ゲーム終了(二人目)
女王の亡霊の嘲笑が響く。
『あはははは、深層では君はすでに気が付いているということだよ。君は全て見ていたはずだよ。さあ、思い出して、よく考えて。答えはすでに君の中にあるんだ。ではもう一度「私は誰でしょうか?」』
「セ、セブランだ!」
とりあえず、自分が殺した相手の名を叫ぶ。やはり真っ先に思い浮かぶものなのだろうか。殺した相手の生死が分からないなんて、もはや冗談みたいな状況だ。
『ブー、残念! あ~あ、またマイナス2ポイント』
「っ!!?」
ほんの一分前までは見えかけていた希望は完全に吹き飛んだ。ギャラリーからは、抑えきれない悲鳴が上がる。
女王の亡霊が現れてからだけで、あっという間に7ポイントを失い、1メートルほども水嵩を増した。余裕に見えた水位は、すでに胸の高さだ。普通にプールに入っているくらいになっている。
『まだまだ続くよ。さあ、「私は誰でしょうか?」』
地獄のようなルーティンが続く。
「クロヴィスだ!」
答えないわけにはいかないベルトランは、行方不明者扱いの人物の名前を一縷の望みをかけて叫ぶ。
『またまたハズレ~~』
「っっっ~~~~~~~!!」
完全にドツボにはまったな。当然のように、また二段階水位が上がる。
もう水面は顎の下まで迫っている。
予測通りだな。
この『完全防御』の水の牢獄のいやらしい点は、これだ。
こんなに水に浸かっているのに、ベルトランの体には浮力がかかっていない。僕達ギャラリーと同様に、重力操作で足が地面に張り付けられているのだ。あれでは少しでも逃げるための背伸びもできない。
つまり、水の牢獄が満たされたらとは言っているが、実質のゲームオーバーは、水位が口に達するまでなのだ。ルール上では敗北まではあと3~4ポイントほどは猶予が残っているはずだが、すでに現時点で、レッドラインを踏み越える一歩手前にまで来てしまっている。
『転移』の場合、どれほど恐ろしくとも、チェーンソーの刃先との間に1ミリでも空間があれば実害はない。だが、しゃべりが大前提のこのゲームでは、口が塞がれた時点で負けは確定だ。いや、それどころか、ギリギリのラインに来た時に一瞬の油断でわずかでも水を吸い込んでしまえば、もうそこで終わる。咽ている間に五秒などあっという間だ。そもそも直立不動の態勢で咽るなんて不可能だ。
転移より損している残り2~3ポイント分は、いわば敗者の消化試合。その間はまだゲーム続行中でありながら、なす術なく完全に溺れた状態となる。
当然沈黙が続き、ゲームセットを迎えるまでが十秒か、十五秒か。
これ以上特別な趣向がない限りは、レオンのようにそのまま処刑タイムに突入して――挑戦者が本当のジ・エンドとなるまでは、ものの数分だ。
許される失点分はもう使い切った。次のミスで間違いなく詰む。
ベルトランは藁にも縋る思いで、何かの手掛かりを求めるように周囲を見回した。なにしろここは殺人現場だ。女王の亡霊もよく思い出せと言っているし、それだけで何かしらのヒントは見つかるかもしれない。
しかし無情にも女王の亡霊のターンは続く。
『おいおい、随分薄情だな。もう俺の声を忘れちまったのか?』
今度はちょっと演出を変え、昨日この場所で散々聞かされた男の声での質問だ。
「レ、レオン!?」
ベルトランは反射的に叫んでしまった。その後で、本人含め、いくつかの絶望の悲鳴が重なった。
再び嘲笑が響き渡る。
『あはははは、残念! レオンは昨日殺したよ。知らなかった?』
はい、引っかかった。ここの答えも「はい」か「いいえ」だ。
本当に、焦ったら終わりだな。肝に銘じよう。こんな簡単な声まねの罠にはまって、呆気なく終了が確定してしまった。
とはいえこの問いの正答が「はい」なのか「いいえ」なのかは正直僕にも分からない。単純に「俺の声」ということならレオンの声として当然覚えているが、レオンを騙った女王の亡霊の言葉がクマ君内蔵のスピーカーから合成されて出されている場合、一体どっちになるのだろう? 正体を知っているはずという前提であるなら、やはり「はい」になるのだろうか? それともそんな音声自体聞くのなんて初めてなわけだから、「いいえ」? もう何が何やらだ。
ともかく、序盤順調に思えても、坂道を転がり出すと、もうどうにもならなくなる。本当に恐ろしいゲームだ。
容赦なく水位が上がり、ついにベルトランの鼻の高さを超えてしまった。もう、できることは何もない。
あとはただ死んでいくだけ。
『もしも~し、ベルトラン? もうお返事はできないかな? では用が済んだので皆さんごきげんよう。また次のゲームで』
次の予告を最後に、女王の亡霊は退場した。
誰も、言葉を発することができない。
静寂の中、水の跳ねる音だけが激しく響き、ギャラリーの何人かは家族と抱き合って目とともに耳も塞いだ。一族の最年長者が水中でもがき苦しみながら死ぬまでの時間をただ待つしかない。
五秒の沈黙で、一つ、更に五秒でまた一つ。その都度水は増えていく。反比例して、水の音はボリュームを落としていく。水中でどれだけ動いても、音は出ない。
なんとなく某動物園のアザラシの行動展示を思い出すな、などとしょうもないことを考えてしまう辺り、僕も多少現実逃避に侵されているのだろうか。
ともかく周囲の親戚の皆さんと違って淡々と観察していたせいか、空気の領域が残り2~3センチまで達した水の牢獄越しに、ベルトランと一瞬目が合った気がした。
最期のあがきなのか、絶望の状況で、心残りとなる答えをまだ探すように、周辺に視線を彷徨わせるベルトラン。
そしてほぼ水中に沈みながらも、ある一点で目を止め――苦悶の中にも驚愕の表情を浮かべた。
僕もちらりとその視線を追う。
彼の視線の先にあったものは……。
ああ、気が付いたらしい。
女王の亡霊の正体と、そのトリックに。やはり答えは彼の中にあった。ただ、一歩遅かったな。
限界を超えたベルトランの口から、盛大に泡の塊が吐き出された。
それを最後に、本当の沈黙が訪れる。
自らの欲望に負けて罪を犯した殺人者は、自分が殺される側になった時、何を思うのだろう。
死にゆく男を眺めながら、僕はそんなことを漫然と考えていた。
弟を殺してまで欲した遺産は手に入らず、代わりに恨みを背負い、復讐者によって自分の命を失う羽目になった。
僕も対岸の火事ではいられない。価値を置く対象が違うだけで、僕もきっと同じ穴の狢なのだろう。
別に遺産などいらないが、自分と大切な弟の命を守るためなら、他の人間を殺す決断ができるのだから。
もちろん僕はうまくやるつもりだ。絶対に誰にも気が付かせたりしない。
けれど、もし万が一それが破綻した時――いつか、僕を殺したいと願うほど憎む誰かが現れるのだろうか?
そしてとうとう最後の五秒間が過ぎ、魔法使いクマ君のコールが響いた。
「ゲームオーバー!!」
夜の女王のアリアが、耳に突き刺さってくるように再び鳴り響く。
かくして女王の亡霊は、二人目の復讐を終えた。