ゲームの考察
結局、「何もない」と判明した点だけが、ここでの収穫となった。
僕達は予定通り、次は三階の図書室へと向かうことにする。
アデライドだけは「もういい」と、離脱を望んだ。弟の亡骸を見付けられず、すっかり気を落としてしまったようで、彼女専属のテディベアに連れられて、客室へと引き上げていった。
ベルトランは、末の弟であるクロヴィス殺害の現場も確認したいということで、娘とはここで別行動を選んだ。
六人と六体になってからまた歩き始め、その短い隙に、僕は再び考察に没頭する。
次は、「今回行われる新しいゲームの内容について」だ。
また最後尾で、こっそりと光学モニターを開く。
ゲーム選択終了の際、文字が点滅した瞬間の映像を呼び出し、停止からのズーム。
よし、問題なく確認できる。
しかし読めたはいいが咄嗟にピンとくるものがなく、内心で首を捻る。
並んだリストの中で光ったタイトルは、『Baron Munchausen』。
――バロン・ムンチャウ……?
バロン――ああ、『Baron Münchausen』か。
ミュンヒハウゼン症候群の命名の由来だ。仕事で使うのはほとんど日本語か略語だったから、英語の発音もつづりもすっかり抜けてたな。
確か物語の邦題は『ほら吹き男爵の冒険』だったか。
とすると、嘘をテーマにした内容ということだろうか?
とにかく急いで詳細を把握しよう。
選択肢が多数あった開始時と違って、決定後の今ならこれ一つを読み込むだけ。それほどの手間ではない。
タイトルの次に記された、大まかなゲームのルール説明に素早く視線を走らせ……。
「――――」
愕然とした。
――なんだ、これは……。
該当箇所に最後まで目を通し、今日一番の衝撃に、息が止まる。
ゲーム内容と、その成否によって得る結果――。
これはおそらく――いや、ほぼ確実に、死者が出る。
実際にやる前から断言などしたくないが、この内容で、出ないなんてことがあるか?
むしろ、公開処刑を目的としているとしか思えないほどだ。
少なくとも勝っても負けても、生物的にか、社会的にかのどちらかで、間違いなく死ぬはずだ。なんて質の悪さだ。
一方で、懸念材料の一つであったゲームマスターの権限に関しては、想定を大幅に下回るものだったのは、朗報と言っていいのだろうか?。
開始のタイミング、順番や会場選択など、いくつかの決定権があるため、ゲームメイクに有利は有利だが、絶対的な強権を振るえるというほどでもない。同じルールの下でゲームに臨まなければいけない点では、平等な立場だ。
希望するゲームを選べるというのが、最大の利点だったわけか。
ちょうどこの辺りで第二の目的地の図書室に到着し、いったん思考が停まる。
サロンの時と同じ――いや、ある意味ではそれ以上の緊張感を伴って、扉が開け放たれた。
学校の図書室ほどもある広さの部屋は、天井までの書棚で壁一面が埋め尽くされ、英語の本がビッシリと並んでいる。
基本的にこの屋敷にあるのは、軍曹が故郷で見聞した文物を再現した物ばかり。その読書量には圧倒されそうだ。
ほとんど語られていないアメリカ人時代の彼は、これまで機動城を見てきた限りでは、兵士と言っても相当インテリ寄りだっただろう人物像がうかがえる。
その幅広い知識から、明らかに高度な教育を受けていたはずだし、きっと育ちもかなり上流の家庭だったのではないだろうか。
そんな彼が下士官に甘んじていた事情が気になるところだ。
おそらくこの部屋も、彼の思い出の中にある光景に寄せられたものなのだろう。
図書室と言っても公共施設と違って、家庭らしい調度品やファブリックなどが揃えられ、飲食スペースなどもあり、寛げる空間になっていた。
こんなシチュエーションでさえなければ、広いソファーに寝そべり、お気に入りの推理小説を積み上げて、ゆったりした時間を過ごしたいくらい居心地のよさそうな場所だ。
よく考えたら、軍曹が生まれた頃は、アガサ・クリスティやエラリー・クイーンを始めとするミステリの黄金時代辺りか。何か掘り出し物があるかもしれないから、機会があったら探してみようか。熟読する時間はなくとも、パラパラとめくって視界に収めておくだけで、後から記憶を引き出せるのだから、まったく反則のような技術だ。
うっかり脱線しながらのぞき見た限り、やはり室内には、殺人事件の形跡など微塵もうかがえなかった。
二度目なので同行者一同の驚きはそれほどでもなかったが、戸惑いはむしろ大きかったかもしれない。
十五年前に死亡とされた人達の遺体は、結局ただの一人も確認できなかった。
アルフォンス君はまた単身で室内に入っていき、第一の現場と同じ手順の作業を再度始める。
それを見守る待ち時間で、僕は考察の続きに戻った。今の僕には、こちらの方が遥かに重大事案だ。
すなわち選ばれたこのゲームについて――。
生死が懸かったものであろうことは少なからず予期していたから、その点では「やはりか」、としか思わない。
僕を驚愕させたのは、その参加資格の条件だ。
前回のバトルロイヤルのような全員参加型のゲームではなく、参加者に著しい制限が付いている。
ある条件を満たしている者だけが、遺産相続の戦いへの挑戦権を持っているのだ。
謎のゲームマスターが選んだのは、みんなわざわざここに遺産相続のために招待されているのに、対象者以外は最初から機会も与えられずに弾かれてしまうゲームだった。
逆に言えば、条件を満たしてしまっていたら、いやでも挑まされるということ。文字通り死ぬほど危険なゲームだというのに、拒否権がない。
体が震えそうになるのは、怖れのためだけではなかった。
思わず緩みそうになる口元を、慌てて引き締める。
――これは、喜びだ。
最高のゲームが選ばれたことへの。
死者は確実に出る。何故ならこれは、デッドオアアライブの類のものだ。
勝てば褒賞を得られる代わり、負けたペナルティーは死あるのみ――というやつだ。
それでもなお、これは歓迎すべき事態だと断言する。
なにしろ僕の目的は、十五年前の事件の解明。
結論から言えば、これほど目的達成に都合のいいゲームはなかった。
真実を求めてやみくもに動き回らなくとも、ゲームが進められるごとに、犯人があぶり出され、真相は解き明かされていく。
否応もなくそういう展開になっていくルールなのだ。
これもゲームを用意した軍曹の飛び切りの悪意というべきか。
まるでマッチポンプだ。
最初に自分で火をつけて、十五年後に派手なパフォーマンスで消しにかかる場を設けて。その過程では、あちこちに新たな火種をまき散らしながら。
そこで巻き起こる悲喜劇を見せつけて楽しむ愉快犯かのようだ。
巻き込まれる方はいい迷惑だが、泣き言を言っても仕方がない。
今は利用できる有用なものとして、前向きに受け止めよう。