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来栖家の事件

 事の発端は、年に数回はニュースで聞く、そう珍しくもない事故だ。

 花見帰りの夕闇の中、すっかり疲れてうとうとし始めた下の子を抱きかかえる母親と、母親の荷物を手分けして請け負った父親と兄。楽しくおしゃべりしながら我が家へと帰っていく、そんな日常に、暴走車が突っ込んだ。


 生き残ったのは七歳の長男だけ。両親と四歳の次男は助からなかった。


「奇跡が起こったと言われました。たくさん出てきた目撃者の話によると、車との衝突の際には前にいた父親が、跳ね飛ばされて壁に激突する先には後ろにいた母親と弟が、それぞれクッションになったおかげで一人だけ助かったのだそうで、奇跡の少年として当時はそれは話題になりました。どうしてあの時家族と一緒に僕も死ねなかったのだろうとしか思えなかった頃の喧騒なので、同情ももてはやされるのも気を使われるのも、すべてが煩わしいだけでした」


 僕は無表情のまま語る。多分この辺は、十五年前のアルフォンス君の心情に近いものがあったかもしれない。


 痛ましい内容に、オーディエンスも無言のまま表情を曇らせた。アルフォンス君も、きっと自分の経験を思い出しているのだろう。


 クマ君は動かない。ここもクリア。


「弟は僕の下で、血だらけになっていましたが、僕は動くこともできず、ただ弟の血に染まっていきました。この時、自分の無力さを痛感した経験が、僕が医師を志した原動力として根底にあります」


 ここで、暗くなった話を少し変えるため、気になっていた考察について話してみた。


「チェンジリングとは、年齢や性別、内面など、似通った性質の者の間に起こる傾向があるんだそうです。しかしマリオン・ベアトリクスと来栖幸喜では、まったく違います。もし二人の共通点を探すとしたら、家族を目の前で殺された衝撃、怒りや無念――そういったものが、あまり似ていない二人を繋げたのだろうかという気がしています」


 ここはあくまでも僕の感想だから、事実かはどうでもいい。内面やその時の強烈な感情、一瞬にして他人に家族を奪われた非現実的な体験――軍曹と少女の間で起こったチェンジリングも、僕達の例と同じく、きっとそういった方向性での共通点だったのだろう。


 そして再び昔語りに戻る。


「最初にこの件を事故ではなく事件と称したのには、理由があります」


 来栖一家を撥ねた運転手は七十代の資産家男性で、車で突っ込んだ直後、車を乗り捨ててその場を逃げ去った。

 車から身元はすぐに割れたが、加害者はその夜は自宅に戻らず、翌日の昼過ぎにようやく出頭してきた。

 昨夜のうちに泥酔状態で運転していた情報はすでに調べ上げられていたが、自首の時点ではアルコールはすっかり抜けていた。


 来栖家の事件は、結局事故として処理されてしまった。

 状況証拠だけで、物的証拠がなかったせいだ。


「家族を殺されたあの事件で、意識を失い、その後病院で目を覚ました僕は、しばらくの間は自分の立たされている状況に現実逃避していて、ショックで一年間くらいはほとんど言葉もしゃべらずにいました」


 当時のことを思い出しながら語ると、その時の感情まで蘇ってきて、ちょっといやな気分になってくる。

 あの頃が精神的に一番きつかった。心の中で激情が渦巻き、今すぐにでも仇の下に駆け付けたかったけれど、その距離はあまりにも遠く、ただの子供の自分にはなす術もない。

 突然世界で一人きりになり、この先の人生に絶望していた。


「僕は、遠方に住んでいる父方の祖父母だという、会った記憶もない老夫婦に引き取られることになったのですが、彼らは息子夫婦の事件で、時間と労力をかけて加害者と争い続けるよりも、今後の僕の生活を重視する方を選ぶしかありませんでした」


 彼らは善良ではあったが、すでに隠居の身。突然引き取ることになった不幸な孫を育てていくには高齢で、気力・体力にも資金にも不安があった。僕を不自由なく育てるために、無念を飲み込み、勝ち目の薄い正義の徹底追求を諦め、加害者家族に提示された高額の示談金を受け取ったのだ。


「そのおかげで僕は、学費の高い医学部に進むこともでき、希望通り医師にもなれましたが――あれは僕が大学生で、引き取ってくれた二人もすでに亡くなり、アパートで独り暮らしをしていた頃のことでしたか、知人から、加害男性が自宅で家族に看取られて天寿を全うした話を聞かされた時には、さすがに何ともやり場のない怒りを覚えたものです」


 あいつらは今頃どうしているのだろう――そんな考えは、常に僕の心の奥底にわだかまり続けていた。

 何の落ち度もなかった人生これからの人間が突然殺され、それをやった犯罪者は、家族に囲まれて守られながらその後ものうのうと生きて、穏やかに人生の幕を降ろす。


 それは、あまりにも理不尽じゃないか?


 ベルトランの司法取引を見据えた上での温い償いの姿勢に苛立ちを思えたのも、そのせいだ。


「医師として、毎日人の命を助けることを考える一方で、僕の家族を奪った人殺しをこの手で殺してやりたかったという願望は、対象がもう永遠に僕の手の届かない場所に行ってしまっても、変わらず僕の中にありました。それこそ僕が死ぬまでどころか、死んだ後までも。僕が昨日今日とゲームで殺された二人にまったく同情心を覚えないのは、僕の心情が被害者家族側であるから――復讐者の気持ちが、誰より理解できるからです」


 ここまで、淡々と淀みなく、無難に過去の話を続けてこれた。

 やはり完璧に進めるのは至難の業で、些細なミスによるマイナス1ポイントが二回あったが、その程度は想定内だ。猶予はまだ十分残っている。


 クマ君が歩を進める度に、アルフォンス君の顔色が、明らかに僕より悪くなるが、むしろそのおかげで僕は冷静さを保っていられる。心労ばかりかけて申し訳ないが、もう少しだ。カウントダウンが残り半分を切った。


 予定していた時間配分では、そろそろ残る話題――物語の核心へ入る頃合いだ。


 ここからの仕掛が、ギャラリーが受け取る偽りの真実の完成度を左右する。気合を入れていこう。

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