監修作業
この世界の僕にも、とりあえずライフワークのようなものができた。
まずはチェンジリング局への調査の回答、アルグランジュ語会話の習得に加え、記録した作品群の監修と、日本語の言語登録だ。局のマザーコンピュータと直接繋げられるので、慣れない作業も自宅でマイペースに進められている。
なかなかに盛沢山な日常となり、ひとまず有閑マダム生活も終了となった。
朝はアルフォンス君と一緒に朝食を食べ、送り出してから僕の仕事をこなし、夜に返ってきたアルフォンス君とまた夕食を食べ、食後の家族の団欒のような時間を過ごし、部屋へと戻る。
アルグランジュに来てからすでにひと月ほど経つが、大体このようなペースで落ち着いてきた。
実に平和で穏やかな生活が続いている。何なら日本にいた時より、充実している。
チェンジリング局に赴いて行った記憶の読み取り作業自体は、驚くほど呆気なく終わった。技師の方達からも、これほどスムーズなのは珍しいくらいだとお墨付きをもらえたくらいだ。
しかし、現在取り掛かっている記録済みデータの確認は、対照的に実に地道で根気のいる作業となる。
全て僕一人の人力によるものだから、相応の時間がかかってしまうのだ。
基本的に見たもの聞いたものは、その通り正確に記録されるのだが、それも善し悪しなのかもしれない。
まったくの無音環境で、一切邪魔の入らない音楽鑑賞など、普通はできない。不意に聞こえた呼び鈴や電話の音、咳き込んだ声や周囲のざわめきなどもそのまま混ざり込んでしまうから、余計な部分の消去作業が必要になる。途中で席を外して全体を通しで聴いていなかった長い楽曲などの場合は、複数回の鑑賞の中から、重複部分を省いて、違和感なく繋がるように編集をする。スタジオでの録音とは違うから、その点はやむを得ない。
もっとも、手順自体は実にお手軽なものだ。
一通り聴いて、気になった部分があれば、「人の声は全部消去」「こことここを繋げて、音量を統一して」などといった大雑把な指示で、コンピュータが全部うまい具合に処理してくれる。
多少オリジナルと変わってしまう部分はあるかもしれないが、違いなど誰にも分からないのだから細かいことは気にしない。
こういった作業を自室で黙々と続け、すでに数十曲の作品を事業支援課に送り届けている。
あちらでもチェックし、認証されたものから、折を見て商品化されていくことになっている。その辺の管理やプロデュースは全部あちらにお任せだ。
何事も無駄がなくてスピーディーなので、せっかちな僕には合っている。
普通なら演奏者の選定やスケジュール調整や練習や、場所・機材・制作する人材の確保や、その他いろいろ、時間も手間も本来うんざりするほどかかる部分を、ほとんど僕一人の記憶でもってバッサリと省いてしまうのだから、考えてみればコスパがとんでもないことになっている。
正規の工程なら、楽曲によっては、数百人からのコーラス隊が必要になる場合だってあるのに。
仮にあまり売れなかったとしても、なかなかの利益率なのではないだろうかと、皮算用したくなるのも無理はないというものだ。
とにかく作れるだけじゃんじゃん作っとけ、数を揃えれば何かしらは当たるはずだと、支援課の方達からも後押しされている。やはりそういうビジネス戦略だったのか。
「初めて聞く感じですが、すごくいいと思いますよ」
アルフォンス君の反応は、なかなか良好だった。
最近食事の時には、出来上がった曲を流して、率直な感想を聞かせてもらっている。
今日の一曲目は、ショパンの『華麗なる大円舞曲』。食事のBGMにはなかなかいいのではないだろうか。ちょっと朝食には優雅すぎる気もするが、昨日かけたヴェルディの『怒りの日』よりはいいだろう。アルフォンス君が「今にも血みどろの戦いが始まりそうな曲ですね」と感想を漏らしたが、まさにおっしゃる通りとしか返答のしようがない。
思いついたままに記録したせいでジャンルがバラバラに並んでいるから、きちんと系統立てて整理しておいた方がよさそうだ。
一方、順調な音楽制作と違って、やはり小説の方の監修作業は、なかなかに手強かった。
現在それなりに形になっているのは『オリエント急行の殺人』の一作だけだが、やはりそれ相応にこちらの文化やマナーに合わせた改修や、注釈を加えたりする必要がある。
僕ですら、アガサ・クリスティとは国も時代背景も大きく違うのだから、アルグランジュ人にとってはなおさらだ。ましてや国外展開まで視野に入っているともなれば。
そもそも肝心の舞台となる列車の説明からしなければならない。
日本でなら夜空を駆ける銀河鉄道はファンタジーだが、こちらでは地面の線路上しか走れないコンテナが連なったような原始的な乗り物のほうがよほど現実味がないのだ。
積雪のせいで立ち往生するというシチュエーション自体が発想になかったりもする。
なにしろトラブルに巻き込まれたら、まずは万能ブレスレットさんにお願いすれば、すぐに連絡、居場所の特定、救助となるから、密室に閉じ込められるような機会自体が想定できない。仮に連絡できない意識レベルになれば、自動で救難信号とリアルタイムのバイタルサインまで発信してくれる親切設計だ。不便な生活というものが想像しにくい。
おかげで思わぬ部分に修正や解説がいるのは手間がかかるが、やり始めれば面白くもある。
早く日本語の言語登録も終えて、もっと手掛けたいものだ。
優秀なコンピュータの支援もあって、すでに半分は越えているから、必要最低限程度に整うまであと一か月もかからないだろう。