先触れ
その日、仕事から帰って来たばかりのアルフォンス君の表情は、どこか思い詰めているように見えた。
僕はその理由を知っている。
今日は、ジェイソンの命日。それはつまり……。
「おかえり、アルフォンス君。僕の下にも、ペロワ弁護士事務所からメールが来ましたよ」
「……っ!?」
アルフォンス君の元にも、僕と同じメールが届いていたはずだ。蒼褪めたその顔色で確信する。
メールの内容は、後日我が家に訪問するという確認と挨拶だ。軍曹――ジェイソン・ヒギンズからの招待状を届けに。
「……やっぱりそちらも、コーキさんに引き継がれていたんですね」
アルフォンス君は、吐き捨てるように呟く。
法の上ではマリオンのすべての権利を持っているとはいえ、法も理屈も及び難い部分があるため、今まではどちらに転ぶか分からないところがあった。
なにしろ遺産を残した本人がすでに死亡しているのに、この十五年の間、毎年弁護士事務所に、相続人候補者に宛てた招待状がまとめて届くという異常さなのだから。
その間の一族の誕生による増員を正確に把握した上、個々の記名をしっかりされたものが人数分届くのだ。
そのため、死刑後のマリオンがどう判定されるか、誰にも明確な結論は出せないでいた。
しかしこれで晴れて僕も、遺産相続人候補の一人として、ジェイソンの謎の運営サイドからも正式に認可されている事実が判明したわけだ。
弁護士事務所に年一回届いていた招待状の束の中には、去年までと同じくマリオン・ベアトリクス宛てのものが変わらずにあったそうだ。つまり、現在は僕宛てとなる。
「ふふふ、念のため仕事の調整をしておいてよかったですよ。最短でも五日も穴を空けてしまいますからね」
招待状の文面は、最初の一通目から十五年間ずっと同じ。今年もそうなら、開催日は軍曹の命日の十日後正午から、五日間の日程となる。唯一実際に行われた悪夢の初回選定会と同様に。
あえて軽く発した僕の言葉――特に“最短五日”の一言に、アルフォンス君は不機嫌を隠さない。最短とは、無事に帰れた場合。帰らない可能性もあり得るのだから。
「――どうして嬉しそうなんですか。こんな厄介ごとに巻き込まれたのに」
「一番厄介なのは、どっちつかずの状態の方です。はっきりと決まって、むしろ晴れ晴れとした気分ですよ。それに、君を見送る立場ではなかったことに、ほっとしています」
そう、僕は確かに胸を撫で下ろしていた。
あのような物騒な場所に、アルフォンス君一人を送り出さなくてすんだことに。
家族と別れたまま、それが永遠の別れとなってしまった――なんて終わり方は、もう二度としたくはないのだ。
もしどんな危険が待ち構えていたのだとしても、一緒に飛び込んでいけるなら僕の決意は揺らがない。
「アルフォンス君。十五年前の事件の真相を、思う存分調べるチャンスと喜びましょう。僕もできる限り手伝います。僕にとって君のことは、もう他人事ではないんですよ? 別視点を持つ第三者だからこそ分かることも、きっとあるでしょう」
「――俺一人だったら、いくらでも無茶ができるんですけどね……」
「だから、僕が必要になるんじゃないですか」
不本意そうなアルフォンス君を、あえて明るく笑い飛ばした。
アルフォンス君は思い溜め息を吐く。
「マリオンではないコーキさんなら、外されることも少しは期待してたんですけどね……」
ぼやきながら、気持ちを切り替えた表情で僕に向き直る。
「それじゃ、第三者的にコーキさんは、ジェイソンの意図って、どう思いますか?」
「随分ざっくりとした質問です」
唐突な質問に、疑問で返す。
「単純に分ければ、善意か悪意か、についてですね」
少し考えてから、アルフォンス君は分かりやすくするためにか話を変えた。
