考察
事件の大まかな流れはこうだ。
友人が、約束の時間通りに訪問した。ところが返事はなく、玄関のロックもかかっていなかった。――まさに王道のごときサスペンスの冒頭だ。
不審に思い、勝手知ったるリビングまで上がり込む。
そこで被害者シビル・エマリーの四肢と首を切断された遺体を発見した。のちの調査によると、全ての傷口に生活反応があった。
遺体の傍には、意識不明のブレーズ・カンテ。その手には、凶器とみられるレーザーナイフ。
その凶器は、DIYが趣味の加害者が半年ほど前に購入したものと判明している。
被害者が、一人暮らしの自宅に帰ってから、友人が来るまでの数時間に、その家に上がったのは容疑者ただ一人――。
まさに二時間サスペンスなら、逆に彼が犯人であるわけがないというくらい見事に整った状況ではないか。思わず感嘆したくなる。
日本だったらまず鑑識などが徹底的に現場を調べるところだが、ここでの捜査手法は根本から別物だ。
大きな違いのひとつは、徹底した監視社会である点。
家庭内や特殊施設以外のあらゆる場所にカメラやセンサーが設置され、いざとなれば百パーセントの精度で全国民が特定できる。たとえるなら、渋谷スクランブル交差点の定点カメラの画像から、映り込んだ人間を全員照合できるということだ。
もちろんプライバシー保護の観点から、普段は厳密な情報管理がなされている。
しかしひとたび事件が起これば、当事者及びその周辺人物は残らず洗い出されることになる。
社会的なインフラ総動員で、行った場所や取った行動、購入した物品や利用したサービス、対面及びネット上で接触した相手からアクセスした情報等々、すべて分析され、秒刻みでリストアップされてしまう。
そのため、被害者の帰宅から、死後数十分となる友人の訪問までの間に、家に来たのが容疑者だけだと、最初から断定されているのだ。
ドラマのベテラン刑事のように、足で稼げどころの話ではない。デスクワークで、被害者が関わった全ての相手やその場所・時刻が、詳細なデータとしてあっという間にまとめられてしまう。
極めつけは、件の記憶読み取り装置。
容疑者の犯行時の記憶を、直接記録して可視化することができてしまう究極の自白機器と言えるだろうか。
まさに軍曹“前”と軍曹“後”、といった劇的な進歩だ。
現在の捜査手法は、ほとんどこれ頼りとなっている。
そしてなんとこの装置、死者にも使える。
生命活動の停止と同時に、脳細胞も一瞬で死滅するわけではない。死後数時間以内なら、かなりの精度で記憶を読み取ることができる。しかも遺体なら心身の負担を考慮する必要がないから、短時間フルパワーで、生前の記憶を根こそぎ吸い上げてデータ化してしまう。
その被害者の膨大な記憶データから、被害者視点で目撃された事件の光景を、時刻や場所、関連ワードなどから検索して拾い上げるのだ。
今回の場合、被害者、容疑者の双方の視点から、それぞれ同じ犯行の記憶が読み取れた。もはやこれ以上完璧な証拠はない。
日本の警察ドラマなら、鑑識や聞き込みなど、あらゆる角度から証拠を積み重ねていくのがお馴染みだが、アルグランジュでは、この最強にして絶対の証拠一つで、事件解決だ。
証拠能力には優先度があり、第一が記憶の読み取りデータ。それがダメなら第二、更に駄目なら第三と、ランクを下げていく。
逆に言えば、第一の証拠さえ取れれば、他はもう調べる必要がない。今回のバラバラ事件の捜査もそれに該当する。
ブレーズ・カンテがどれほど陰謀説を唱えようとも、もう結論の動かしようがなかった。捜査は、すでに終わってしまった状況なのだ。
世間でもすでに犯人確定の状態で、実際の映像こそ流されないものの再現映像はマスコミでじゃんじゃん流され、その残忍性が広く認知されている。世論ももはや有罪一辺倒だ。
ちなみに話は変わるが、気になっていたマリオンの死刑映像は、対象がチェンジリングになったという前代未聞の事態が起こったため、僕のプライバシーを考慮して、現在特別に公開を差し止められているそうだ。
やはりチェンジリング局はいい仕事をしてくれる。
と、それはともかく、被害者視点の映像をモザイクなしで確認する捜査官の精神状態が心配になってくる。アルフォンス君は大丈夫だろうか? ガクブルしてはいないか心配だ。
凶行前の被害者は、お茶に盛られた薬物によって、体が動かせない状況だったという。
意識が明確な状態で自分の手足が刻まれる経過を観察するなど、想像するだけで身の毛がよだつ。しかもレーザーでの切断ということは、出血が抑えられる。最後の首の切断まで、死ねなかったのだ。
使われた薬物に痛みを軽減させる作用が多少なりともあったとはいうが、救いにはならない。
しかし被害者への同情とは別に、冤罪という命題には、個人的に思うところがないわけではない。
僕自身、これからそれに挑もうとしている身なのだから。
別世界の視点を持つ僕だからこそできるアプローチはないだろうか?
