墓参り
普段はシンプルで動きやすいパンツスタイルで通している僕だが、今日だけは例外だ。
同居してから一度も入ったことのないマリオンの部屋に朝から入り、クローゼットの中からよそ行きのワンピースを選んで身に着けた。スカートをはいたのは、チェンジリング初日以来だ。
更にショートカットにも合いそうな髪飾りを付けてみる。赤く染めていた髪の色も、起きてすぐ簡易的に元の水色に戻してある。
どこから見ても、普通の十八歳の女性だ。そして顔見知りなら、一目でマリオンと分かる姿になっている。
「おはよう、アルフォンス君」
「おはようございます、コーキさ……」
アルフォンス君が僕の姿を見て、またまたマグカップを落とす。このやりとりももう何度目になるだろう。
そしてクマ君は以前にも増して速やかに片付けてくれる。
アルフォンス君は僕がプレゼントしたスーツを着てくれていたから、濡れる前に対応してくれたクマ君に感謝だ。
「今日だけは、特別ですよ」
「……ありがとう、ございます」
笑う僕に、アルフォンス君はどこか泣き笑いのような顔をした。
今の彼の目には、誰が映っているのだろうか。
いつも通りにタクシーを呼んで、二人で家を後にする。
今日は少々遠出の外出だ。日本ならレンタカーでも借りるところかもしれないが、こちらの車は自動運転だから、レンタカーという概念自体ない。呼べば無人で文字通り飛んで来て、用が終われば勝手に帰っていく車――もう当たり前なので感動もしない。今では僕もすっかりアルグランジュ人だ。
途中で店に寄って、花束を三つ買った。
アルフォンス君と休日に二人で出かけることはこれまでも何度かあったが、今日のは楽しめるようなお買い物とは違う。
車で一時間ほど飛んでいた道中も、いつもより会話は少なめだった。普段とは逆で、物思いにふけりがちなアルフォンス君に、僕が合わせた形だ。
首都圏から外れた自然に囲まれた閑静な場所に、目的地はあった。
落ち着いた雰囲気の霊園だ。
アルフォンス君は、隣を歩く僕にぽつりと呟く。
「ギリギリまで、迷ってたんです。いつもみたいに、俺一人で父さん達に会いにいくべきか、伯母さんのためにあなたも連れていくべきなのか」
三つの墓碑の前で立ち止まり、アルフォンス君がぽつりと言う。
アルフォンス君の両親、そして、マリオンの母親のものだ。
今日はこの三人が事故で亡くなった命日だった。
子供の頃はともかく、大きくなってからのアルフォンス君は、毎年一人でここに参っていたようだ。
「どうして迷う必要があるんですか。僕は都合のいい部分だけをマリオンさんから引き継いだつもりはありませんよ。親孝行くらいさせてください。もちろん、君のご両親にも」
「――そうですね。一緒に来てもらって、嬉しいです」
アルフォンス君はデュラン家の二つに、僕はベアトリクス家に一つ。それぞれの親の墓碑に花を供えた。
僕は完全な無宗教だが、ここで無理に個人的なポリシーを持ち出すつもりはない。今日だけは、特別なのだ。
「まだ、義父さんと、ルシアンの墓は作っていません。俺はまだ、何も納得していないから」
「それでいいと思いますよ。君達の大切な家族を、機動城まで探しに行きましょう。時間は限られていますが、君の納得のいくまで手伝います」
マリオンの“父親”セヴランと、“双子の弟”ルシアンは、機動城内でマリオンに殺害されたと、裁判では認定されている。それはマリオンの記憶の映像の断片と、生還した一族の目撃者の証言から。
しかし現実には、まだ生死すら確認されていない。
「改めて確認しましょう。数日後に迫ったジェイソンの遺産相続人選定会ですべき重要課題は、二つですね。十五年前の事件の解明だけではなく、家族の捜索も。もし本当に亡くなっているのなら、いるべき場所へ、家族の下へと戻してあげましょう」
「いえ、一番重要な課題は、他にありますよ」
三つの墓碑に誓うように言った僕の言葉を、アルフォンス君は否定した。
「死んだ人間よりも、生きている人間です。優先順位を間違えてはいけない。機動城で何があっても、俺はコーキさんだけは守ります」
