ココワドコ
異世界転移二回目ともなれば、昔取った杵柄ではないが、それなりの機転も効く。
マリオンと呼ばれた自分。しかも処刑場で死刑執行直後と思しき、まったく訳の分からない状況。周囲の反応に合わせながら、とりあえずマリオンではないふりをした。そのまま再度死刑の執行をされてはたまらない。
「チェンジリング初日、事件後の顛末を調べた時の僕の気持ちが分かりますか?」
今も鮮明に思い出せる感情を、今はようやく落ち着いて振り返れるようになっていた。
「お父さんもルシアンも僕が殺したことにされ、やった奴らは何事もなく、むしろ以前よりずっと成功して家族と幸せに暮らしていると知った時の、あの目が眩むほどの怒り。僕に絶望の五十八年間を押し付け、僕とアルから全てを奪っておきながら、何も代償を払うことなく人生を謳歌している者がいる。――あの時に、僕は復讐を決意しました」
そうと決まれば、チェンジリングのクルス・コーキという立場は、絶好の隠れ蓑だった。まるでお前の復讐を果たせと、運命に背中を押された気さえするほどに。
そのすぐ後に成長したアルが僕の前に現れた時も、その意志はまったく揺らがなかった。
大事な弟を、僕の復讐に巻き込むわけにはいかない。この先も正体を隠し通すつもりで、来栖幸喜を演じ続けた。
「公園で君と再会した時、昔のようにアルとうっかり呼びかけて、慌ててフォンス君と取って付けたんですよ。それ以後は万が一にも間違わないように、頭の中でまで意識的にアルフォンス君と呼んでました。それからも、中身がマリオンだとバレないように、大分苦心しましたよ。なかなか綻びは隠しきれせませんでしたが」
五十八年かけて培った来栖幸喜としての立ち居振る舞いを続行し、特に言葉遣いから疑われないように、敬語を徹底した。アルをアルフォンス君と呼び続けたように、かつての僕のことも常に名前で呼ぶくらい念を入れて、客観視を心掛け、別人であるという姿勢を貫いた。
マリオンだった時の意識やしゃべり方でいいなら、もっと早くアルグランジュ語に慣れて、翻訳機はオフにできていたはずだ。今ではすっかり敬語が馴染んで、むしろ半世紀以上も昔の少女時代の口調になど戻せない。
だが、それこそが目指したものだった。
復讐を決意した――それはすなわち、この世界で生涯マリオンという人物とは別人として生きていくことを意味する。
復讐とは、やり遂げてハイ終わり、だとは思わない。肝心なのは、その後だ。僕の家族の仇達がやっていたように、全てが終わった後、素知らぬ顔で何事もない日常を続けていく。彼らのことなど記憶にも残さず、生活に何の影響も受けることもなく――。
それこそが、僕の考える復讐なのだから。
決して罪を償ってなどやらない。僕が関わっていることすら、どんな記録にも欠片も残さない。
だから実際に仇への復讐を果たした今は、マリオンだとバレるわけにはますますいかなくなった。復讐の動機を持っていると、痛くもない腹を探られるというだけならまだしも、『女王の亡霊』である僕は現実に真っ黒なのだから。
この先も、ヴェルヌ一族とは何の関係もない人間の立場を貫き通すしかない。
「君の言う通り、僕は酷い人間ですよ。君がどれほど事件の真相を、マリオンを望んでいるのか分かっていながら、正体を隠して復讐することを選んだんですから。君にどんなに怒られても、受け止めるしかありません」
全面降伏の姿勢の僕に、アルフォンス君は静かな口調で否定する。
「別に怒ってはいませんよ」
その表情には、どこか苦しさが滲んでいた。
「あなたがマリオンだったと気が付いた時、あなたの長すぎる五十八年の苦難に愕然としました。それを考えたら、怒るなんてできません。俺は孤独になったといっても、慣れ親しんだアルグランジュで、環境も知り合いも変わることはなかったし、手厚い社会保障の下、望むレベルの教育も受けられました。いつかあの事件の真相を突き止め、マリオンを助け出し、父さんとルシアンを見付け出してやるという縋りつける希望もありました。突然知らない世界に一人で、しかも性別まで変わって放り出されたあなたの絶望に比べたら、ぬるま湯だったとすら思います」
本当に怒ってはいなさそうな様子にひとまずほっとして、そこでようやく抱えていた疑問を投げかけた。
「どうして僕がマリオンだと気が付いたんですか? オーディオルームでマリオンの処刑シーンを見てからだろうとは察していましたが、あれで何か分かるものですか?」
雑踏のような騒音で、音声すら聞き取れないあんな映像で分かるようなボロを、僕が出していただろうか?
