殺人現場・サロン
残る緊急課題、今回のゲームについてだが――。
考察に入る前に、第一の目的地に到着してしまった。次の移動までお預けだ。
「ではまずは俺だけ入室します。許可を出すまで扉の外で待機していてください。ここで見ているのは構いません。それから……」
扉の前で止まったアルフォンス君は、同行者に何点かの注意事項を伝える。
そして固唾を呑む一同の視線を受けながら、両開きの扉を大きくあけ放った。
僕達に見やすいように最大限に開いたまま、アルフォンス君が一人で入っていく。これは公務であっても、殺人現場の密室に一人で籠る状態を作ることで生じかねない不正や疑念を差し挟ませないための措置でもあるのだろう。
僕以外の五人が一斉に入口に群がり、彼の進む先を視線で追う。
僕が出遅れてでもあえて数拍置いたのは、自分の精神状態を直前に、できるだけ客観的に確認するためだ。
やはり脈拍が早い。
玄関ホールに入っただけで、少なからぬ衝撃受けた僕だ。殺人現場に舞い戻ったならそれ以上であろうことは、事前にある程度想定していた。
呼吸を整え、精神を落ち着かせる。
動揺する必要はない。命の現場は僕の日常だったじゃないか。冷静さを保つ訓練は何十年もしてきた。
十七歳の少女だったマリオンの、死んでもなお抑えきれないほどの激情が、心の奥深いところを揺さぶってくる。
振り回されるな。マリオンはもういない。僕は、来栖幸喜だ。
目を閉じて自身に強く言い聞かせる。
目を開いた時には、何事もないかのように、一足先に事態を見守る集団に加わった。
そこには、すでに少なくない動揺が広がっていた。
困惑と、どこかしら安堵の混ざった感情だろうか。
隙間から覗き見た広い空間には、ごく普通の日常風景しかなかった。
予想された惨劇の痕跡など、遠目には何一つ確認できない。
遺体どころか、血痕や争ったような形跡すら何も。
ただアルフォンス君が、何らかの記録機器らしきものを手に、異状を探して慎重に歩き回っているだけだ。
ただ、テディベアも付いて行っているのが、緊迫した状況に不釣り合いに微笑ましいというかシュールというか。彼の専属はメイドさんタイプなので、こんなに非日常的な事態に置かれながらも、自宅で見慣れた光景に感じる。
「どういうことだ……? ラウル達は、どこに……」
ベルトランが、呆然と呟いた。
ここは、ベルトランの息子のラウル、マリオンの父親のセヴラン、同じくマリオンの双子の弟のルシアンが殺された現場とされていた。
実際にマリオンの記憶から録れた映像にも、血に染まった三人の光景は映り込んでいる。
その十五年後の状態がここにあると、誰もが予想していた。
しかし目の前には、カントリー調の居心地よさそうな雰囲気の広間があるだけだ。
凄惨さを滲ませるものなど欠片もない。
それなりの心構えを持って臨んだだけに、僕も思わず肩の力が抜けた。やはりマリオンの残滓が抜け切れていない。無意識に緊張していたようだ。
こんなものは対処が後回しになっただけで、何の解決にもならない現実逃避なのだが、遺族となる他の面々も無残な骸を見ずにすんでどこかほっとしているように見える。
「ロボットが掃除したんじゃね? さっき親父が投げた人形も、さっさと片付けてたじゃん」
誰もが思いながら口に出すのを憚っていた可能性を、ヴィクトールがあっさりと口に出す。
確かに嫌な言い方だが、きれいに掃除されている点に関しては、それが一番普通に考えられる可能性だ。
世間一般に普及しているロボットだったら、遺体含め倒れた人間などを発見すれば、法令で定められたプログラムに従って通報なり現場保存なり応急処置なりするのだが、当然この屋敷はその限りではない。
ここで被害者となった場合の扱いや行く末について、あまり愉快な想像ができないのが辛いところだ。
「やっぱり生きてるのよ!」
戸惑う空気の中、アデライドの期待のこもる叫び声が響く。
「ロボットに手当されて助かったのよ! きっとこのおかしな屋敷から出られなくて十五年間閉じ込められてるんだわ!」
その意見に、一瞬にして沈黙が下りる。
