現状維持
ふと、僕を後ろから抱きしめていた腕が緩んでいたことに気が付いた。
振り返ってアルフォンス君を見上げると、どこか苦しさを滲ませた表情で、イネス達家族を見つめている。
この機動城で、実質的に家族の全てを失った彼は、嘆きの中にも無事を喜び合う彼らに複雑な思いを抱いているのだろうか。
「アルフォンス君、ありがとう。落ち着くべきところに落ち着けたのは、君が僕の要請を飲み込んでくれたおかげです。心の中では、きっといろいろな葛藤を抱えさせてしまいましたね」
イネスをそっとしておいてほしいという僕の一方的な願いを受け入れ、殺人事件の発生を認識しながらも沈黙を守ってくれたことに改めて感謝する。彼が杓子定規に任務を遂行し、事を荒立てて、イネスやギャラリーに過剰なストレスや混乱を与えていたら、この結果はなかったかもしれない。このゲームは、著しく精神状態に左右される類のものだから。
アルフォンス君はゆっくりと首を横に振った。
「あのリストから事実を知った時、どうして家族を殺すのか、俺には理解できませんでした。……でも……俺の方こそ、感謝します。あなたのおかげです。――この光景が見れて、よかった」
泣きそうな顔で、笑った。
アルフォンス君がここで家族を失ったのは、彼らよりももっと幼い時だった。唯一残った姉は殺人犯として引き離され、たった一人になった。
それから僕と出会うまで、なんとかマリオンを救う術を求めて、ずっと一人でもがいてきたのだ。
そして、結局それは叶わなかった。
僕はたまらない気持ちになって、すっかり大きくなった弟を思わず抱き締める。
アルフォンス君も僕を抱きしめ返して、今度は茶化すように笑った。
「やっとコーキさんの方から来てくれましたね」
「――せっかくの感動の場面に変に水を差さないでください」
「感動の場面で、素直に感動していますよ」
「そういうところはいくつになっても末っ子気質なんですか」
「その辺はお互い様というところでしょう。コーキさんこそ俺に甘えてくれてもいいんですよ?」
僕より圧倒的に年下である実態に少なからず気おくれした部分があったアルフォンス君の、今まで聞いたことのない類の大口に、僕は内心で驚いた。
二十五の青年が、本来なら還暦もゆうに過ぎた年寄りに対して「甘えてくれ」なんて、普通なかなか言えるものではない。しかし無理に背伸びしている感じはなく、本当に自然に出てきている言葉だから、驚きが大きいのだ。
これが成長というものなのだろうか。それとも、これも謎の心境の変化から来たものか?
「僕を甘えさせられるほど立派になったのなら、そろそろ独り立ちも考えるべきですね」
ちょっと反応を探ってみようと、突き放すようなことを言ってみる。
「そうですね。そろそろ次の段階に進むべきだとは思ってます」
――ああ、やっぱり変わったなと、改めて感じながら、違和感の正体がなんとなく分かった気がした。
多分、躊躇いのなさだ。一歩も引かなくなっている。拗ねたり不貞腐れたりせずに、対等に受けて立っている。
これまでのアルフォンス君だったら、元六十五歳男性が、弟のように認識している相手からしつこく言い寄られたらどう思うのか――僕へのそういう配慮から、踏み込みすぎない部分はあったはずだ。彼自身の迷いは吹っ切れているといっても、僕の意思もそれ以上に尊重してくれていた。
今はどこか違っている。これまでにない強引さがある。
オーディオルームの調査以降から見え隠れする彼の変化の原因は、何なのだろう?
もう少し突っ込んで探ってみたかったが、先にやるべきことがあったので、ひとまず後回しにするしかなさそうだ。
僕はいったん思考を切り替える。
イネス達が少し落ち着いた様子だし、この隙にはっきりさせておくべき議題がある。それが片付かないと、おちおち解散もできない。
アルフォンス君から離れて、他の全員に問いかけた。
「ところで、イネスさんの身柄については、皆さんどう考えますか?」
空気を読んで、動くに動けないままイネス達を見守っていた面々は、僕の問題提起で初めて気が付いたようにハッとする。
常識的に考えれば、殺人犯をそのまま放置なんてあり得ない。今までの人殺しは僕以外みんな死亡していたので、気にもされることのなかった問題が浮上した。
本来なら外の世界に出られるまでは、一時的に監禁なり拘束なりするのが妥当なところだ。逃亡や更なる犯行、あるいは自殺などを防ぐために適切な措置を取るのが望ましい。
が、現実問題としてそれはあまりベターな選択とは言えない。
「いや! おばあちゃんをどうする気!?」
「どこにも連れて行かないで!!」
ルネとギイが、イネスにしがみ付きながら真っ先に反応した。
「はい、僕も現状維持でいいと思います」
速やかに同意した僕に、双子は拍子抜けしたように目を丸くした。僕は他の大人達に向けて続ける。
「さすがにこの環境下で、今の子供達から唯一の保護者を引き離すのは忍びないです。逃走や次の犯行の可能性も低いし、イネスさんの得た魔法も自衛に特化したもので、こちらの脅威になるものではありません。無理に隔離する必要はないのではありませんか?」
