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母娘

「まずは、秘密から言っておくわね」


 水の牢獄の内側で、イネスは落ち着いたまま語り始める。


「昨日、私がキトリーを殺したわ」


 声にならない衝撃が、一同に走る。


 行方不明という段階で、うっすらとその予感もあったが、まさか母親のイネスが犯人だったなんて――誰もが愕然としている。

 まさに第一発見者が犯人だったというやつだ。


 声をかけてはいけない。質問してはいけない。この二日間で身に染みているため、誰も声を出さない。例外的にジュリアンだけアデライドに力ずくで口を塞がれていた。


 ギイとルネは、お互いに抱きしめ合いながら、抑えきれない嗚咽の声を漏らした。

 どうしてと訊くこともできない。感情のままに泣き喚いても駄目だ。それは自分達の手で、大好きなおばあちゃんの首を絞めてしまう行為だ。たとえお母さんを殺したと言われても。

 子供なりに、今はとにかくイネスがゲームを切り抜けることだけを必死で考えて行動している姿が、何ともいじらしく痛ましい。


 イネスはよどみない口調で、昨日の出来事を淡々と説明していった。


「ギイとルネをベレニスの部屋に送り届けてから、自分の部屋に戻った話はしたわね。それからバスルームでシャワーの音が聞こえて、キトリーの様子を見に行ったところまでは、事実よ」


 そして、バスルームの惨状を見てしまった。


「バスルーム中が、血で真っ赤に染まってた。それこそ天井まで跳ね返って。キトリーはそこにいた」


 その時の状況を冷静に思い返しながら、つぶさに自分の見たものを伝えた。


 血で真っ赤に濁ったお湯はバスタブから溢れ出し、そこに流れ続けるシャワーのお湯を浴びながら、ずぶ濡れのキトリーは必死に自分の首や喉をナイフで切り付けていた。何度も何度も。

 切り付けるたびに飛び散る血飛沫。けれどそれは一瞬のことで、真新しい傷口は瞬く間に塞がっていく。


「何が起こってるのか、理解できなかった。何回切り付けても、逆再生みたいに傷口が治っていくの。キトリーは「なんで死ねないの」と泣き叫びながら、繰り返し繰り返し、自殺しようとしていた」


 ついには自らの心臓にまでナイフを突き立てても、駄目だった。ナイフはずるりと吐き出されて、あっという間に回復してしまう。

 

 はっと我に返ったイネスは、慌てて娘の腕を掴んで止め、必死で理由を聞き出した。


「キトリーは、「次は自分の番なの」と叫んだわ。「私には乗り越えられない」とも」


 それで、イネスは全てを理解した。

 十五年前の四件の殺人事件。すでに三人の犯人はそれぞれゲームを終えていて、残る一人――最初の人殺しは、自分の娘だった。


 これで十五年前の殺人犯が全員出揃ったわけだ。僕とアルフォンス君だけは何の驚きもない。

 アルフォンス君が昨日発見したゲームの挑戦者リストの最初にあった名前は、キトリーだった。

 彼女ががまだ行方不明にすぎない段階から、名前しか載っていないそのリストで、イネスによるキトリーの殺害までもが断定できていた。


 アルフォンス君が「あり得ない」と言ったのは、五番目にイネスの名前を見付け、なおかつキトリーの名前が、レオンとベルトラン、二人の敗退者と同様、黒く暗転していたからだ。

 それが意味することに、言葉を失った。


 リストには、レオン、ベルトラン、マリオンと、殺人者の名前が並んでいる。一番最後の人物は別枠として、一番目にキトリー、五番目にイネス。イネスが十五年前の犯人でないなら、消去法でルシアンを殺したのはキトリーだと分かる。ならばなぜ人殺しではないはずのイネスの名がリストにあるのか。加害者と被害者の数が合わなくなってしまう。

 つまり、まだゲームに挑戦していない二人のうち一人が消えて、残る名前があと一人。

 ――答えは一目瞭然だ。


 オーディオルームで、魔法を相続した残る一人がちょっかいを出してきたのではないかというクロードの推測を否定したのも、キトリーがすでに死んでいるのを知っていたからだった。


 ルシアンの仇が、罪に問われもせず、人知れずこんなにあっさりと殺されてしまったことに、複雑な思いを抱えるアルフォンス君に、口を閉ざしてもらうのは、僕も忸怩たる思いがあった。

