ミステリー
開け放った扉の向こうには、やはり郷愁を誘うようなレトロな空間が広がっていた。
数人掛けのゆったりしたソファーの向こうに、クロードが操作を諦めたというオーディオ機器が見える。
二人の注意を引くように、ずかずかと奥の方に進んでいった。
「ああ~、これは、音楽の方は大丈夫ですが、映像の方は僕にも扱い兼ねますねえ」
話題の転換を図るため、一瞥して即座に結論を出す。
音楽の方は若い頃に親しんでいたレコードだったので問題ないが、映像の方はやはり僕も扱ったことのないオープンリールだった。奥の壁のスクリーンに映すようだ。軍曹の時代にはまだ家庭用のビデオデッキは普及していなかったのだ。
別の面の壁を見れば、本物だったらコレクターには垂涎物のレコードのジャケットが展示され、その横にも棚いっぱいにレコードや、オープンリールのテープがぎっしりと収まっている。
「おや?」
レコードの棚に、完全に二人の関心を奪える曲を丁度見付けたので、ちょっとしたいたずら心もあるが、早速レコードをかけてみることにした。
紙のカバーから黒い円盤を抜き取り、何やらごつい装置のふたを開けて乗せ、更にその上に棒状の何かを置く様は、アルグランジュ人の二人から見たら、一体何をやってるんだと、不思議な作業に映るだろう。
間もなく聞こえ始めた曲に、アルフォンス君とクロードは予想通り、あからさまに慌て出す。
「えっ、なんで!?」
「コーキさん!?」
アルフォンス君など反射的に僕を引き寄せる。
ちょっと驚かせすぎてしまったようだ。おかげさまで効果覿面、少し前の話題は完全に吹っ飛んでしまった。
「すいません。今、このプレーヤーで僕がかけたんです。ゲームとは無関係です」
種明かしに、二人は目に見えて脱力する。
「だから、お前の冗談マジで笑えねえって!」
「ホントに、勘弁してくださいよ」
二人が結構真面目に抗議するのも無理はない。
今かかっているのは、『おもちゃの交響曲』。ゲームの説明時にかかっていたBGMだ。
「すいません。でもこの曲、僕は可愛くて結構好きなんですけどね」
聞こえた瞬間のこの警戒心――まさにパブロフの犬というやつか。こんなににぎやかで楽しい曲が、恐怖の序曲になってしまうとは。
「この曲、実は結構ミステリーなんですよ」
彼らの関心をすっかりかっさらった手応えを感じながら、更に気を逸らすべくちょっとした雑学を披露する。
「長い間、作者が謎のままだったんです。可能性として、ハイドン兄弟や、モーツアルト父子など、次々ビッグネームの音楽家が候補に挙げられては二転三転して、一度はモーツアルト父のレオポルドかという結論に落ち着くんですが、作曲時から二百年ほどでしょうか――かなり近年になってから当時の古い楽譜という決定的証拠が発見されて、最終的にはアンゲラーという“え、誰それ?”というくらいまったくノーマークだった無名の神父が作者だった、とほぼ確定されたわけです。犯人探しに置き換えたら、まさにミステリー小説のようじゃないですか?」
「あ~、もうそういう蘊蓄はいいから、とにかく止めてくれ。気分悪いわ。あとアルはいい加減離れろ。できれば俺と交代しろ」
僕のせっかくの解説をクロードは興味なさげに一蹴して、僕とアルフォンス君に同時にクレームを入れた。
「こういう時だからこそ遊び心が大事なんじゃないですか」
余裕を装いながら、話題転換の成功に内心ではしてやったりだ。
「それと確かにアルフォンス君はどさくさにまぎれすぎですね。あと交代は遠慮します」
「すいません」
「連れねえなあ」
名残惜しそうに謝るアルフォンス君の腕を抜け出し、笑うクロードをスルーして、注文通りにレコードのスイッチを切る。
曲より装置の方に関心を持っているらしいクロードが、僕の隣に来て興味深そうにレコードプレーヤーを覗き込んだ。
「それにしても、一曲聴くのにわざわざこんな手間かけんの? もしかしてこれ、一枚一枚全部違う曲が入ってるわけ?」
呆れた表情で、壁一面のコレクションを見渡す。
「まあ、そうなりますね」
「信じられね~。めんど臭すぎだろ」
プレーヤから離れ、ゆったりとしたソファーにどさりと腰を下ろしたクロードは、それから少し考え込むように首を捻る。
「なあ、故郷の世界を完全再現して望郷の念に浸るのもいいけどよ。結局人間って楽したいもんじゃね? 一度こっちの世界の便利さ覚えて、元に戻れるもん?」
不思議そうに、なかなか鋭い疑問を口にする。
「ああ、確かに僕も、それはこちらに来て最初に実感したことですね」
すっかりアルグランジュ式に慣れた今、再び日本に戻ったら、あらゆる面でなんて不便なんだと思う自信がある。もう各種リモコンを手に取るのすら面倒臭い。日本にいた時は当たり前にしていたことなのに、こんなに堕落してしまうとは。楽とは麻薬のように恐ろしいな。
「意外と切り替えスイッチとかあるんじゃないですか? 故郷バージョンとアルグランジュバージョンの」
「なるほど。大いにあり得ますね」
アルフォンス君の意見に頷く。僕のイメージする軍曹は、ロマンチストとリアリストを自分の中に共存させている人間だ。望郷と実用をその時々で使い分けていた可能性は高いかもしれない。
なんてことを考えた瞬間、クロードが座っているソファーのすぐ横、多分サイドテーブル辺りから、かちりと音が聞こえた。
「おおっ」
クロードが驚きの声を上げてわずかにのけぞる。
サイドテーブルの上に、コンソールが現れた。アルグランジュで主流の目の前に現れる光学モニターではなく、僕が長年日本で馴染んできた実体を持ったキーボード式だ。
もしかして今まさに、切り替わったのだろうか?
「切り替えスイッチ、見付けたんですか?」
僕の問いに、クロードが首を振って否定する。
「いや、勝手にこうなったんだよ」
「――まさか、女王の亡霊が?」
アルフォンス君が警戒心を全開にして周囲を見回す。
「うわっ、なんだこれ!?」
クロードの声に、再び視線を戻すと、彼はキーボードを片手で操作していた。
「お前、何やってんだ」
「使い方、分かるんですか?」
「ちげーよっ! 手が勝手に動いてるんだ!!」
僕達が問うと、クロードが焦った顔をこちらに向ける。コンソールからそっぽを向いた状態になったのに、確かに伸ばされた彼の右手はお構いなく指を動かしキーを叩いていた。
ここにきて新たなミステリーか。
まあ、可能性は二つなんだろう。
クロードの冗談か、奴の仕業か――なんて迷うまでもないか。
もちろん後者だ。




