モニター
それにしても、これはちょっと予想外だった。
こんなどうでもいい場面で、向こうからちょっかいをかけられるなんて展開は正直まったく考えていなかった。
一体どういう意図があるのか。
と思う間もなく一瞬でオーディオルームいっぱいに、背筋が寒くなるような光景が広がった。
「うわあ……マジか……」
クロードの呻き声が聞こえた。アルフォンス君は目を見張って絶句する。
僕も、何とも言えない気分で目の前に現れたものを観察する。
例えるなら、刑事ドラマやサスペンスなどでたまに見るやつだ。ストーカーとか復讐者が、粘着対象者の日常風景を盗撮した写真を、壁全面にビッシリ貼り付けている描写で、その異常性や強烈な執着を強調するサイコパスの部屋。
それと同様な、それも動画が、前後左右上下遠近大小お構いなく、空間のいたるところに光学モニターで表示されている。無数の動画の音声で、突然雑踏の中に放り出されたようだ。
盗撮対象は、今回招待された僕達十三人全員。
食事や友人とのパーティー、職場や学校でのやりとり、移動中だったり家で寛いでいたり趣味に勤しんでいたり――とにかく各人のあらゆる日常風景がランダムに映し出されている。ぱっと見ただけだが、双子の成長具合からいって、おそらくこの十五年分があるのだろう。
街中や施設に張り巡らされている監視カメラから抜いたと思われる映像の他、アングルやポジションの移動から見て、僕がパパラッチに使われたような盗撮カメラとは性能の次元が明らかに違う認知不可の盗撮カメラがそれぞれ対象の周りに張り付けられているはずだ。ほぼ病室で寝たきりのマリオンだけが、ほとんど定点カメラ状態で、機能の無駄遣いとなっているが。
相続人候補者の引っ越しや誕生など、その時々の事情に対応して、毎年招待状が確実に届くことから、ある程度の監視は想定されていた。しかしこれは想定を遥かに上回る。プライバシーなどあったものではない。
監視社会である分、盗撮には厳しいアルグランジュで、一族の皆さんはどこにいようが二十四時間モニタリングされてきた事実が確定し、二人とも恐怖やら怒りやら羞恥やら、内心さぞ大変なことだろう。まして、これを誰が見ているのかすら知らない状況なのだから。
僕だって大体の予想はしていたものの、改めて目の当たりにさせられるとさすがに不愉快だし気持ちが悪い。
そもそもこんな映像をずっと見ていて楽しいのなら、本物のサイコパスと言うべきだ。奴はどういう感情でこれらを見ているのだろう。
そしてできることなら気が付きたくなかったのだが、映像の中には、この屋敷内で起こった数件の殺人の記録も散見できて、非常に気分が重い。特に、見付けたのは僕だけのようだが、昨日のキトリーが殺された事件の過程もばっちりと確認できる映像もあった。ああ、ますます憂鬱だ。
それにしても一体どういうつもりで、こんなものを今僕達に見せているのか。
多分オーディオルームの環境下でなければこの映像群は出せなかったというのはあるだろうが、では目的は何だ?
僕の挑発に対するお返しか、それとも僕達に伝えたいメッセージでもあるんだろうか?
考えながら、僕の視界に入る無数の映像を可能な限り確認しながら、ふと一つの映像に目を止める。
ある人物の看過しがたい行為に、「あの馬鹿はっ!」――と、思わず頭を抱えたくなった。
時刻表示から、やはり僕が意識を失っていた間の出来事だと分かる。少々やらかしているやつがいた。
まさか、これを僕に伝えたかったのか?
