キングの遺産
「ん? ……そう言えば今、英語と言いましたか?」
アルフォンス君は、作品とは別のところにハッとしたように着目した。
「はい。僕の母国語ではありませんが、前にいた世界で一番広く使われていた言語です。それが何か?」
「それ、確かジェイソン・ヒギンズの……?」
「ああ、そうですね。彼女の母国語です」
アルフォンス君も、コベール課長同様、この因縁めいた偶然に気が付いたようだ。
「英語……英語か……。それも、ありなのかもしれないな……」
そして少し難しい表情をしてから、独り言のように呟いた。
「俺も、英語を学習してみようかな」
「どうしたんです、突然」
突飛な思いつきとしか思えない発言内容に、思わず聞き返す。
「僕が前にいた世界だったら有意義なんでしょうが、はっきり言って誰もスピーカーがいないこの世界で学んでも、何の意味もないんじゃないですか? まして簡単に翻訳できるのに」
「俺は、そうでもないと思います」
そう答えるアルフォンス君は、何故か真剣な目をしていた。
「俺はこの十五年間、あの事件の真相を解き明かすために、思いつくことは何でもしてきたつもりです」
「――はい」
それは、彼の経歴を知れば嫌でも理解できる。身寄りをなくした少年が、たった一人でグレる暇もないほどに努力して、エリートと呼ばれる現在の地位にまでなったのは、その執念のためだ。
「でも、正直行き詰っていました。これ以上何をすればいいのかと。――うまく説明できないんですが、ずっと調べてきた上で、あの事件にはやっぱり、ジェイソン・ヒギンズの存在が大きな役割を果たしているように思えるんです。遺産を残したこと以上の何かが……。なぜ彼女があんな不可解な遺言を残し、あんな奇妙な場所を用意したのか。彼女の背景やその真意を解き明かし、彼女自身を理解することは、解決の糸口になるんじゃないかという気がするんです。だからって英語を学ぼうなんて、とんだ見当違いなのかもしれませんが、どうせ他にもう思いつくこともないので……」
「そうですか……」
ずっと我武者羅にやって来た彼だ。やりたいようにやるだろうと、それ以上の口出しはしなかった。
僕だって事件の本質を探るために、真っ先に彼について調べている。故人が墓にまで持っていった秘密を、あえて暴露しようとは思わないが、アルフォンス君が自力で核心に近付いていく分には自由にすればいいだろう。
「それに……」
思案するように続く言葉を、黙って聞く。
「今は、あなたがいます。やっと、自由に動けるようになったあなたが。十五年間止まっていた事態が、きっとこれから動き出す。ジェイソンのテリトリーで動くには、ジェイソンへの理解を深めることは、有効だと思うんです」
「なんです、いやに意味深な発言ですね」
僕がいたらどうだというのだ。“ジェイソンのテリトリー”とか“奇妙な場所”、というのは大体予想がつくが、なんといっても転移してまだ四日目。調べられた情報などたかが知れている。
真意を問う僕に、アルフォンス君は苦笑した。
「いえ、まだ気が早すぎましたね。可能性の問題ですから。続きは、結果が確定した時に話しましょう」
話はそこで切り上げられた。その表情には、僕に対する心配のようなものが感じられた。
「――そうですか」
話すつもりがないものを無理に食い下がりはしないが、謎のままで待っていられるほど悠長な性格はしていない。
その場ではいったん引き下がり、自室に戻ってから、彼の言葉の意味をよくよく考えてみた。
十五年間止まっていた事態というのは、遺産相続のことだ。あの事件以降、遺産のすべてが凍結されている。
今夜は十五年前の遺産相続の詳細についてのデータを漁ってみよう。
ちょっとした国家予算並みとすら言われるジェイソンの遺産。それが、一般人に過ぎない相続人に譲られるというのは、それこそ国家を揺るがすレベルの大事件なのだ。
そしてその遺産というのは、資産や特許などの権利だけではない。
金銭的なものなど遥かに凌ぐ、重大な価値を持つものがあると推定されている。
それは軍曹が世に出さなかった新しい技術だ。
すでに『記憶読み取り』『時間停止』など、現実離れした装置を開発しているが、更に世界の在り方を確実に変える傑作を、彼は複数残しているはずなのだ。
存在が確実視されている技術の一つが『物質転送』。
何故なら十五年前、遺産相続騒動が持ち上がる直前――郊外にあったジェイソン所有の更地に、柵に囲まれた巨大な屋敷が一夜にして建っていたのだから。
どこか人知れぬ場所で建造され、完成させたものを、その場所に丸ごと転送したのだろうと推測された。
必然的に、城のような豪邸の建造過程をどこからも一切認識させなかったほどの『ステルス技術』の類もリストに並んだ。
当然世間は大騒ぎになり、研究所に引きこもっているというジェイソンの下へ政府関係者や役人が駆けつけた。
そこで、ジェイソンの遺体が発見されたという流れだ。
こちらの技術水準から見れば、ひどくシンプルで原始的な拳銃で、頭に一発。
僕は銃器には詳しくないが、資料で見る限り、米軍が使用したコルト・ガバメントとか、そういったタイプのものだろうか。おそらくは彼が軍務に就いていた当時の装備の再現だろう。
少なくとも、こちらの世界には存在しない自作の銃で自決した点にも、最期まで彼の奇妙なこだわりのようなものがうかがえる。
前日に、亡夫の兄であるジェラールが行方不明になっていることなど、不審な点もあったが、あらゆる状況から、死因は間違いなく自殺と断定できる死に様だったという。ただ大口径からの直撃で脳の損傷がひどく、記憶のデータは一切録れていない。
そして数々の謎は、今なお解き明かされることもないまま――。
突然現れたその屋敷は、誰からともなく『キングの機動城』などと呼ばれた。なんだか巨大ロボにでも変形しそうな名称だが、今のところその機能は確認されていない。
それから確認されている三つ目の技術が、鉄壁の『電磁結界』。
防犯対策用のバリアなら、個人邸宅用から国家施設用まで、種類も強度も多様に存在するが、軍曹のそれは次元が違う。
機動城を調査するため、国からあらゆる人材が送り込まれたが、一見取るに足らない門扉や鉄柵の向こうへの侵入は、何人たりともできなかったのだ。
最終的には軍すら投入されたが、どんな道具や武器、技術を使っても、物理であれ電脳上であれ、解除はおろかわずかに触れることすらかなわなかった。