第四ゲーム
『夜の女王のアリア』が鳴り響き始めたのは、ランチを食べ終え、そのまま食堂でゆったりとティータイムを楽しんでいた時だった。
気を抜いていた一同に、瞬時に戦慄が走る。
問題の四人目の挑戦者に視線を送った。心が痛む。始まったら最後、僕には健闘を祈るしかできない。
だが時間的、精神的に、このくらいがゲームに挑むのにほどよいコンディションだと思う。
僕ならしっかりと計画を立てて自分のタイミングで始めた方がやりやすいが、多分この人はそういうタイプじゃない。全員が揃った食後のリラックスしたひと時――その穏やかな状態から、否応なく流れに乗って、細かいことなど何も考える余地を与えず勢いに任せて行き当たりばったりにことに臨む方が、多分うまくいく可能性が高い。
このチャンスをなんとしても、それこそ命懸けで掴み取ってほしい。何をおいても守ろうとした、大切な家族のために。
もう慣れたもので、アルフォンス君は隣の席からさっと僕に手を伸ばしてきた。
浮遊感の後、またあの処刑場――サロンへと移動していた。もちろん僕はアルフォンス君の腕の中だ。
そして例によって、今回の挑戦者となる人物が一人、僕達に囲まれるように中央に立っている。
「嘘っ!!?」
「なんでっ!!?」
寄り添い合っているギイとルネが、愕然として叫んだ。
「……ああ、そういうこと……。ゲームの挑戦者の資格は、正確には十五年前の事件の犯人ってことじゃなかったのね」
少しの沈黙のあと、自分の置かれた状況を認識してから、僕達全員の視線を受けてそう呟いたのは、双子の祖母のイネスだった。
取り乱すことなく、どこか諦観したように落ち着いている。
「イネス! どういうこと!? なんであなたが!!」
ギャラリーとなったベレニスの方が、むしろ取り乱して問いただす。昨日は兄の処刑を見て、今日は妹のそれを見ることになるのかという恐怖をその顔に貼り付けて。
「――おばあちゃん!!」
双子は言葉も見つからない様子で、ただ泣きながら呼びかけるしかできない。ただでさえ母親が行方不明になって不安でたまらないところに、祖母まで目の前で殺されるかもしれない恐怖はどれほどのものだろうか。
アルフォンス君の腕に思わず力が入ったのは、自分と同じ経験を子供達にまでさせたくないからだろう。
――ああ、覚悟はしていたが、やはり、実に直視が辛くなる光景だ。
その上、これから更に残酷な現実が待っている。この屋敷で、真相が闇に葬られることはない。すぐにでも、明らかにされる。無情のゲームによって。
しかし動揺が走る中、当のイネスだけは、いっそすっきりした表情だ。良くも悪くも正直な質だから、もう隠し事をしなくてもいいことにほっとしているのかもしれない。
いつも裏表のない、どうかすると傍若無人とも取れる態度のイネスが、二人の孫を申し訳なさそうに見つめて口を開く。
「ごめんね、ルネ、ギイ。多分、おばあちゃんがこの場に立たされたのは」
「だめです、イネスさん!!!」
説明しかけたイネスの言葉を、僕は今まで出したこともないくらい鋭い声で遮った。これはイネスにだけではなく、他の面々への牽制も入っている。
「それは、ゲームで言ってください。あなたの生存率を、少しでも上げるために」
ゲームをクリアした経験者として、真剣に警告を出した。
もう、始まっているのだ。
イネスのようにオープンな性格だと、一番の秘密というテーマは意外と難しいかもしれない。誰だって秘密くらいあるが、職業上の守秘義務とか私生活で後ろ暗いところとかが特になく、犯罪とも無縁なごく普通の一般人には、何が一番かというのはなかなか絞りにくいものだ。
へそくりの隠し場所とか、浮気心を抱いた相手とか、本当は大嫌いな知人とか、日常にいくつもある隠し事の中からどれを一番と決められるのか。
殺人者しか上がれない舞台に立っている今――。
せっかく現状、間違いなく最大の秘密を抱えている状態である以上、絶対にそれを利用するべきだ。言い方は悪いが、これほど最強の『ネタ』はない。機動城にいる以上、どうせ必ず暴かれる秘密なのだから。
僕がアルフォンス君に口外を止めたのも、この時のため。このゲームで最大の武器となる『秘密』を、イネスに温存させてやりたかった。
他のギャラリーの反応を見回してみる。
ゲームの挑戦者リストなど知らなくとも、状況からイネスがこの場に立たされた理由をうっすらとでも悟った者は、すでに複数に上っているはずだ。やはり数人の顔は青褪め、苦しそうに歪んでいる。
昨日起こっていたであろう悲劇に、推測が及んで。
だが、誰も何も言わない。問い詰めたい思いを押し殺す。
子供達の前で口にするのが憚られるのももちろんだが、何よりイネスの足を引っ張ってはいけない。
何人に気付かれていようとも、公表されるまでは、秘密は秘密のままなのだから。母親に加え、祖母まで失わせるのはあまりに忍びない。
うっかり口を滑らせそうなジュリアンなどは、「え、イネスおばさんが十五年前の犯人だったの?」なんて頓珍漢な勘違いをしている。そうでないことはレオンの証言ですでに証明されているのだが、察しが悪くて逆に都合がよかった。
「――そうね、ありがとう。私は絶対に死ぬわけにはいかないものね」
そう答えたイネスは、すっかり腹をくくっていた。
「皆さんお待ちかね! 第四ゲームの始まりよ!」
最初のコールはゴスロリちゃんだった。
残る十体のクマ君達が、すでに四度目となる一連のルール説明を代わる代わるにさらっとこなす。
そして現れる遺産選択リストのモニター。イネスの正面に立つのは、彼女担当の道化師クマ君だ。ピエロカラーの付いたダボついたつなぎに二股のジェスターハットが可愛い。そして滑稽なしぐさで、命懸けの選択を迫る。
「さあ、どの遺産を選ぶのかな?」
「『完全防御』を」
イネスは一瞬の迷いもなく答えた。
「おばあちゃん!?」
「どうして!?」
双子達が悲鳴混じりに叫ぶ。多分誰もが、昨日のベルトランの死に様を思い出している。
その最たる者は、当事者となったイネスのはずだ。同じゲームを選び、ほんの十分後には同じ末路が待っているのかもしれない。恐ろしくないわけがない。
けれど、孫達を安心させるように、いつもの我が道を行く笑顔を浮かべて言い切った。
「おばあちゃんが完全防御を手に入れて、外に出るまで必ずあなた達を守ってあげるからね」
「おばあちゃん……っ」
すでに涙でぐちゃぐちゃの顔で祖母の無事を祈るギイとルネ。彼らがこれから聞くことになる告白に、はたしてどんな思いを抱くのか。それを考えるのもまた憂鬱だった。
イネスは大切な存在を、断腸の思いですでに選んでいる。そしてその行動原理は今も決してブレることはない。
きっと彼女の遺産の選択に、僕も含むこれまでの挑戦者のような、“どれが有利か”とか、“何が価値が高いか”なんて打算や計算は一切ない。
あるのはただ、孫を守るための覚悟と決意――見ている僕も思わず心を揺さぶられる。
必ず生き延びて、双子の下に帰ってほしいと、心から願う。
「『完全防御』のステージ、水の牢獄、発動!」
昨日も見た光景が、内側の人物をイネスに入れ替えて再現された。ギャラリー全員が、固唾を飲んで見守る中、道化師の宣言が響き渡った。
「では、ゲームスタート!」
これからイネスの命を懸けた挑戦が始まる。