その直後、僕の目の前のモニターの画像が別のものに切り替わる。それの音声だけが、際立って聞こえた。
「早く来い!」
日常の一場面の中で、レオンがヴィクトールを呼び付けていた。またすぐに画面は切り替わり、次はベルトランがジュリアンに話しかけている場面だ。
「早く来なさい」
次々に場面が切り替わり、その度に声を発する人間が十三人の内の誰かに替わるが、全てのセリフは同じ。
「早くおいで」
「早く来て」
「早く」
「早く」
「早く」
「早く」
「早く――っ!」
誰もが日常で使う「早く」「来い」の単語だけが、切り取られて僕に囁く。まるで新聞紙から一文字一文字切り抜かれて紙に張り付けられた犯人からのメッセージのようだ。なかなかにイカレている。
だがこれではっきりとした。やはり挑発であり、警告か。
一体どんな心境で僕達を見ているのかまではさすがに推し量りかねていたが、奴は一刻も早い決着を望んでいるらしい。
だから、その妨げになりそうな問題行動を、さっき僕に見せた。新たな殺人が起これば、ゲームの回数が増える。その分だけ決着も遅れることになるのだから。
考えてみればそれもそうか。予期せぬハプニングで、十五年も待たされたのだから。だらだら引き延ばされた結果、またタイムアップで来年に持ち越しになんてなったら目も当てられない。あと二日もある、ではなく、もう二日しかない、なのだ。
――きっと奴も、いや、奴の方こそが、狂おしいほどに待ちわびているのだ。
お前の期待など知らないが、お望み通り決着は必ず僕が付けてやる――皮肉に思いながら、ひと段落付いた思いでアルフォンス君の様子をうかがう。
彼は一つの映像に釘付けになっていた。呼吸すら忘れるように、目を見開いて。
僕も確認して、思わず息を呑む。
なんでよりによって!
彼の視線の先にあったのは、処刑場のマリオンだった。
今の僕になったばかりのマリオンの姿が、観覧席への遮断スクリーンで隠された直後の映像だ。
つまり、最後まで一通り処刑シーンを見てしまったということか。
僕は慌てて魔法を発動した。ブレーカーが落ちたように、一瞬ですべてのモニターと音が消え、静寂が訪れる。
僕の魔法の及ぶ範囲でよかったとホッとしながら、アルフォンス君に駆け寄り、その両腕に手を伸ばした。
「アルフォンス君!? 大丈夫ですか!? ――――――アルフォンス、君……?」
どこか違和感を覚えた。
恐怖でも追い詰められた風でもなく、どちらかというと呆けたような、驚いているような……とにかく、トラウマに触れた時のアルフォンス君のいつもの反応ではない気がした。
「アルフォンス君っ?」
大き目の呼びかけに、ようやくビクリと反応が返ってくる。
そして僕に向けられた視線には、戸惑いが滲んでいた。
「あ、ああ……コーキ、さん……?」
ようやく自分の世界に戻ってきた様子で、けれどまだ動揺は抑えきれていないようだ。
「どうしたんですか?」
言い知れない不安を覚えながら問いかける僕に、アルフォンス君は何か言おうとして、けれど何も言葉が出なかったのか、迷うように口を閉ざして、結局いつものように僕を抱きしめた。
いや、やはりいつもとは違う気がする。
こんな時の抱擁は、“マリオンは生きて今君の傍にちゃんといるのだ”と、錯覚させるためのものだ。それこそ迷子になって泣いていた幼子を、母親はここだとなだめて安心させてやるのと変わらない。
しかし今の彼は、失う恐怖に竦んで身代わりの姉にすがっているというよりは、なんと言うのか……何か別の事柄に意識を囚われてそれどころではない状態とでも言おうか……うまく表現できないが、とにかく何かが違っている。
「――すいません、もう大丈夫です」
少し落ち着きを取り戻すと、自分から手を放す。その顔にはまだ抑え切れない混乱が垣間見えたが、それ以上口を開くことなく目を逸らした。僕の問いに答えるつもりはないらしい。
僕もあえて追及はしなかった。多分僕も、少なからず狼狽えているのだ。いつも理解できていたはずの弟の、不可解な反応に。
マリオンの処刑シーンを見ていたんじゃないのか? それとも、僕の思い違いで、その近くにあった別の映像から、僕にも言えないような何かを見付けたということだろうか? だが、そもそもマリオンの処刑以上に、彼の心を揺さぶるような出来事があるものだろうか?
だとしても何故、僕にまで隠す? 僕に知られたら、誰にとっての不利になるのだ?
彼は一体何を見て、何に気が付いたのか――。
予定外のシナリオが始まりそうな焦燥感がじわじわと心を蝕んで振り払えない。あと一つゲームをこなせば、ゴールの手前まで手が届くというのに。
ああ、これは、いつも嘘や隠し事ばかりしているばちが当たったのだろうか。
苦い思いで自嘲する。
隠し事をされる側になると、こんなにも不安になる。




