誕生日
この家に住み始めてから三か月が過ぎ、相変わらず穏やかな日常を謳歌している。
しかし今日は、特別な日なのだ。
いつも通りアルフォンス君を素知らぬ顔で仕事に送り出してから、活動を開始した。
彼のいない間に、きちんとアルグランジュの流儀に合わせて諸々の準備を万端にすませていく。
一通り終わってから、リビングを隅々まで最終チェックして、会心の笑みを浮かべる。思い通り、完璧にできた。
プロジェクションマッピング的な投影技術で、普段は落ち着いて家庭的な部屋が、華やかに飾り付けられている。しかしチョキチョキペタペタせずとも、自由自在にアレンジできて、片付けもスイッチをオフにするだけとお手軽さを、どうにも風情がないと思ってしまうのは逆にないものねだりだろうか。
あとはアルフォンス君の帰宅時間に合わせて、テーブルに特別なごちそうを並べるだけだ。
クマ君含め、家事ロボットの皆さん大活躍だった。
今日は、アルフォンス君の二十五歳の誕生日なのだ。
最近の様子を見ている限り、本人もまったく気にしていない様子だからこそ、ここは僕が頑張りたいところだ。
この十五年、友人から祝われることはあったとしても、家族からはなかったはずのお誕生会。もういい年なのだからなどとは言わずに、僕は身内として祝ってやりたかった。
もうそろそろ帰宅時間になる。
サプライズというのはあまり僕の好みではないのだが、かといって事前に今日パーティーをやりますよと当人に告げるのも、いざやろうと考えたらまた面映ゆいものがあった。僕も祝い慣れていないので、どうにも勝手が分からない。
結局いろいろと悩んだ結果、アルフォンス君が帰ったその場でいきなりしれっと告げて、そのままの勢いでお祝いを始めてしまおうと決めた。
* * * *
「コーキさん、ありがとうございます」
仕事から帰って来たばかりのアルフォンス君は、リビングの状況と僕の「誕生日おめでとう」の言葉で、今日が何の日だったか思い出したようだった。
感動を抑えられないといった様子で、がばっと僕にハグをしてくる。少し泣きそうになったのを誤魔化しているのかもしれない。
アルグランジュの対人的な行動パターンは欧米に近い感じで、ハグや頬へのキスなどは割と日常的なものだ。
僕のいた社会がそうではないことを察して、普段は控えているアルフォンス君だが、今日だけは衝動的に抱きしめられた。
長いこと日本人をやってきた身には少々気恥ずかしいものがあるが、そこは郷に入れば郷に従え。僕も素直に応じる。見たかった反応が見られたので満足だ。
「――――」
が、身内のハグとしては、少々長い気がする。腕にこもった力も強い気がする。
ここはいつもの釘を刺しておくべきかと、ツッコミを入れようとしたタイミングで離れられたので、追及はやめておいてあげた。
最近、ますます僕の言動の傾向が読まれているようで、どうにも腑に落ちないものがある。
さすがエリートというべきか、彼は空気を読むのが非常にうまいのだ。残念ながら、そこは僕の苦手分野と言える。
早速向かい合ってごちそうを味わいながら、アルフォンス君が照れたように言う。
「それにしても、この年で誕生日を祝ってもらうなんて、ちょっと照れますね」
「いいんです。ぼくがやってみたかっただけですから」
いい大人のお誕生会。確かに普通だったら引かれるところかもしれないが、今回だけは『特別』と見逃していただきたい。
「これは、僕の自己満足のためでもあるので、気楽に受け入れてください」
「自己満足、ですか?」
キョトンとするアルフォンス君に、思わず慈愛のまなざしを向ける。
「僕は、弟が大人になる姿を見れないと思っていましたから、一度やってみたかったんです。僕のわがままと思って、今回だけ付き合ってください」
「――そうですか。それではありがたく」
アルフォンス君は思うところがあったのか少しだけ複雑そうに呟き、すぐに気持ちを切り替え、笑顔で受け入れてくれた。
普段、昔の弟の記憶と混同しないように意識してはいるが、一度きりの、思い出作りのようなものだ。彼に対して失礼なのは分かっているが、おそらく次はやらないから、今回だけは特別に許してほしい。
