れるかどうかは、こちら側に委ねられていたのだ。
もしそれができていたなら、きっと全ては許されていた。軍曹の復讐はとうに終わっていたはずだった。
社会を大きく変革してしまうだろう技術系の遺産は機動城に半永久的に葬られたまま、残りの資産を全員で平等に分配されるという最も穏やかな結果をもって。
けれど十五年前、実際の結末は、あのざまだ。
お膳立てのままに、鼻先のエサを求めて踊り出した一部の愚か者が現れた。そして多くがそれに巻き込まれた。
無差別攻撃へと誘導される無慈悲な舞台装置は、まるで最後の一匹になるまで、壺に閉じ込めて殺し合わせる蟲毒のようだ。
それだけに、昏睡したマリオンの収監による招待への不参加、ひいてはそれによる遺産相続選定会の不開催は、想定外のハプニングだったはずだ。
必ず全員参加を徹底させるための脅しとして機能させるための仕掛けが、軍曹の意図と逆に働いてしまっている。
本来なら何らかの決着がつくまでは、毎年続く予定だったのに。
機動城による転移や完全防御壁などをパフォーマンスのように派手に人目に触れさせたのも、実用の意味以上に、おそらくは“毎年開催”を確保するためのエサだ。
あれだけ価値のある遺産なら、たとえ殺人者として拘留されても、超法規的措置か何かで、選定会に参加させられていたはずだ。実際マリオンに対しても、そういう意見はあったし、昏睡状態から目覚めてさえいれば、死刑になる前に実現した可能性は高い。
そこだけは、一族にとっては不幸中の幸いだったと言える。
おかげでこの十五年間は、悪夢の宴に放り込まれることなく、平和に暮らせたのだから。
――マリオン一人の犠牲で――という但し書きは付くが。
けれど、マリオンの死刑によって、再び舞台の幕は開いた。マリオンとして再度の生を得た僕の身柄の釈放とともに。
復讐が悲劇を呼び、新しい悲劇が更なる復讐を招く。
憎悪の連鎖は複合的に重なり、今やジェイソンの復讐だけではなくなっている。
身内で殺し合っている以上、もう深い因縁となって、機動城内で終わる話ではなくなってしまった。
今までは、犯人とされたマリオンに憎しみの全てが向いていたから、ある意味平和だっただけ。
本来の復讐対象が、他に――それも自分の隣にいるかもしれない事実が晒されたなら、また別の復讐劇が描かれることだろう。
新たな悲劇は、別の演出家による続編として、もう目の前に迫っている。
ここにきて穏やかな結末などありえるのだろうか。
いくつか用意されていたシナリオの内、その展開も、軍曹にとってはより望ましい狙いの一つであっただろう。
理解はできるが、やはりやるせない思いは拭えない。
せめて、地獄に引きずり込む人種の選別はするべきではなかったのか? 子供だって何人もいたのに。
いや、それも含めてこそ成立する復讐だと分かってはいるが、巻き込まれる方はたまったものではない。
黙々と自分のなすべき仕事をこなしているアルフォンス君を、複雑な思いで見つめる。
何の落ち度もない、ただ平穏に日々を暮らしているだけの者になら、直接的なゲームの罠はない。
しかしゲーム外で脅かしてくる者はその限りではない。
もしいるとしたら、敵となる者は間違いなくこの機動城に招待された同じ立場の誰かになる。
そして腹立たしいことに、織りなされるピカレスクの全ては、たった一人の人間のためだけに用意されたショーなのだ。
一つ好材料と言えるのは、それが軍曹の復讐である以上、殺人の被害者とされる消息不明の四人は、まだ依然としてこの屋敷内のどこかに存在していると推定できることだ。
少なくとも僕ならそうする。何故ならこれほど効果的な復讐はない。ゲームの脱落者も今なお、有効な使い道があるのだ。
我が身に置き換えて想像してみれば、背筋が凍るほどにぞっとする。
つい意味もなく、部屋中に視線を彷徨わせた。
よく物語などで、どこからか視線を感じる、などの表現を見かけるが、その度に『どんな超能力者だ』と失笑したものだ。それはきっと誰かの視線ではなく、君の脳内世界にしか実在していない電波を受け取っているんだよと、内心でこっそりツッコんでいた。
“気配”なら鋭い五感で何かを感じ取ることも考えられるが、“視線”など物理的に感じようがないだろう。目からビームでも出ているのか。物言わぬ視線を探る術は、自らの視界だけだ。
まあこの世界なら、普通に超能力者だか魔法使いだかは実在するのだが、僕は違うはずだった。
しかし今、初めてそんな感覚を実感している。
――あなたは今この瞬間も、機動城のどこかから、僕達を見ているのか。
一体どんな気分で、これから始まる二度目の惨劇を、特等席で待っている?
祭壇に放り込まれた生贄が、訳も分からず繰り広げさせられる無様な即興劇を。