幕間 走馬灯(BV)2
中盤過ぎまでは、うまく行っていたんだ。娘と孫の視線は辛かったが、記憶の限り事実を語ったつもりだ。
このままいけば生き残れる上に、莫大な財産も相続できると希望が見え始めた時、女王の亡霊が現れた。
私を嘲笑い翻弄する女王の亡霊。会話の度に、死が一歩ずつ確実に近付いてくる。そこには確かな憎悪と殺意があった。
追い詰められて焦ってしまった私は、不意に聞こえた甥の声に思わず「レオン」と叫び、その瞬間全てが終わったことを悟った。
最後の一呼吸とともに口元が水で覆われる。生き延びるためのあがきは、結局無駄に終わった。無念だが、どこかほっとしている自分もいる。この先人殺しとして、家族や社会の冷たい目にさらされることだけはなくなったのだから。
それにしても私をこれほど憎む女王の亡霊とは一体誰なのだ――死を覚悟しながらせめてそれだけは知りたいと切望した私の目の前に、一人の人物が現れた。
マリオンだ。私と魔法使いのテディベアとの間に、突然立っていた。
咄嗟にコーキを確認すれば、そこには赤く染めたショートヘアのマリオンが、アルに寄り添われて最初から同じ位置のままこちらを見ている。
対して正面にいるマリオンは、水色のロングヘアーで、十五年前とまったく変わらない姿をしていた。
瞬きの間の登場から、こちらは映像なのだと分かる。誰も反応しないところを見ると、私にしか見えていないようだ。もしかしたらレオンも死の間際、この映像を見せられたのだろうか? なんでお前が、と言っていたのはこのせいか。
そうだな。確かにもし私を――私達を最も恨んでいる存在を挙げるなら、きっとマリオンなのだろう。
だが現実的に考えて、女王の亡霊がこの映像を私に見せているのだとしたら、その意図は何だろう。殺された人間は何人もいるのに、何の目的で、マリオンの姿を私に見せつけている? まさか全てはマリオンの亡霊の仕業だとでも言う気か。
マリオンに何かの鍵があるのか? 何か伝えたいメッセージでもあるのか?
半年以上前の、マリオンの処刑を思い出す。
私も処刑場の遺族席からその最期を見届けに行っていたのだ。私の犯罪の証人が確実に消え去る瞬間を見届けるために。
報道では、マリオンは度重なる精神走査の負荷によって、すでにまともに刑に服せる精神状態になかったため、鎮静剤を投与されているとのことだった。実際一言の発言すらできない様子で、生気に溢れた昔の面影は見る影もなくなっていた。
そして、処刑されて死んだ。
――いや、正確には違う? チェンジリングというアクシデントが起こったからな。
チェンジリングとは、次元を超えて精神が交換される現象だという。現に、衆人環視の中で間違いなく一度死亡が確認されたマリオンの肉体は、コーキが入ることによって今も生き続けている。
アデライドはしつこく疑っていたが、思考波や記憶、その他の変化などの詳細なデータから、処刑前と後でまったくの別人になっていることは科学的に証明された事実だ。
では、死んだはずの本物のマリオンの魂は、どこへ行った? チェンジリングとして本当に、異世界のコーキの体へと入れ替わりに飛んでいったのだろうか?
そこまで考えて、ぞっとした。
――なぜ、今まで疑いもしなかったんだ。そんな証拠は、どこにもないのに……。
もし、異世界などではなくこの世界のどこかの誰かと入れ替わっていたとしたら?
そのまま復讐を期してどこかに潜伏されたら?
何かが引っかかっているのに、はっきりと形にならずにもどかしい。女王の亡霊が言っていた通り、確かに私は自分で気付いていない重要なヒントを持っているのかもしれない。
少しでも多くの手掛かりを得たい気持ちでコーキから視線を外し、藁にも縋る思いで周囲を見回す。
そして、ひっそりとこちらを見ている存在を見つけた。
私を注目している一同は、誰も気にも留めていない。当たり前のように周囲に溶け込んでいる無機質な二つの目と、確かに視線が合った。
その瞬間、雷に打たれたように、一つの可能性が閃いた。
そして十五年前のあの事件と、この機動城に入ってからの出来事が走馬灯のように、私の中を駆け巡る。
信じがたい完成図のパズルが組み上がった。
まさか、そんなことがあり得るのか!?
だが、そう考えれば、全てが繋がる。
――そうか、そういうことだったのか……。
全てがひっくり返った。騙されていたことを、ようやく知った。
完敗だ。陥れたはずのマリオンに、してやられた。私はとんだ勘違いをしていたのだ。
十五年前、ラウルと殺し合ったあの直後には、すでにマリオンは……。
誰にも知られることなく、マリオンの悪意は、この屋敷をとっくに支配していた。
マリオンの魔法は、治癒じゃない、もう一つの方だったんだ。
この屋敷で、あの魔法を使うための抜け道があった。
愕然として、少し離れた場所にある瞬きもしない双眸を見返す。
全ては、お前がいたせいで……。マリオンが相続した魔法を、まったく別の存在が放っているなんて、思うわけがないじゃないか……。
――今更気付いても、手遅れだ。私はゲームに負けた。
マリオン、お前の勝ちだ。
息が限界に達し、最後に吐き出した空気と入れ替わりに、水が口と鼻から侵入してきた。
――復讐のために、地獄から戻って来たんだよ。
幻のマリオンが、そういって嗤う。
ああ、これは確かに、亡霊だ。
亡霊となってこの世に蘇り、復讐を果たす機会を虎視眈々と待っていたんだな。
あまりの苦しさに、なすすべもなくただもがく。
願わくは、復讐の矛先が、家族に向くことなく、罪のある私ともう一人でとどまってくれればいいのだが……。
意識が途切れる直前、透明な水越しに最後に目に映ったのは、映像ではなく実体でもって私を見据える『女王の亡霊』の冷たいまなざしだった。