疑似家族の錯覚のラインを、相変わらず行ったり来たりしている僕達の関係から、最近は“疑似”の部分が取れてきているように、時々感じる。
いや、それこそが最大の錯覚なのだろう。
いずれにしろ環境が許してくれている間に、楽しめるだけ楽しんでおこうという、僕の開き直りだ。
クマ君がラッピングされた少し大きな箱を持ってきてくれた。アルフォンス君へのプレゼントだ。
不思議なことに最近のクマ君は、最初の頃と違って非常にタイミングよく動いてくれるようになった。自主的な思考はできなくとも、学習機能は作動しているということだろうか。愛用している僕のためにカスタマイズされてくれているかのようだ。
ありがとうとクマ君から受け取り、席を立って、アルフォンス君へと手渡す。
「職場で働く君に、どんなものが似合うか考えながら選ぶのは、楽しかったですよ」
「ありがとうございます。こんな風に誕生日プレゼントをもらうなんて、本当に久しぶりです」
素直に喜んでくれたアルフォンス君が、その場で開けて、中の物を取り出した。
「スーツですね。職場に着ていけるやつです」
体に当てて、僕に見せてくれる。うん、似合っているようで何より。
ちょっとした小物などではなく、オーダースーツというのは、身内ならではの贈り物だ。スマートハウスさんに頼んで、こっそりスキャンしてもらったから、サイズの心配もない。
そして文化事業の方も順調に回り始めていて、生活費以外での収入も増え始めている。おかげでちょっといい品に手が届いた。やはりプレゼントは自分の稼ぎで贈るものだから、間に合ってよかった。
大分遅れた就職祝いの気分も兼ねて、こちらも贈る側の幸せのような疑似感覚を、遠慮なく楽しんでみた。
アルフォンス君との暮らしは、僕がずっと諦めてきたいろいろなことを少しずつ叶えさせてもらえる、僕の人生に対するほんのひと時のご褒美のような暖かさが味わえるかけがえのないものになっている。
ずっと続くものだとは思ってはいない。だからこそ、一瞬一瞬をかみしめるように大切にしたい。
「――――」
――これは、フラグというものだろうか? いや……。
「コーキさん」
自分の考えに沈みかけたところで、名前を呼ばれて現実に戻る。
ひとまずプレゼントを片付けたアルフォンス君が、改めて僕に向き直った。
「一方的に受け取るのは気が引けます。次はコーキさんの誕生日祝いをしましょう」
「おじいちゃんおばあちゃんからのプレゼントのようなものですよ。お返しは孫の笑顔で十分なんです」
「いや、孫でも弟でもありませんから。ちゃんと俺にもプレゼントさせてください」
「……とはいっても、僕の誕生日って、いつになるんでしょうね?」
公的な年齢はマリオンの生年月日から三十二歳で確定したが、こちらの問題にはまだ手を付けていなかった。
「一応肉体の年齢は十八歳相当になったはずなんですけどね」
「いえ、コーキさん自身の誕生日はどうなんですか?」
「僕のはいいですよ。六十六歳の誕生日祝いなんて、それこそいりません。こちらとは暦も違いますから、いつが対応するのかもややこしいですしね」
「だったらやはり戸籍通りの誕生日じゃだめですか? もし他人の誕生日じゃ思い入れが持てないなら、コーキさんの好きな日を選べばいいですし。ともかくこの先も続くものなんだから、そこは一度きっちり決めておきましょうよ。俺もちゃんと祝わせてもらいたいです」
「別にこの日というこだわりもありませんし、そちらも戸籍通りマリオンさんの誕生日で構いませんが、確か今年はもう過ぎてますよね」
マリオンの誕生日は、死刑執行の五日前だった。まったく、とんだ誕生日プレゼントもあったものだ。
「じゃあ、来年のマリオンの誕生日で。また二人で、今度はあなたの誕生日パーティーをしましょう」
アルフォンス君は引かない。僕がやってみたかったように、お返しをしたい彼の気持ちもよく理解できる。
「――そうですね。楽しみにしていますよ」
僕も素直に笑顔で頷いた。
しかし誕生日までの間には、相続人選定会が待ち受けている。平穏にやり過ごせるとは思わない。
きっと何事かは起るだろう。良くも悪くも――。
もしもその嵐を乗り越えた後も、君とのこんな穏やかな時間が続くなら……。
そんな思いは心に留めたまま、少し、寂しい気持ちになった。