転移
門前にいたはずの外の風景が、一瞬にして変わっていた。
最初に目に入ったのは、巨大な振り子時計。
これなら子ヤギも余裕で何匹でも隠れられるだろうといった、異様な存在感を漂わせている。テレビなどでしか見たこともないようなアンティークの趣だ。
その振り子時計からボーン、ボーンと、正午を告げる音が鳴っていた。
まさにミステリーの王道といった雰囲気を醸し出す。まるで始まりを告げる銅鑼の音のようだ。
招待状通り、今日の正午。
相続人候補の十三人は、さっきまでの立ち位置のままで、ホテルのような広いエントランスホールにいた。
まさに、十五年前と同じ現象だ。
たった今、強制の五日間が始まった。
本当に機動城内に招待されたのだと、実感した僕の近くで、弾けるような笑い声が聞こえた。
「は、はははっ! やった! ようやくここにまた来れたぞ! 今度こそ、キングの遺産を手に入れてやる!」
喜びを爆発させるように叫んだのは、初っ端からあまり良い印象はなかった従兄のレオン。四十半ばとも思えないはしゃぎようだ。
それを遠巻きに眺める周囲の身内の目は、大半が冷ややかだ。
「ああ、親父! 今回は俺も役に立つぜ!」
一人、それに同調するのは、レオンの息子のヴィクトール。アルフォンス君と明らかに折り合いの悪そうだった青年だ。
弁護士のペロワさんも、野心満々の人物の存在に言及していたが、間違いなく彼らのことだろう。まだ始まったばかりなのに大変なテンションだ。
唯我独尊な父子は、二手に分かれて部屋中のドアや窓の確認をし始めた。最初から打ち合わせしてあったのだろう。
「親父、駄目だ。やっぱりどこも開かねえ。玄関までびくともしねえ。どっかにスイッチとかねえのかよ」
「ああ、本当に不便な屋敷だろ? 自動ドアが一つもないなんて信じられない」
「どうせここから出れねえなら、その間に他の手掛かり探そうぜ」
「ああ。お前はそっち頼む」
ホールの端の方からそんな会話が聞こえる。
僕達の代わりに出口の確認をしてくれたのはありがたいが、正直信用はできないので後で自分でも確認しておこう。
これまでずっとだんまりを決め込んでいた次女のイネスが、自分の家族に向き直った。
「やっぱりしばらくは足止めされるようね。前回は三時間、ここで待たされたわ。とりあえず馬鹿はほっとくとして、休める場所に移動しましょ。ギーとルネは大人の目の届くとこから離れちゃダメよ。ああ、大人と言っても、ああいう馬鹿な大人は数のうちに入らないから気を付けなさい」
ようやくしゃべれるとばかりに悪態をつき、ソファーの方へと促した。
なかなかに口の悪いこのご婦人は、この場で三番目の年長者になる。
甥とその息子を馬鹿と切って捨て、娘のキトリーと、双子の孫達を連れてすたすたと歩いて行った。初めての場所ではないだけに、それなりに勝手が分かっているようだ。
妹に、息子と孫を馬鹿呼ばわりされたベレニスも、反論の余地なしとばかりに溜め息を吐き、その後に続いた。
彼ら父子は、実の母であり祖母である人にも、残念な目で見られているようだ。
残るベルトラン一家も、まだ多少の警戒心は残しつつも、妹一家に倣って付いていった。
反対方向に足を向けたのはクロードだ。
「せっかくだし、俺もこの部屋よ~く観察しとくわ。なんだかんだでここ、俺の仕事の原点なんだよな」
彼は個性派の建築士だ。確かに異世界仕様の建造物には学ぶものが多いだろう。ウキウキした足取りで、自分達を閉じ込めるホールへの探検へ乗り出した。
「俺達はどうします?」
僕の肩に回していた腕をそのままに、アルフォンス君が僕に尋ねる。
その声が、どこか遠くに聞こえた。
この場に立ち、広いホールをぐるりと見回した瞬間から、強いめまいに襲われていた。
「コーキさんっ?」
異変に気付いたアルフォンス君が、慌てて僕を抱き抱えるように支える。
今は、それに答える余裕もなかった。
突然、経験した覚えのないはずの情報が脳内に差し込まれた感覚に、くらくらとして、まともに立っていられない。
ほんの数秒だろうか、足元がふわふわとして、自分が誰だか分からなくなるような錯覚に陥った。
そうか――これは、マリオンの時の……。
「コーキさん!?」
少しじっとしていたら、間もなく異常な感覚がすうっと消えた。
地面に立つ感覚も戻った。
「――大丈夫です。もう、落ち着きました」