「チェンジリング直後の、最初の一言、コーキさん覚えてますか?」
アルに問い返され、記憶をたどる。
処刑場で目隠しを取られ、最初に目に入ったのが僕を見る大勢の人達。その中で僕は――。
そこではっとする。
「――“ココワドコ”……」
日本語で、ここはどこ、と言った。呟いた僕に、アルが頷く。
「音声は聞こえませんでしたけど、あなたの唇はそう動いていた」
なるほどと、やっと納得がいく。オーディオルームの後、アルは僕の日本での死因を確認した。本当に病死だったのかと。
そういう意味だったのか。
「あなたは初めの頃、アルグランジュ語が不自由だった。あの第一声がアルグランジュ語でないとしたら、ニホン語で近い発音の言葉があるのかもしれないと調べてみて、ピタリと当てはまるものを見つけました」
勤勉なアルらしい見抜き方だなと感心する。
あの時僕が呟いた日本語の一言には、偶然同じ発音をするアルグランジュ語が存在していた。
アルグランジュ語の『人』の発音は“ココア”、そして“ドコ”の意味は――『殺す』。
繋げた発音は、“ココワドコ”――。
「それで、バラバラだったパズルが組み上がりました。目を覚ました瞬間、脈絡もなくそれを言った人間が、もう一人いたと……」
アルフォンス君の推理に、僕は胸の痛みを覚える。
「十五年前、レオンをヒトゴロシと言ったのは、マリオンではなく、ニホン人のチェンジリング――おそらくは、本物のクルス・コーキだったんですね?」
「――そう、断定していいのでしょうね……」
僕は力なく頷く。
レオンからその証言を聞いた時、チェンジリングはまさしく魂の交換が行われる現象だという仮説が、僕の中で事実と認定された。
チェンジリングで魂の消えたマリオンの体に、無数にある異世界の中からたまたま同じ日本人の別人が入ったと考えるよりは、そのまま幸喜少年と入れ替わったと考える方が妥当だろう。
突然の自動車事故で家族とともに命を失ったはずの幸喜少年。けれど目を覚ませば、知らない場所に知らない外国人。
彼は、その時一番言ってはいけない一言を言ってしまった。
ここはどこ、と。
そのせいで、焦ったレオンに、十四年以上も眠らされることになってしまった。
それを考えると、僕は本当に悔しくて仕方ない。たとえ洗脳を受けて、正しい証言ができなくされていたとしても、幸喜少年が目覚めてさえいれば、未知の日本の光景の記録が録れ、チェンジリングとして別人になったのだと認定され、保護されていたはずなのに。
幸喜少年がマリオンの体に入ってからその目で見たものは、レオンとサロンの光景の数秒間のみ。それも更なる洗脳の重ねがけで消去されてしまったはずだ。故に幸喜少年の記憶は、マリオンの脳には一切ない。
彼自身の精神からしか、異世界である日本の記録は録れない状態だったのだ。
ずっと意識のない状態のまま、マリオンの脳からのみの記憶走査でラウルの殺害が断定されて死刑が確定した。目覚めさせられたのは事件捜査終了後、彼自身もすでに証言のできる精神状態ではなくなっていて、そのまま処刑されてしまった。
何の罪もない、七歳の少年が――。あまりにも残酷な偶然と巡り合わせだ。
「マリオンの中にいた本物のコーキは、ニホンの元の体に戻ったんでしょうか?」
アルの疑問に、僕は首を横に振る。
「多分違うと思います。初めの頃はその可能性も考えましたが、最終的には別の結論にたどり着きました。ありえないほどの天文学的な確率で再び前回と同じ人物同士のチェンジリングが起こったと考えるよりは、これこそが僕のチェンジリングチートだったのではないかと」
時間も空間も飛び越えて元の体に戻る、生涯一度きりのチート。それで、処刑されて空になった自分の体に再び戻れたのではないだろうか。自力で、自分の体にチェンジリング現象を起こしたのだ。それはあくまで一方通行のもので、幸喜少年の離れた魂まで僕がどうにかできたとは考えにくい。
おそらく、幸喜少年は処刑によって、今度こそ本当の死を迎えたのだと思う。
だから僕は、家族の仇ではなくとも、レオンが許せなかった。
誰にもその存在を気付かれないまま、僕の代わりにマリオンとして殺されてしまった幼い魂の無念を思うとやりきれない。
そのおかげで、今僕がここにいられるともなればなおさらだ。