 受けた報いが軽すぎる気はするが、ようやくキトリーの罪が公表されたところで、僕も肩の荷が下りた気分だ。

 他の二人が、衆目に罪をさらされた上で、あれだけ酷い死に方をしただけに、ある意味不公平感は感じるものの、自分の母親に殺される結末というのも、それはそれで業が深いと、自分を納得させるしかなさそうだ。


 凍り付いたような沈黙の中で、イネスの声だけがやけに大きく聞こえる。その内容は、ほとんど僕の予測の通りのものだ。


 本当なら、キトリーは自殺するつもりだった。だから一人になるために、家族を部屋から追い出す口実を作ったのだ。相談があるから、子供達をベレニスの部屋に預けてきてほしいと。

 誰もが残り一人の殺人犯を警戒する中、「ベレニスなら大丈夫だ」とキトリーが保証できたのも当然だ。その一人とは彼女自身なのだから。


 この館で死ねば、死体は現場に残らず、行方不明となる。そうやって、人知れず消えていくつもりでいた。


 しかしいざ実行してみたところ、思わぬ現象に阻まれてしまった。

 十五年前の殺人の褒賞としてキトリーが相続した遺産は、幸か不幸か『治癒』の魔法。自殺を試みても、勝手に異常な回復力が発動して、どうやっても自分では死ねなかった。

 彼女自身、魔法を隠し続けてきて、せいぜい些細な傷をこっそり治すくらいしか使う機会がなかったせいで、自分の魔法の強力さを知らなかったのだろう。いわゆるパッシブスキルというやつだろうか。


 それに気が付いた時、彼女は何を思ったのか。これならゲームに失敗しても、死なずに済むかも、と期待を持っただろうか。

 おそらくは、逆だと思う。


 何度切っても、回復してしまう。その現状から、ゲーム敗者として処刑を受けることになった時、いったい自分はどんな目に遭ってしまうのか――想像せずにはいられないだろう。

 致命傷を受けるそばから回復してしまい、殺されかけては蘇るのループが延々と続くとしたら――いや、今、現にそうなっているではないか。死ねないことは、むしろ終わりの来ない恐怖だ。

 パニックを起こしたのも無理はない。


 そしてもたついている間に、イネスが戻ってきてしまった。


「ヒステリックに自分を切り刻む姿を見て、これはもう無理だと思った。ここで何とか説得して自殺を思い止まらせても、キトリーにゲームを乗り越えられるとは到底思えなかった。キトリーは「お願い、私を殺して」と、私に泣きながら縋ったの。「あんな死に方はしたくない」と……」


 イネスはその時の心境を苦し気に吐き出す。

 脳裏に蘇ったのは、迫りくる死の恐怖に散々弄ばれた末に、結局健闘虚しくもがき苦しんで殺された、ほんの少し前の兄ベルトランの姿。

 この年になってすら、言葉にならない衝撃を受けていた。守るべき孫達がいなければ、しばらく立ち上がる気力も起きなかっただろう。


「だから、決断したの。あのゲームが始まる前に楽になりたいと訴えるキトリーの願いをかなえようと」


 そしてイネスは、キトリーをバスタブに沈めた。


 人殺しが立たされるこの舞台で、イネスの罪は自殺幇助だ。

 憎み合っているわけでもない普通の母娘が追い詰められ、殺す側と殺される側に――考えるだけで泣けてきそうな地獄絵図だ。


「もがくキトリーの頭を必死で抑え込んだわ。傷口はすぐに治ったけど、窒息に回復は効かなかったみたいで、気が付いた時には抵抗がなくなってた。でも私はそのまま動けないでいたら……突然キトリーの感触がふっと消えたの。私の手は一瞬で透明になったお湯を掻いて……それで、ああ、キトリーは死んだんだなって、実感した。キトリーも、バスルーム中の血痕も、私を染めた血飛沫の跡も、白昼夢だったのかと思うくらい、何もなくなってた」


 キトリーが死んだ痕跡の一切が、抹消された。死者は機動城に完全に吞み込まれてしまうという法則の通りに。

 この時は、まさかこれで自分がゲームの挑戦権を得たなんて、イネスは気が付いてもいなかった。


 そうして悲しみを押し隠し、キトリーの行方不明を演出して、現在に至るというわけだ。

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