誰も、二の句を継げない。というよりは、継がない、なのか。
『そんなわけがない』というのは簡単だが、それを知っているのは犯人だけだ。目撃証言をしたイネスですら、遺体に触れて確認してはいないと言っている。
ましてこの世界の技術なら、死んでいるようにしか見えない状態からの救命も十分あり得るのだ。
それどころか軍曹の常軌を逸した技術なら、死者すら蘇生してしまうのではないかという、前提全てがひっくり返ってしまう事態の可能性すらもある。
少なくとも、ここに遺体がない以上、アデライドの意見を完全に否定する根拠はなかった。うっかりした発言をすれば、せっかく犯行の全てをマリオンに被せたのに墓穴を掘りかねない。
「ま、まさか……」
ベルトランが、なんとか一言を絞り出した。
「じゃあ、あの三人は今も生きてこの屋敷のどこかにいるってのか? じゃあ、親父は?」
クロードが、珍しく険しい表情で呟いた。
まさにミステリーでおなじみの『遺体のない殺人事件』が完全に成立してしまった。今までは、現場に戻りさえすれば見つけられると思われていたが、実際には痕跡すらない。
僕は異能という遺産を相続していることから、ラウルの死は確信しているが、当然余計なことは言わずに見守る。彼の死後、本当に軍曹の超技術で復活しているかどうかまでは、僕には与り知らぬこと。軍曹の悪意を考えれば、ゾンビとなって襲いかかってくる展開すらあり得そうだと疑心暗鬼になってしまうのは、さすがに考えすぎであってほしいところだ。
ただ、今までジェイソン・ヒギンズという人物の足跡を資料から追ってきている僕としては、死者は死者のままなのだろうと予想している。
重症者の治療はあっても、死者の蘇生はない。仮にできても、やらないと。
生死をゲームのルールに取り入れている以上、死者を生き返らせるのはルールに反する気がする。
たとえいやらしいほどの落とし穴は仕込んでいても、軍曹はルールは厳守する人物のように感じている。あくまでも根拠の薄い、印象からの判断になってしまうが。
ああ、分からなければ、尋ねてみればいいのかと、ふと気付く。ここのロボットは、AI規制法施行前の自立思考型なのだった。
「十五年前に、ここにご遺体があったはずなのですが、彼らはどうなったのですか?」
僕の執事クマ君に問いかけてみた。その手があったかと、盲点を突かれた表情の視線が集中する。この世界の人達は、たった十数年の間にロボットとおしゃべりする習慣をすっかり失ってしまったようだ。
「その質問については、答える権限がありません」
クマ君から返って来たのは、淡々とした無情の回答。おお、来た。これもおなじみのやつだな。
しかし『答えられない』という回答が『答え』になっているという部分もある。知っていて、上からの指令で答えられないという意味なのだから。
すでに退場したはずの彼らの行方すら、軍曹のシナリオの内というわけか。
思索に耽る僕の傍らで、さっきから堰を切ったようにアデライドの質問が立て続けに耳に届く。
「なんでよ!? いい加減にして!」
が、ほとんどの回答は一問目と同じ。どうでもいい内容には答えるのに、核心を突いた問いには一切有効回答がないのだから、おちょくられているように感じても仕方ない。彼女もますますヒステリックになっていく。
本当に、推定死亡者である彼らは今、どこにいるのだろう?
予定通りにいかないのは最初から織り込み済みとはいえ、いきなり当てが外れてしまった。
ご遺体の回収は、ある意味最も確実なミッションだと思っていたのだが。
この広大な屋敷のいったいどこにいるのか。手掛かりなしのローラー作戦では、どうにかできる気がしない。
アデライドの言うように、仮に本当に生きているのだとしたら、閉じ込められているのか、出てこられない事情があるのか、ということになるが。
軍曹はどんな思惑で、死者(推定)――いわばゲームの敗者を、生還者から引き離し、隠してしまったのだろう。
十五年前の招待期間終了時に、彼らを外の世界に返さなかったことにも、きっと意味はあるはずだ。