昼食
昼休憩となり、双子をイネスの客室に送り届けてひとまず解散となってから、僕とアルフォンス君は食堂に来た。
オーダーの時間にはまだ数分早いが、ベレニスとヴィクトールが一足早くダイニングテーブルの一角でお茶を飲みつつ時間を潰しているようだった。
空気は重苦しいものの、昨夜よりは幾分落ち着いた様子だ。お互いに会釈程度の挨拶をして、僕達も席に着く。家族を惨殺されたばかりの遺族との相席はなかなかに気を遣う。
対面にならない位置取りはしたが、いつもの調子で無駄話も気が引けるしどうしようかと思っていたところで、ヴィクトールの方から声をかけてきた。
「――コーキ……昨日は、悪かったな」
気まずそうに、それでも後悔を滲ませながら謝罪をしてきた。昨日の傍若無人さなど欠片も見えない。
僕個人への謝罪となると、僕を個室に引っ張り込んだ件に関してだろう。隣のアルフォンス君がピリピリとするのを、まあまあと抑える。
今のところは危険性よりも、洗脳が解けた後の状態への好奇心の方が勝るので、僕も話はしてみたかったのだ。
「昨日の件も含めて、これまでの記憶は、はっきりしているのですか?」
「ああ、嫌になるくらいな。目から鱗が落ちたみたいに、ものの考え方だけがガラリと変わった感じだ。昨日は、あのクソ野郎からあんたにちょっかい出すように命令されたんだ。クスリまで渡されて、疑いもなく実行してた。今思えば、あんたが魔法を持ってることを予測して、洗脳で手駒にしておくつもりだったんだろうな」
ヴィクトールは心の底から忌々しそうに呟く。クソ野郎とはもちろん父親のレオンのことだ。
「なるほど。確かにレオンさんなら、十五年前に殺人を犯した人物を全員把握していたわけですから、ラウルさんを殺したマリオンさんが何らかの魔法を相続したと考えるのは当然ですね」
「なんなら俺が反撃されるのを観察して、どんな魔法か探るつもりだったのかもな。本当にクズだぜ」
吐き捨ててから、ふと思いついたように、改めて僕に視線を向ける。
「あんた、自分の魔法が何なのか、少しも把握できてないのか?」
ヴィクトールの質問に、全員の目が僕へと集中する。
もちろん知っているし、すでに密かに多用しているが、ここは当然とぼけるの一択だ。
「残念ながら。昨日の話を聞いた限り、確かにマリオンさんは魔法相続の条件は満たしているようですが」
「もしかしたら、治癒とか回復系か、防御系なんじゃないか?」
昨日の僕を思い返したのか、ヴィクトールがそう推測する。
「なぜそう思うのですか?」
「昨日あんたに使ったクスリ、吸い込んだら数秒で昏倒するやつだってクズが言ってたんだよ。なのにあんた、まったく平気だっただろ? 無意識にでも何かの魔法を使ってたんじゃないかと思って、だったらその辺かなってな」
「なるほど。参考になります」
しれっと頷く。結論としては不正解ではあるが、彼の推測はイイ線をいっているとも、完全に的外れとも言えるものだ。
そこで、はっとする。
朝食の席で、ベルトランが僕の治療について、何か言いたそうにしていたが、もしかして彼は僕の魔法が治癒である可能性を考えたのだろうか。
少なくともマリオンが魔法を持っているはずだという認識は、すでに全員共通で持っている。確かにこの状況で治癒系の魔法を持っている人間がいたら、かなり心強い。もちろん僕は違うが。
僕に治癒はできない。だからこそ警戒を高めて自衛に力を入れているのだ。
ん? もしベルトランがそう考えていたのだとしたら――一つの可能性が浮かび上がってくるのかな? いや、さすがにこの材料だけでは早計か? だがこの仮定が事実なら、油断のならないこの状況下ではかなりの朗報だ。
まあ、すぐに分かることか。
そこに、まさに今思いを馳せていたベルトランと、アデライド、ジュリアンがやってきた。ちょうどメニューのオーダーが始まる時間だ。ほぼ間を置かずにクロードも姿を現す。
更に、さっき別れたばかりの双子達が、イネス、キトリーとともに入ってくる。見るからに気の進まないキトリーを、何とか引っ張り出すことに成功したようだ。昨日昼以降からほぼ丸一日、彼女はまったく食事を摂っていないはずだ。
朝食をパスした他の面子も、昨夜は惨事の直後でまともに食べてはいないので、似たり寄ったりだろう。
ランチの時間になった途端、全員が食堂に集合して一気ににぎやかになった。
僕の意見を参考に、それぞれが思い思いのメニューをオーダーする。
僕は全然気にしないが、半分くらいの面子はやはりクマ君達を遠ざけて自分でトレイを運び、それぞれ席に就いて食べ始めた。
――そしてたった今、衝撃の事実が判明した。
昨日楽しみにしていた通り、僕は久しぶりの天ぷらうどんだ。メニューを僕任せにしているアルフォンス君も同じもの。
さすがの軍曹クオリティーと言うべきか、トレイにはアルグランジュにはないはずの箸がしっかりと乗っていた。それはいい。問題はその後だ。
なんと、僕は箸が使えなかったのだ。
正直愕然とした。ピアニストは練習を一日休むと元に戻すのに三日かかるなんて聞くが、頭では分かっているのに、指が以前の感覚通りに動かないのだ。利き手ではない左手を使っているようなもどかしさだ。
アルグランジュに転移しておよそ半年ほどになるが、今の今までまったく気が付かなかった。
小児外科医としてあんなに精密な作業もこなした僕が、まさかうどん一本掴めないとは。
確かにマリオンの体に箸を使った経験などあるはずもないが、僕から使い方を教わった初心者のアルフォンス君が、隣で器用に使いこなしているだけに余計癪に障るのだ。
悔しいので、クマ君に頼んでさっさとフォークと取り換えてもらった。忸怩たるものはあるが、これ以上弟に醜態は晒せない。つるりと麵に逃げられるごとに、僕のプライドが削られてしまう。
「そういうとこはやっぱマリオンなんだなあ。あいつも不器用だったもんなあ」
クロードがニヤニヤととどめを刺してくる。
「非常に不本意です。前の体だった時の僕はものすごく器用だったんです」
ここはつい強弁してしまう。何十年も当たり前にできていたことが、老化ではなくむしろ若返ったせいでできなくなってしまった。
「まあ、体で覚えてきた技術までは、引き継がれないってことですかね」
アルフォンス君が苦笑しながらフォローするが、僕の不機嫌の九割以上は弟に負けたことなのだ。機嫌を取る気があるのなら、僕の真横で難なく箸を使うのをやめてほしいものだ。
さすがにみっともないので、意地でもそれは言わないが。