この特殊な空間と環境の下で人一人拘束するには、いくつもの解決すべき課題があって意外とハードルが高い。場所の選定、遂行、拘禁者の監督やただでさえ精神状態の不安定な子供達のケアと世話などの諸々を、この少人数でどう回すのか。アルフォンス君以外全員ただの一般人なのに。
ただでさえ、いかに自分の身を守るかが最も重要な状況で、余計な仕事まで手が回らないし、そんな精神的な余裕もない。全てを手間暇かけてクリアするより、今まで通りイネスの部屋で家族でまとまって過ごしてもらった方が、正直誰にとっても楽なのだ。
そもそも数ある懸念事項の中でも、僕にとって子供達の安全問題は割と上位の方にあった。
イネスが『完全防御』を得たことで、その心配はほとんどなくなったと言える。彼女は自ら宣言した通り、自分の命を懸けても、孫達を外の世界に出るまで守るだろう。ゆえに、自殺や無理心中もまず考えられない。
とにかく何が起こるかも分からない状況下で、絶対に裏切らない最強の護衛を引き離すのはあまりに非合理的だ。
「そうですね。他に意見がなければ、俺もそれでいいと思います」
逮捕権を持っているアルフォンス君も賛同し、一同の意見を求める。
反対意見は特に出なかった。
もし世間の声が届く場所なら、殺人犯と子供を一緒にさせておくなんてと非難を免れないところだが、ここは親族しかいないせいか、良くも悪くも意外となあなあで収まる傾向がある。
というか、下手に反対意見を出した場合、「文句があるならお前が全部やれ」ともなりかねない。今は誰もが自分のことで手いっぱいなのだから、余計な口出しはやめて、今まで通りで、としておくのが一番利口というものだ。
それでイネス一家に何か問題が起こったとしても、少なくとも自分への飛び火だけは避けられる。
ああ、それにしても、無事に外に出られたら、ここでの出来事は「世界のビックリニュース」的な扱いで、いろいろあることないことを面白おかしく報道されるんだろうなあなんて、ついどうでもいいことを考えてしまう。僕だって他人事だったらワクワクとこのゴシップネタに飛びつくはずだ。
きっと再現VTRでの僕はさぞ性格悪く描かれていることだろう。ミステリードラマとして盛り上げるための誇張でバラエティーに富んだキャラクターひしめく登場人物中、僕は差し詰めインテリ陰険眼鏡ポジション辺りか。いちいち空気を読まない余計な正論を吐いては無駄に場を荒らすトラブルメイカーその3くらいの。まあ、今の体に眼鏡は必要ないのだが。ちなみに「エア眼鏡くいっ」の癖はすでにすっかり抜けた。もちろん地もあるが、狙ってやっている部分も大きいので、そうなったらならばしてやったりというものだ。どの道、異世界出身者であるチェンジリングは大体変わり者扱いが常だから、特に大きな変化もない。一応若い女性は僕だけだから、もしかしたらよりドラマチックに彩るため、逆ハーレムな恋愛ものに脚色されたりもするかもしれない。それはそれで面白そうだ。
いずれにせよ僕の当初からの大きな目標の一つだった「事実を明らかにしてマリオンの無念を晴らす」という課題は、ほぼゲームが果たしてくれた。キトリーの自殺に近い死による不戦敗を以て、一応の達成を見たと言っていいだろう。
リストに載っていた殺人者のゲームは全て終わり、あとはラスボスを残すのみ。
このままラストスパートも油断なく、巻き込まれただけの第三者をやり切ろう。そして後日平和な場所から、女優さんが演じる冷淡嫌味人間の役どころの僕を笑いながら鑑賞するのだ。探偵役はアルフォンス君に譲ってあげよう。こんな凄惨な事件でコドモ探偵とか良識の欠片もないものをやるなら猛クレームだが。
話し合いは特に盛り上がることもなく淡々と終わり、最終的に、食事時間以外はイネスの部屋で家族三人で謹慎することで話がまとまった。イネス本人も「むしろありがたい」と異存はなかったので、ようやく各自解散となった。
それぞれの部屋に向かう途中で、クロードが僕達に話しかけてきた。
「イネスのゲーム。女王の亡霊の介入は入らなかったみたいだな」
何の妨害もなかったことへの感想を漏らす。
「平和に乗り切れたんだからそれでいいでしょう」
なんでわざわざ無事に終わったことを混ぜ返すのだと、自分を遥か高い棚に上げて内心で愚痴をこぼす。あまり触れてほしくない話題だ。
「イネスさんは復讐対象じゃなかった、ってことだろう」
「コーキと同じく――か」
「……………………」
どうもよろしくないな。二人の会話が、素直に聞けなくなっている。わざと僕に会話を聞かせているように感じるのが、ただの被害妄想ならいいだが。
妙に意味ありげに聞こえるのは、女王の亡霊の正体についてしらばっくれている引け目があるせいだろうか。
いや、それは今更だ。やはりアルフォンス君の変化が引っかかっているのか。
ひいては――ゲームですら隠し通した僕の最大の秘密が暴かれそうな予感を、うっすらと覚え始めているせいなのかもしれない。