隣に立ち、亡くなった家族の前で、僕を見つめて力強く宣言した。その真っ直ぐな眼は、明らかに家族や同性の同居人に対するものではなかった。
これは、あまり望ましくない雰囲気のようだ。
またお約束の釘を刺さなければいけない。
「アルフォンス君? 僕は、マリオンさんでは」
「マリオンではなくても!」
いつもの否定を遮るように、アルフォンス君は続けた。
「この半年、俺と一緒にいてくれたのは、あなたです。ずっと俺を支えてくれたのも。たとえマリオンでなくとも、変わり者でも、中身が誰であっても、あなたはもう、俺の大切な家族なんです」
大切な家族――幾分引っかかる評価もあったが、マリオンではないと認めながらもなお、目の前の僕を見てくれて、僕と同じ思いを口にしてくれる青年に、どうしようもなく心が揺さぶられてしまいそうだ。
「――困った弟です」
動揺を隠すように、一言だけ返す。
「弟になりたいわけじゃ、ありませんけどね」
さらりと聞き捨てならない発言が続く。せっかく感動しているところなのに、不適切な失言は控えてほしい。
「そこはかとなく問題発言な気がします」
「もう、自分に抵抗するのに疲れたんです」
「何を言ってるんですか。弱音を吐かずに頑張ってください。ニホンの有名な先生も、諦めたらそこで試合終了だと言っています」
「誰ですかそれ。何の試合か知りませんが、無理だと思ったらさっさと切り替えて次の目標を目指す方が建設的だと思うんです」
「今どきの若者ですか。根性がないんですか」
「確かに今どきの若者ですが、あなたに関してはむしろ根性がなければ吹っ切れない気がします」
「――――」
さて、困ったものだ。アルフォンス君が、少女の外見にいよいよ惑わされてしまっているようだ。
出会ってから半年近くにもなり、とうとうぶっちゃけてきた。
亡きご両親の前での一大宣言なのだろうか。
幼い頃から不遇な環境で強く生きてきただけあって、彼は意外に頑固なところがある。一度決めたことは貫く意志の強さも、こうなると良し悪しだ。
家族の実態が、彼の中で変質してきている。――従姉でも義姉でもないものに。
中身はおじさんだとあんなに言い含めているのに、新しい扉を開いてしまったのだろうかと少々心配だ。
彼には普通のお嬢さんと、普通の恋愛をして、普通の家庭を持ってもらうのが一番の幸せだろうと願っているのに。
しかし同居から半年。その気配は一向に見られないのが、ここしばらくの気がかりだった。
相変わらず毎日仕事が終わったらすぐ帰ってきて、一緒に食事をして穏やかな団欒の時間を過ごす。なんだか老夫婦のようですらある。
確かに外見だけなら恋人として並んでも不自然さはないだろうが、若気の至りにしても、僕ではあまりに特殊すぎる。男性として六十五歳まで生きた経験については、彼の中でどういう風に処理されているのか。どうしたって見かけ通りの平凡な女性ではないのに。むしろ様々な属性を背負いすぎるほどに背負っている。
精神が不安定だったところを救われてうっかり擦りこまれてしまったものの、数年後我に返って、確実に黒歴史となっている案件ではないだろうか。
あるいは――僕が新しい人生を踏み出すとしたら、遺産相続の件が片付いてからだと以前言ったことがあったが、もしかしてその時を虎視眈々と待ち構えているのかもしれない。
ここまで家族同然となってすごしてきたアルフォンス君に、異性として本気で好きになられてしまったら、僕はどう対応したらいいのだろうか?
僕もこちらに来てから、若い男性に口説かれる機会がそれなりにあったものだが、お付き合いの申し込みやデートのお誘いは淡々とお断りしてきた。
もはやすっかり手慣れたものだが、その中には、アルフォンス君のディフェンスが入ったことも少なからずあったのだ。
うっすらと感じてはいたが、それも弟の“かわいいやきもち”とは当然意味合いが違うだろう。この年でそうなら、別の問題が出てくるというものだ。
いくらアルフォンス君が大切でも、そういう意味での交際に発展させるつもりは一切ない。しかし断るのは簡単だが、やはり振ったら泣かせてしまうだろうか。
少々悩ましいところだ。
可愛い弟とは、泣かせたいが泣かせたくないものなのだ。