もしカンテ氏の主張通り、陰謀であるとするなら、どういった可能性が考えられるのか?
容疑者以外の誰が、どうしたらこの状況を作れる?
関係者の性格や環境は?
周辺の人間関係は?
考えられる動機は?
いきなり証拠から出てくるこちらの捜査法ではまず必要とされない発想から、事件について考えてみる。
まずは冤罪を前提にして、手に入る限りの情報に目を通し続けた。
* * * *
あまりに没頭しすぎて、気が付けば喫茶室で六時間ほどが経過していた。
一度思考の沼に沈み込むと、つい時間を忘れてしまう。外のマスコミも、さすがにもう撤収しているだろう。
「――――まさか……」
やがて、一つの可能性に行きつき、背筋が凍る思いを抱いていた。
こちらの捜査では、改竄の効かない“記憶”という絶対的な証拠さえ録れたら、もうそれ以上の無駄な捜査はしない。
加害者が被害者を惨殺した場面。――それも双方の視点での映像という、揺るぎようのない証拠が出たのだ。
全てが可視化されてしまう以上、確かに更なる証拠固めなど不要にも思える。
また、「犯罪の前後」以外のプライバシーを侵害する記憶は、無闇に“鑑賞”しないという規定があるのだが、それも真相の追及の面では問題が大きい。
被害者の尊厳を守るための良識的な措置ではあるが、僕から見れば真相の究明には著しい障害に思える。
確かに死後、私生活の部分を不特定多数にのぞき見されるなど不愉快だろうが、証拠として使うなら、情報の整合性が取れているのか、より多くの記録から検証するべきなのだ。
その犯罪の場面が、どういう状況下で繰り広げられた”ドラマ”なのかは、その瞬間の切り取りだけでは必ずしも分かるものではないのだから。
アルグランジュの捜査技術は、実際に起こった事実を映し出すという、あまりにも完璧すぎる犯罪の証明がなされてしまうがゆえに、即座に結論が出されて、それ以上の調査を進める必要性すらなくなってしまう。
だからこそ生じる穴がある。
どれほど科学が進んで、究極の捜査手法に行きついたと思っても、人間の悪意と執念は、必ずそれを上回る、ということだろうか?
この世界では、なんでもありなのだ。
しかしもしそうだとしたら――あまりにも……。
自分の想像に、戦慄すら覚えていた。
「コーキさん?」
背後から声をかけられ、はっと我に返る。
振り向くと、驚いた顔のアルフォンス君がいた。その存在に、思わずほっとする。
「君のご要望通り、待機してましたよ」
「いやいや、限度があるでしょう!? まさかずっとここにいたんですか?」
飄々と答える僕に、呆れた声が返る。
「もちろん冗談です。ちょっと調べ物をしていたら、いつの間にかこんな時間になっていました」
「まったくもう、そういうところが心配なんですよ、あなたは」
溜め息を吐きながら、僕の正面にあるモニターを見て、その調べ物の内容に眉をひそめる。
「あんな胸糞悪い事件に、興味を持ったんですか?」
嫌悪感とともに吐き捨てる。
被疑者は、すでに周囲から漏れなくこういった反応を浴びせかけられているのだ。もし冤罪だった場合、あまりにも気の毒なことだ。
僕はほぼ確信を持ちながら、その一言を告げた。
「その件についてですが、容疑者のカンテ氏、彼本人の言葉通り本当に無実かもしれませんよ?」