「そもそも法的には、俺達に相続権なんてないんですよ。ジェイソンからしたら、若い頃に夫と死別して、ほとんど縁も切れたような義兄の子孫なんて、普通に他人に過ぎません。夫が先に死亡した時点で、俺達が受け継ぐ根拠はなくなってるんです。なのにわざわざ遺言で、ジェラール・ヴェルヌの血縁者全員に遺産を残す機会を与えようとする意図は何なんでしょう? 俺の父親ですら、面識もなかったのに」
「――根本的に考えるなら、そのジェラール氏――君から見ると、おじいさんとなる方とジェイソン氏との関係性、という点に突き詰められるのでしょうけどね」
「そうですね。祖父は、ジェイソンの死の前日から、行方も生存も分からないままです。普通に考えるなら、昔世話になった人物に遺産を――と善意にも取れそうですが、事前に用意されていた遺言には、肝心の祖父自身は初めから候補者に含まれていないんです。行方不明になる前から。どうして祖父をのぞいて、ほとんど関わりもない子や孫達を指定したのか……」
この件について、ずっと考察してきただろうアルフォンス君は、長年の不可解な点を頭の中で整理しながら口にしていく。
彼の言いたいことが、よく分かった。
「結果だけ見れば、最悪でしたからね」
「はい……」
遺産は誰の手にも渡らず、犠牲者だけが四人――いや、マリオンを含めれば五人。遺言によって、ジェラールの血の繋がった身内を、五人も死なせた。
善意が裏目に出たというよりは、もはや初めから悪意でそれを狙ったのではないかと疑いたくもなる。
僕の一言に、アルフォンス君も頷く。
「十五年前、ずっと自宅の研究所に引きこもっていたジェイソンが、死の前日に長年接触を断っていた祖父を呼び付けたそうです。そしてそれに応じた祖父は、ジェイソンの研究所からそのまま消息を絶った。間を置かずジェイソンも自殺して……この時点で、今の事態を引き起こした主犯が祖父なのかジェイソンなのかすら、もう判然としません。その後の一族の悲劇が、狙って仕組んだことなのか、たまたまそうなってしまっただけなのかも……」
主犯――その口ぶりからして、アルフォンス君はずっと、祖父ジェラールか、軍曹のどちらかが少なからず何らかの糸を引いた結果である可能性を考えてきたのだろう。
少なくともジェラールに関しては、いまだ死亡が確認されてもいない。高齢ながら、今もこの件で暗躍しているのではないかと疑心暗鬼にもなるというものだ。
サスペンス的に考えれば、彼が何か企んで自分や一族に遺産が来るように違法な細工でもしたのかと疑いたいところだが、もしそうなら結果は大惨敗だ。
いや、あまり可能性ばかり追いすぎるのは好ましくないと、自らを戒める。今の時点では、推理すること自体危うい――というか、無益だとすら言える。
この世界はなんでもありなのだから。
ただ、根拠なく言わせてもらえば、僕は軍曹の悪意を感じている。
ジェラールとの間に、そうするだけの何かがあったのだろうと。
遺言に他者が細工できるのかは知らないが、少なくとも機動城という異常な場は、軍曹本人でなければ用意できるものではない。
何より彼は、人を殺す覚悟も経験もあるだろう元軍人なのだ。
異世界での六十年を超える人生。伴侶も早くに失い、長い人生の大半を孤独のまま、何を思って生きていたのか。七十二まで生き永らえながら、何を達成したために、あるいは諦めたために、自殺に至ったのか。
元の鍛え抜かれた体は失っていても、変わることのない強靭な精神力で、冷徹に何かを企み、忍耐強く準備を進め、ついに実行に移した――そんな空想が、どうしても拭い去れないのだ。
戒めた傍から、思考の飛躍を止められない僕にも困ったものだが。
「考えても、仕方ないですね」
僕自身を否定するかのようなセリフを自ら吐いて、思わず失笑しながら言葉を続ける。
「心構えは必要ですが、考えているだけでは真相にはたどり着けません。まずは十分な準備をして、現場に戻りましょう」
「ええ。準備だけは、この十五年、してきたつもりです」
アルフォンス君は、すでに心構え十分の表情で頷いた。