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真相

「真犯人は、序盤で殺されたはずの犠牲者だった――まさに孤島もの定番のやつですね」


 ラウルとの相討ちで死んだあの瞬間から、来栖幸喜を演じ続ける人生は実に五十八年に亘って続くことになった。


 いや、それどころか、その人生が終わった後すらも――。


「こちらと向こうでは時間の流れに差があったようです。君の十五年も長かったでしょうが、僕の五十八年は、気が遠くなるほどでしたよ」


 真正面から僕を見つめるアルに、僕も静かに語り出す。


 本当に、本当に長かった。


 異世界に飛ばされて、あの日の真相を調べることも復讐もできず。チェンジリングなんて概念のない世界で、性別すら変わって。誰にも相談することもできず、気が狂いそうな怒りと絶望を抱えて。やがて諦めの人生を受け入れた。


「あの時、『私もいっしょに死んでしまえばよかったのに』と、数えきれないくらい思ってきましたよ。でもその度に、一人残された君のことを思い出しました。『きっとアルも一人で頑張っているのだから、自分も頑張ろう』と。そうやって、六十五歳になるまでずっと、来栖幸喜と言う人物を演じ続けて生きてきたんです」


 現実が受け入れられられないまま、最初の一か月くらいはほとんど口もきかなかった。幸い周囲の大人達は、両親と弟を失った気の毒な子供を、根気強く見守ってくれていた。その間に自分の置かれた状況と異世界の観察をしていて、いろいろと分かってきた。


 うかつなことをしゃべらず、しばらく様子をうかがっていて正解だった。元の世界とは常識がかなり違っていた。

 二十年前に大きな戦争に負けたが、今は平和になった島国。科学技術はアルグランジュより数百年は遅れている。魔法や超能力はなく、そのくせ非論理的な迷信に溢れていて、異世界の存在はフィクションだけのもの。医療もかなり未発達で、寿命以外での死が驚くほど多い。特にメンタルのケアは信じられないくらいお粗末で、当時はPTSDの症状にまともな病名すら付かず、弱さや甘えと混同されているようなありさまだった。

 たった一人生き残った悲劇の少年が、実は自分は異世界の女性なんだ、なんて話を突然言い出したら、更に別の、人権を軽視した治療かも怪しい非科学的な処置が横行する病院にかかることになる。


 この秘密は、誰にも打ち明けてはいけない。

 ただ流されるまま、来栖幸喜の人生の続きを、自分が成り代わってこのまま送っていくしかなかった。


 一人生き残った七歳の少年。奇しくもかつてのアルと同じ状況に立たされた。アルはきっと生きている。でもまたしても、たった一人残されてしまったんだ。そう思えば、お姉ちゃんの自分も頑張らないわけにはいかなかった。


 明らかに変わった、どこか七歳の子供らしからぬ振る舞いも、幸いと言うのもなんだが、事故の影響のせいだと受け止められる。遠方に住む祖父母に引き取られることで、事故以前の人間関係はほとんど絶たれ、誰にも疑われることはなかった。


「最初からニホン語が理解できたのは助かりました。僕にもチェンジリングの言語チートの恩恵はちゃんとあったんですよ。逆にこちらに戻ってきた時に少々不自由だったのは、五十八年ぶりの母国語を思い出すのに、ちょっと手間取ったからです。ニホンに馴染みすぎて、逆カルチャーショックも少なくはなかったですしね」


 ずっとこの時を恐れてきたのに、語りながら、今はどこかほっとしている部分もあった。

 アルはただ黙って、僕の述懐に耳を傾けている。

 この世で唯一、心を許している相手に、やっと隠し事もせず秘密を打ち明けられる。ずっと一人で背負い続けてきた肩の荷を下ろす気分だ。


 日本で送ったチェンジリングとしての人生は、嘘と秘密にまみれていた。男女の区別の大きい社会で、浮かない程度には男性らしいとされる振る舞いを心掛け、学習の程度も周囲に合わせ、極力目立たず、秀才止まりの凡人といった人物像を演じてきた。


 このまま孤独に生きていくよりは、全てを忘れ去り、家族を作って新しい人生を進んでいくべきなのだろうかと、悩んだ時期もあった。


 けれど、体が男性になっても、僕の心は女性のままだった。


 転移した異世界は、同性のパートナーを持つことがタブー視される社会。性別も簡単には変えられない。幸いというべきか迫害されるほどひどい国と時代ではなかったが、それでも社会的に医師と言う固い職業では、マイノリティは致命的だった。

 かと言って、僕の嘘の人生に一生付き合わされる女性を作ってもいいものかどうか――きっと友人にはなれても、異性としては愛せない。仮に、家族欲しさで秘密を抱えたまま結婚したなら、今度は妻を愛する良き夫、良き父の演技を死ぬまで続けるのか? それは、僕の求める家族の安らぎとは程遠い。むしろ家の中でまで、素の自分に戻れる時間を失ってしまう結果が目に見えている。それに相手にも不誠実だ。


 何より、僕は人間が怖かった。

 もちろんほとんどの人間はまともだと分かってはいる。それでも、つい数時間前まで一緒に朝食を取っていた相手が、一般人の顔をして突然牙をむいた場面を目の当たりにした僕は、誰も心から信頼することはできなくなっていた。

 結局、独り身を貫く生涯を選んだ。


 言い知れない寂しさを仕事に打ち込むことで紛らわせていた時に、クリスマス商戦のデパートで偶然テディベアのぬいぐるみを見つけた。

 僕の家にあった執事クマ君と、サイズも姿かたちもあまりにそっくりだったせいで、その場で衝動買いしてしまった。自分用とは言えず、ラッピングまでしてもらって。

 後からメイド服も着せてみたら、まったく区別がつかないくらいになり、以後死ぬまでの数十年、物言わぬ彼が、二度と戻れない故郷と家族を偲ぶ心の癒しとなった。


「来栖幸喜としての人生を終える時、やっと解放されるという思い以上に僕の心を占めたのは、あの日の真相を知ることもないまま死ぬのかという、無念でした」


 何十年経っても、心の奥底には、血に染まった父と弟の姿がこびりついていた。どうして自分達家族があんな理不尽な目に遭わなければならなかったのか、残されたアルはどうなったのか、犯人は捕まって裁きを受けたのか――何も知る術がなかったことが心残りだった。


「だから、あの処刑場で、観覧席に君の姿を見付けた時、しばらく自分の身に起こったことが信じられなかった。こんな都合のいい奇跡が起こるものかと」


 あの瞬間を思い出す。

 僕をマリオンと呼ぶ、黒髪に青い瞳の青年。記憶に残る姿よりもずっと成長していたけれど、一目でアルだと分かった。

 こちらの世界では、あれから十年二十年の時が経っていたらしい。でも、僕は戻ってこれたのだ!! それも、どうやら僕自身の体に!?


 その時の感情は、驚きよりも、喜びだった。諦めの先に、希望の光が差した。


 あの日の真相を。あいつらへの報復を。

 それが、二度目の死の間際まで胸を占めた僕の消せない妄執だったから。


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