憎悪
犯行当日の手口はこうだ。
シビルは、「最後の話し合いをして、きっぱり終わりにしよう」ということで、まずカンテ氏を呼び出した。
家事ロボットが用意したお茶に、手を使いもせずに魔法で薬を混入させた。
カンテ氏は一応の用心のため、隙を見てこっそり自分と相手のお茶を取り替えたが、どちらにも同量の薬が入っていた。
結果、二人そろって、同じ薬を摂取した。
シビルが飲んだのは、「体の自由を奪われた」というカムフラージュのためと推察される。
そのため、まともな痛み止めにもならないごく少量の摂取だった。
一方カンテ氏に飲ませたのは、意識レベルを低下させるためで、こちらが薬物を用いた本命の理由だ。だから、あえて昏睡までは至らない軽めの薬効の物が選ばれた。
意識が混濁状態になったカンテ氏は、あとはシビルの魔法による操り人形と化した。
事前に自宅から盗み出されていた凶器を握らされ、自覚もないままに実行犯として手を汚させられた。
この最後の部分の記憶が、犯行の揺るがぬ証拠として採用されてしまったのだ。
朦朧としていた本人には記憶がなくても、実際に目にした映像はしっかりと脳に刻まれている。酔っ払いが、前夜の自らの醜態を覚えてはいなくとも、取った行動の事実は変わらないように。
記憶という絶対的な証拠を重視する、この国の捜査手法の盲点をまさに突かれた犯行だ。多角的に、地道に調べればすぐ事実は判明することなのに。
最後の仕上げとして、シビルは友人にいち早く犯行現場を発見させるために、会う約束を犯行予定の直後となる時刻に取り付けておいた。
死後の記憶データを読み取らせるためには、少しでも早い方が望ましいからだ。
シナリオの結末としては、自分を捨てた憎い男は、女性を生きながら刻んだ世紀の大悪党として、身に覚えのない罪で死刑になるわけだ。すべての人々に罵倒され、嫌悪されながら。
まったくおぞましいとしか言いようのない手段の復讐であり、無理心中だ。
「一体、どれほどの憎悪なんでしょうね」
僕は、戦慄を禁じ得ないままに呟く。
そもそもバラバラ殺人がセルフプロデュースによる単独犯だなんて、思う方がどうかしている。
それを実行してしまう、圧倒的な意志と憎悪の力。
「魔法を使うためには、意識をはっきりと保たなければいけない。だからシビルさんは、痛み止めともなる薬を、あまり摂取しなかった。自分の手足を自分で切断する時、どれほどの苦痛を味わったのでしょうか?」
答えを求めるでもなく、無意識に自問自答していた。
被害者の皮をかぶった加害者の答えは、誰にも分からない。加害者にされた被害者の気持ちなら、今は少し分かる気がするけれど。
「そこまでしてでも、完遂しなければいけない復讐だったんでしょうか?」
死ぬなら一人で勝手に死ねばいいとは、他人を巻き込む自殺願望者に対して時折吐かれる言葉だが、元医師として不謹慎ながら僕もまったく同意見だ。
とにかく人間の憎悪の原動力とは凄まじいものだと思い知らされる。
恨みを晴らしたい。
ただそれだけのために、ここまでの凶行をやってのける。これほどの苦痛すらも顧みず、文字通り身を滅ぼしてまで。
いや、それ自体を、相手を陥れるための仕掛けに使って。
彼女が叫んだ最期の叫びはやはり、「やめて」ではなく「消して」だった。微妙に聞き違えられるよう意図した発音だ。
のちに確認するだろう警察を誤魔化すための小細工を、死の間際まで徹底してやり通す強靭な後ろ向きの精神力には言葉もない。
そうやって、自分が死んだ直後のカンテ氏の視界を暗闇によって強制終了させた。そして薬物の影響でそのまま意識を失った、というのが殺害直後から記録が途絶えた真相だ。
人間の憎悪が生み出す想像を絶する負のエネルギー、常軌を逸した執念の恐ろしさに身がすくむ思いだ。
自分の首を切り落とす直前、彼女はいったい何を思ったのだろう?
復讐といえば、僕の数少ない趣味だった推理小説も復讐物が多かった。
基本的に大人向けのフィクションだからまだよいものの、嘆かわしいことに青少年に大人気だった異世界転生系のライトノベルですら、その傾向は異常に高かったように思う。いわゆる“ざまあというやつだ。
元の世界で無力ゆえに理不尽な人権侵害を受けていた少年が、転移や転生で人知を超える力を得て、あまりにも安易に自分が受けた仕打ちをやり返してしまうのだ。
その手の話に熱中していたのは、確か歩夢君だったか。なかなかの熱量でのめり込む姿に、表面的には否定こそしなかったが、入院中の子供が読むものとしてどうなのだろうと、内心引っかかるものを感じてはいたのだ。
せめて余所から棚ボタで与えられた力ではなく、自らの努力で高めた力で見返してやるくらいなら共感もできるものを。
努力の過程で過去の苦しみを昇華し、小さなことだったと力強く乗り越えていく――そういった健全な作品は需要が少なかったようで、復讐するまでが必ずセットなのだ。何もそんな些細なことでと、眉をひそめてしまうようなことまで、猫も杓子もとにかくざまあ。大人のドラマですらも倍返しが大流行する始末。それができる機会など、実社会にはそうそうないだけに、物語でくらいは……というのは、分からないでもない心理なのだが。
確かに因縁の相手を見返してやれたならスカッとはするだろう。しかしできることならば、人を陥れて喜ぶのではなく、自らを高めることで、それを成したいものだ。
――と、これは建前だなと、思わず自嘲する。
ずっと子供を相手にしてきたせいで身についてしまった、表向き用の理想論に過ぎない。現実味のないきれいごとだ。
――自分では、できもしないのに。
とんでもない悪女に何度騙され裏切られて死にかけようが、さらっと笑って受け流す赤い(昔は緑だった)スーツの粋な大泥棒の懐の大きさなど実に見倣いたいものだが、一体どれほどの人間が現実にそれをできる?
シビルに対して身震いを覚えるのは、その闇を理解できてしまうからだ。
同じ方向性の火種は、僕の中でもくすぶり続けている。何十年もの間、途切れることなく。
目の前で家族を喪った瞬間から、ずっと。
君は、どうなんだろう?
つい、物問いたげな視線をアルフォンス君に送ってしまう。
彼も難しい表情を浮かべていた。
許すということは、絶望的なほどに難しい。
取り返しのつかない悲劇が、自分自身ではなく大切な人間へと理不尽に向かった場合は特に。
本当に、本当に難しいことなのだ。