一人で態勢を立て直すが、心配するアルフォンス君は支える手を離さない。
再び周囲の様子をうかがえば、いきなり悪目立ちしてしまったようで、僕は一同から注目を浴びていた。
「とりあえず、少し休みましょう」
アルフォンス君が僕の身を案じながら、手を引いて誘導する。
「そうですね」
僕は介助が必要な年寄りではないと内心思いながらも素直に従ったのには、目的がある。
まずは前哨戦だ。
しっかりとした足取りで、馬鹿親子とクロード以外の親族が集まっているソファーの方へと歩み寄った。
「失敬。お騒がせしたようですね」
アルフォンス君と並んで空いていた席に腰を下ろしてから、めまいの理由を説明をする。
「どうも、マリオンさんの脳に刻まれた記憶の一部が、一瞬ですが僕の意識に逆流してきたようです。やはりこの場所の印象が、よほど強かったんでしょうね」
特に差支えのない情報を伝える。正確ではないが、嘘でもない。
だが、隣のアルフォンス君が目に見えて焦り出す。
「それ、大丈夫なんですか!? そんな症例聞いたことありませんよ!?」
「問題ありません。もう、元通りです」
「異常があったら、すぐに言ってくださいよ? ただでさえチェンジリングは謎だらけなんですから……」
この半年間でチェンジリング博士になりそうな勢いで勉強していたアルフォンス君は、心配そうに要求しながら、一方で別の気がかりにも恐る恐る触れてきた。
「――それで、マリオンの記憶というと……何か事件に関わる情報などは……?」
この屋敷に舞い戻った一番の目的なのだから、気になるのも当然だろう。
「ラウルを! ラウルを殺した時のことは!?」
被害者の姉として、開口一番に僕を罵ったアデライドが、縋るように詰問する。
やはり先程の言動は、収まりの付かない感情のままに出た八つ当たりで、僕が別人であるとの理解は一応あるらしい。
残念ですがと、僕は首を振る。
「申し訳ないですが、この屋敷のイメージが部分的にぼんやり蘇ったくらいで、はっきりと認識できるような情報は何も……」
僕の答えに、アルフォンス君を含めた何人かが落胆した。やはり身内の事件だけに、真相解明を望む者は他にもいるのだ。うっすらでも期待を抱かせてしまって申し訳ない。
とはいえ何もかもを馬鹿正直に報告するつもりはない。
基本的に僕は嘘つきなのだ。
今は、僕の情報収集の場であって、こちらを有利にするための撒き餌以上の情報開示は必要ない。
更についでとばかり、反応を探るための補足をする。
「いくら同じ脳を使っていても、僕の精神がない時の出来事などは、さすがに引き出せないようです。やはり脳と精神、両方揃った状態での経験でないと、なかなか記憶として認識できないのでしょう。後からやってきた僕には、引っ越し前にその家で起こったことは分からないようなものです」
これは半年間で得た、偽りのない結論だ。
“僕”に“マリオン”の記憶は引き出せない――その断言に、逆に、ほっとした様子の者も数人確認できた。
僕もアルフォンス君も、個々の表情の変化をさりげなくチェックする。もちろんホールの探索で離れながら、聞き耳を立てている三人も含めて。
実はさっきのめまいは、僕に大きな収穫をもたらしていた。
この場所への帰還がきっかけで引き起こされた、情報の氾濫と意識の混濁のせいだろうか。
記憶とは違うが、マリオンについての重要な事実が一つだけ、はっきりと把握できた。
アルフォンス君が僕に期待したチェンジリングチートではないが、それに近い武器と言ってもいいかもしれない。
本来はマリオンが得ていたものだから、僕は今まで自覚できていなかったのだ。
その武器が、今の僕の中に消化されたのが実感できる。
これをどう使うか、果たして使いどころがあるのかは、可及的速やかに考えよう。五日間しかないのだから、じっくり検証している暇はない。
これは切り札になる。
しかし同時に、この十二人の中には、同種の切り札を持つ者がいるのだとも、理解した。
そう、マリオンと同じく、十五年前に。
だからこそ、より慎重に、細心の注意を払って……。
他の誰にも、極力悟られないようにしておこう。アルフォンス君にすらも。
何も知らない。何の関わりもない。チェンジリングという偶然で、はからずも縁を持ってしまっただけの、赤の他人。
――それが示すべき、僕の立ち位置だ。