不毛
「コーキさん!!」
僕の部屋のドアを開けてすぐに目に映ったのは、銃を構えたアルフォンス君だった。それ以外は特段の異状はない。いや、そもそもその一つが相当の異状ではあるのだが、ともかくどうやら大事になる前のようでよかったと、心底ほっとする。
銃は持ち込み禁止のはずだが、公務でもあるから特別なのだろう。それにしても彼は僕のことになると、幾分常軌を逸し気味な気がしなくもない。
「ただいま戻りました。五分もかからなかっ……」
しれっと入室する僕が言い終わる前に、駆け寄ってきた彼にぎゅっと抱きしめられた。
こうなると、もう僕には身動きのしようもない。
まあ、予想はしていた反応だ。同居初日と同じ状況を作ってしまったのだから。
彼が僕を失うことをどれだけ恐れているか、痛いほど知っているにもかかわらず。
「――――」
僕もその背中に手を回して、なだめるように優しく抱きしめる。
震えながらも力強い腕の温もりには、申し訳なさと同時に、これほど僕を心配してくれる家族がいてくれることへの、素直な嬉しさが込み上がる。
「心配させてしまって、すみません。アルフォンス君」
「もう、二度とこんなことはしないでくださいっ」
「もちろんです。もう、この屋敷にいる間は君から離れませんよ」
安全性への補強はかけた。僕が傍にいる限り、そしてあの切り札を手にしている限り、決して君を危険な目に合わせることはない。
「大丈夫ですか、コーキさん?」
「ええ、問題ありませんよ。君が用意してくれた防犯対策の有意義さがよく理解できました」
まったく緩まない腕の中で、顔を見られないままに感謝を告げる。
「使ったんですか? 俺達を付けてた奴にですよね。誰だったんですか?」
「ヴィクトールさんですよ。初めての防犯訓練には実に程よいレベルの相手でした」
言ってみれば、さっきのは防犯訓練のようなものでもある。
防犯の道具を持つだけでは、十分ではない。抜き打ちのトラブルに、実践で対処した経験を持つことで、自信も付くし課題や問題点も改めて見直せるというものだ。その点は魔法でも道具でも同じことだろう。
今までの幸喜としての人生で、他人を攻撃したことなどないので(口撃ならあるが)、心構えの点でも有意義だった。
「命に関わらないセクハラ程度に、スタン3を使ってしまいました」
実際には準強制わいせつ罪未遂だと思うが、あえて大したことはなかったように笑う。睡眠薬の類を使われた事実は言わない方がいいだろう。キャビネットに置かれた銃が仕事をしてしまいそうだ。
しかしこんなに抑えた表現でも、アルフォンス君的には引っかかったようだ。
僕の顔を見下ろし、気色ばんで追及してくる。
「ちょっと待ってください。セクハラって、何されたんです? 本当に大丈夫だったんですか?」
「特に問題ありませんよ。いろいろと触られて気色悪いだけです」
発情した男にべたべた触られた感触や息の生ぬるさが残っていて、そこは本当に気分が悪い。これは幸喜時代には味わったことのない感覚だ。そういう状況自体、遭遇する機会もなかったわけだが。
ともかく冷静に対処はしたが、正直如何ともしがたい怖気の余韻がいまだに残っているのだ。
そんないやな感触を、図らずもこの抱擁が徐々に消し去ってくれているようだった。
「――衝撃度3じゃ足らなかったんじゃないですか」
無表情で今にもとどめを刺すために踵を返しそうな気配を漏らすアルフォンス君を、腕に力を込めて抱き留める。
「あんな小物は、本当にどうでもいいんですよ。何かしたいんだったら、僕を癒してください。昔から弟を抱っこする以上の癒しはなかったんです」
いつもなら少々ハグしたら終わりにするところを、いまだに離れないのは、僕自身がそうしているからだ。
この気分の悪さを引きずりたくない。
「――コーキさん……いつまでも弟扱いに甘んじるつもりはないんですが」
アルフォンス君は僕の予想外の行動に戸惑いながらも、改めて僕を抱きしめ直す腕に、別のニュアンスを込めたようだった。
まったく困ったものだ。今更弟離れできなくなっている僕も僕だが。
しかし本当に不思議に感じる。やはり突然理不尽な別れを経験しているせいだろうか。こんなに大きくてごつくなっていても、やはり弟という存在は可愛いままなのだ。
「ああ、もっと小さくて柔らかかったら完璧なのに。これではもう僕のお膝に乗りません」
我ながらしょうもない愚痴と知りつつ、つい本音をこぼす。
頭も撫でたいところだが、今の僕より頭一つ大きいので、さすがに手が届かないし、残念ながら、もうぷにぷにできるほっぺたもない。
けれど、ほっとして癒される懐かしい感覚は、遥かな昔感じたものと変わらなかった。
アルフォンス君が、どこか皮肉気に返す。
「デカくて堅くてすいません。でもコーキさんが小さくて柔らかいおかげで、俺も癒されるどころか全然落ち着かないんですが。なんなら俺のお膝に乗りますか?」
「なんですかそれは。別のプレイになってしまいますよ。僕の記憶の中の可愛かった弟が穢された気分です」
「すいません、わざとです。俺もいい大人なんで、いつまでも子供扱いされたら困りますから」
僕の耳元に、迷いのない口調で主張してくる。
「俺は弟としてではなく、恋人としてあなたに見てほしいと思ってます」
わずかな時間とはいえ、僕に突き付けられた強制的な分断は、よほど彼を焦らせたのだろうか。
今までは言動で匂わせるにとどめていたアルフォンス君が、はっきりと心の内を告げてきた。
『マリオンさんではありませんよ』という特大の釘も、もう彼には効果がないようだ。
溜め息混じりに、一応の忠告をしてみる。
「深入りする前に諦めた方が、君のためだと思うのですが」
「多分もう手遅れです。言っておきますが、俺、諦めはかなり悪いので」
「それは知っています。でも、実は僕も相当頑固なんですよ」
「知ってますよ。根競べですね」
受け入れるつもりのない僕の頑なな返答を、アルフォンス君は気にすることもない様子で笑い飛ばす。
困難な道も、気長に取り組み真っ直ぐに付き進む彼らしい。その目標が僕なのは困りものだが。
すでに見慣れた意志の強い目が、僕を見下ろす。
「――なんだか不毛な気がします」
口説きモードに入っているアルフォンス君から、心地よさを振り払うようにようやく体を引き離す。彼も強引に引き留めることはなかった。
瞬時に消えた温もりに、少しの寂しさを覚え、内心で自嘲する。
深入りしない方がいいというのは、僕自身への戒めの言葉でもある。
いずれ離れていくと、初めから決めている。決意は今も変わらない。
むしろこの屋敷に来て、いろいろな事実に気が付き、状況も変わり、その意志はますます強くなっている。
おそらくは、この機動城から出る時が、一緒にいられるタイムリミットになるだろう。
そうしたら嘘つきの僕は、一人で別の道を行く。君に、嘘を信じさせたまま。
あと、ほんの五日間だ。
だからせめて、弟と過ごす最後の時間を、愛おしむように大切にしよう。
そう思えば、ここでこれから始まるだろう血に染まる未来すら、限りある貴重な日々に見えそうだ。
――きっと手遅れになっているのは、僕も同じなのだ。