出発 1
「さすがに今日は、マスコミがひしめいてますね」
リビングで、自宅周辺の状況を映し出したモニターを確認しながら、アルフォンス君が諦めの溜め息を吐く。
僕ものぞき込んで、その騒がしい光景に苦笑した。
「君には毎年の見慣れた光景ですか?」
「いえ、今年は規模が違いますね。多分他の親戚の家も同様でしょう」
とうとう訪れた、遺産相続人選定会の当日。
ジェラール・ヴェルヌの血を引く親戚全員が、今日から五日間、キングの機動城に滞在――はっきり言えば、隔離されることになる。
十五年前と同様に。
今日ばかりは僕狙いのパパラッチではなく、十五年振りの世紀のイベント開催への期待で、僕達の家は朝から報道陣に取り囲まれていた。
僕達の安全と護送のために出張ってきた軍が規制線を張り、普段は平穏な住宅地がさながらテロ現場か何かのようだ。
まさしく国家の期待を背負わされているのだと、改めて思い知らされる。
過去十四回空振りしてきたが、今回は開催がほぼ確実視されているだけに、国を挙げての盛り上がりが凄まじい。
ここ数日は特集番組が何本も組まれるほどのお祭り騒ぎだ。
彼らマスコミとしては、遺産相続が成立しても、あるいは逆にまた悲劇が起こったとしても、どちらでも美味しいドラマになるのだろう。
「毎年こうなんですか?」
「今年は特にひどいですよ。多分他の親戚の家も同じ状況でしょうね」
「では年に一度のスター気分でも楽しみますか。僕は初めてですが」
「スターというよりは、珍獣の扱いですけどね」
僕の冗談に応えるアルフォンス君の表情は、どこか強張っていた。
十五年前のあの朝、ちょっとした家族旅行に行くような気分で浮かれてすらいた――以前そんな話を聞いた。まさかあんな悲劇が待ち受けているとは思いもせずに。
その時を思い出しているのかもしれない。
今の彼は、まったく逆の心境だろう。
「コーキさん……俺は正直、怖気づいています。またあんなことが起こったら……今度はあなたを失ったらと思うと……。この日のために、今までずっとできる限りのことを学んで、体も鍛えてきたのに……いざ、目の前に迫ってくると、震えがくる……情けないですね」
「みんな、そうですよ。もちろん、僕も」
そうだ。その気持ちは痛いほど理解できる。失うことを知っているからこそ、あって当然の怖れだ。
警戒が必要になるのは、なにも十五年前の真犯人だけではない。
例えるなら、サイコロを振り直すようなもの。
前回罪を犯していないから今回もそうだとは、誰にも言えない。
一緒に暮らしてきた家族ですら、遺産がかかった途端骨肉の争いを始めるのはよくある話。
ましてキングの遺産は、犯罪とは無縁の人間すらも狂わせるだけの価値がある。単純に金銭としても、あるいは利用価値の意味でも。
いつ誰が遺産に目がくらんで牙をむいてきても、おかしくはない。
割れ窓理論のように、他の奴がやっているなら自分も――となる可能性の方が余程高い。
これから行くのは、警察も介入できないある種の無法地帯なのだから。良識への強制が効かない空間だからこそ、普通の人間が犯罪に手を染めやすくなる。
それは十五年前にすでに証明されている。
もっとも僕に言わせれば、極論になるが、親戚の内の誰かが犯人ならば、それほどの脅威とは思わない。
伝説の魔法使いでも戦場を生き抜いた百戦錬磨の軍人でも一子相伝の殺人拳法の使い手なわけでもない、ごくごく普通の一般人だ。
万全の対策をして油断なく備えれてさえおけば、対処できないこともない。
個人的には真に恐ろしいのは、人知を超えた軍曹の何らかの介入だと考えている。死せる軍曹が、誰を走らすかといったところだろうか。
まあ、あると仮定した場合だが――初めからないとかかるよりは、あると想定していた方がいいだろう。
ただ、想定していたとしても、一体どう対策を講じればいいのかすら、想像もできないのが難点だ。
決められた行動や場所をトリガーとして、何らかの催眠状態に置かれ、自身の意志に反した行動をとらされる可能性すら、妄想や気の回しすぎではすまない。
バラバラ殺人事件の、加害者にされた被害者のように。
まったく、猜疑心の種は尽きることがない。
苦悩の十五年間を一人で生きてきたアルフォンス君を勇気づけるような安易な言葉は、僕には思い浮かばなかった。
こんな時、昔の僕はどうしていたのだったか。
弱気になって泣きそうな弟をなだめるには……。
――ああ、そうだ。あの頃の僕は……。
思い出しはしたが、いくらなんでもと、行動に移せないでいたら、アルフォンス君の方から提案された。
「コーキさん、ハグしてもいいですか?」
そんな不安そうな顔の弟におねだりされたら、撥ねつけるわけにはいかない。
むしろこれ幸いとばかりに承認する。
「――仕方のない子ですね」
「子供じゃありません。少なくとも見かけなら俺の方が年上ですから」
反論しながらも、アルフォンス君がぎゅっと抱え込むように僕の背中に手を回す。
相手に合わせてしれっと応じてしまえば大したことはないないと思いつつも、やはりやりつけないので少々気恥しいものがある。長年日本人として生きてきた身には、身内同士のハグでもなかなかにハードルが高いようだ。
加えて、想定していたかつての弟のサイズじゃないから、今の僕ではもう抱っこもできない。頭一つ大きいアルフォンス君に、僕が抱っこされそうな勢いだった。
しかし再び一人残される恐怖に怯える弟を、僕はこの大きくもない今の腕でしっかりと支えて勇気づけてやらなければならない。
そして、同様に気を呑まれそうになる自分を、叱咤激励する。
今はお互いに、何もできない子供ではない。
もう二度と、今度こそ絶対に失わない。
「二人で、乗り切りましょう。家族を探して、事件の真相を突き止めて、マリオンさんの無実を明らかにするんです」
あやすように背中に手を回す僕を、アルフォンス君は力強く抱きしめた。
「十五年前は、屋敷内で離れたまま、義父さんとルシアンは外に出てこなかった。屋敷内では、俺は極力あなたから離れません。それは、了承しておいください」
「分かってますよ。どこへでも付き合います」
僕の了承にほっとしてから、アルフォンス君は依然僕を抱え込んだまま、話を変える。
「ところで、ジェイソンは強力で万能な超能力者でもあったそうです。コーキさんは、チェンジリングとして何か特別な力に目覚めたとか、そんな感触はいまだにありませんか? 誰かに襲われかけても、身を守れるような力とか」
この期に及んで、どこか期待するように問いを投げかけてくる往生際の悪さに、内心で失笑した。