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心変わり

 過去を見ている――そんなことは僕が一番分かっている。あの日からずっと。

 もし僕が未来を見ているなら、このままアルフォンス君と生きていく道だってあるのだから。


「年を取ると頭が固くなるものなんですよ」

「脳ミソは俺より若いじゃないですか」

「――屁理屈です」


 アルフォンス君のツッコミに負け惜しみを返して、話を逸らすしかなかった。まさか僕が口で押されるとは。

 十五年に亘る過酷な記憶走査で受けた脳のダメージも、チェンジリング時の特性である完全回復がかかっていて、むしろ今の僕は誰より健康そのものの十八歳の状態なのだ。

 ちなみに、いくら再生医療が進んでいるといっても、アルグランジュの法では、脳の治療には制限がかけられている。生命維持や運動、認知機能に関わる処置なら問題ないが、記憶や人格に関する部分は洗脳にも準じる行為として大部分がアンタッチャブルだ。まして処刑の決まっていたマリオンには、最低限の医療行為しかなされていなかったらしい。

 長年寝たきりだったのに、多少痩せていた程度で、あとは問題なく僕がいきなり動けたのも、実はチェンジリング効果のおかげだ。


「…………」


 落ち着かない沈黙が流れる。

 それ以上返す言葉が出てこないのは、「事実のみ、本心のみを話す」という自分に課した訓練に行き詰ったせいばかりではない。


 屁理屈の応酬ならいくらでもできる僕だが、今はあまり言い返す気も起こらなかった。

 完全に痛いところを衝かれた。


 沈黙を破ったのは、アルフォンス君からだった。


「コーキさん。今は、この屋敷から無事に出ることに全力を尽くします。でも、今回の件の片が付いたら――心に留めておいてください。昨日も言いましたが、俺は諦めが悪いんです」


 はっきりと予告を残し、彼は僕に背を向けて仕事に戻りかけてから、ふと何か思い出したように振り返る。


「あと、子供達にまで小さい弟とか言うの、ホントやめてください」


 ここはちょっと不貞腐れたように、苦情を漏らしてきた。


「おや、あんな小声が聞こえてましたか?」

「俺、読唇できるので」

「また、何ともけったいな特技を持っているものです」

「仕事上で音声の取れなかった証拠映像の分析とかしてたら、自然と覚えてただけです。意外と便利ですよ」

「――女の子同士の内緒話を盗み聞くものではありませんよ」


 前から薄々感じてはいたが、彼はどうでもいい方向にまで無駄に能力を発揮しすぎじゃないだろうか。器用貧乏にならなければいいのだが。


 僕の呆れた小言を背に、今度こそアルフォンス君は作業に取り掛かった。


 ――さて、一体どうしたものか。 

 すっかり迷いの消えた彼の決意表明に、僕は先のことを考える。

 正直、見通しが甘かったなと、感じ始めている。


 僕は「初志貫徹」よりは、「臨機応変」とか「君子豹変」を良しとする方だ。よりベターな道があるなら、予定変更に抵抗はない。


 幸喜としての一生では独り身で終わったが、結婚に過剰な夢や期待を持つようなお年頃でもないし、僕個人の気持ちとしては、今まで通り家族のように一緒に暮らしていけるなら、その肩書が「姉」だろうが、なんなら「恋人」や「妻」であってすら、まあ構わないかという部分はなくもない。異性として愛せるかは分からないが、弟としては愛している。


 しかしそれはあくまでも僕の幸せだ。アルフォンス君が今の感情のままに突き進むことで、果たして幸せになれるのか。一番重要なのはそこだ。

 やはり普通の女性と連れ添った方が、長い目で見れば平穏な一生へ繋がる確実な道なのではないかという思いは拭えない。これから殺人に手を染めて、生涯その罪を一人で背負っていく予定の僕などではなく。


 だが彼がここまで腹をくくっているとなると、うかつな距離の置き方はできない。

 彼は一度決めたことは、とことんまで突き進んでしまう男だ。僕が日本で男性として六十五歳まで生きていた背景も、僕が隠している事実があることも、全て承知の上で受け止めてしまっている。元々ジェンダーの概念が薄い社会だけに、ハードル自体低いのかもしれない。


 ともかく現実は、物語のようにただ美しく消え去るのみ、なんてわけにはいかないのだ。僕の魔法を使えば、完璧に消息を絶つことはできるとしても。

 もし僕が彼の前から忽然と消えようものなら、これまでマリオンを助けるために全力を傾けてきたように、今度は僕を探すために人生を費やしてしまいそうだ。

 それでは本末転倒というもの。彼を穏やかであり触れた日常に戻すために、いったいどうしたらいいのか。


 まあ、完全な解決法がないこともない。が、これはまだ現時点では実現不可能な皮算用の域を出ない話だな。

 今やっているウソツキゲームを乗り越えた先にある、最終ステージ――資格とかはなく、全員参加となるはずのイベントだが、そこで僕がゲームの勝利者になればいい。


 別に遺産を狙って取りに行くつもりはなかったが、僕がリストの最後の人物を殺すというミッションをこなせば、結果的には付随してくるものだ。

 最終勝利者の得るボーナス特典――それは未獲得の遺産、つまり残った魔法の総取りだ。

 そうなったら、この世の大抵のことは可能になるだろう。――例えば、「洗脳」で恋愛感情を、本来の形であった姉弟愛にすり替えることでも。


 いずれにしても、先のことなど分からないか。可能な限りの準備と対策を取って、その時にできる一番いい選択をし、彼にとって一番の幸せな結末を用意しよう。


 きっと僕が流されて、アルフォンス君の今の気持ちを受け入れるのが一番平和なのだろうな、とつい選択肢の一つに入れそうになってしまうのが困りものだ。

 少なくとも訣別の決意は、現時点では変わってもいないのに。やはり僕は譲れないものにはうんざりするほど頑固だ。

 僕の人生を懸けた目的を果たす決意が、どうしても消えてくれない。


 とはいえ、モチベーションの変化は認めざるを得ないところがある。不慮の死によって図らずもできた二人目の弟――彼の幸せを守ることは、目標を果たす決意を上回ってしまっている。


 そういえば、唐突だがモチベーションの変化と言って思い出すのは、職場の近くにあった激辛料理店の店主のそれだ。通りかかるたびに不思議に思っていたのだ。最初は普通の定食屋だったのに、徐々に辛さ推しの方向に舵を切り始め、いつの間にか激辛に振り切ったことで話題を呼んで行列ができるまでの人気店になった。三十分以内に全部食べ切ったら無料とかいうやつだ。

 料理を出すという点で、やっていることは基本的に同じなのに、どう考えても目標がガラリと真逆の変化を遂げている珍しい例だと思う。もちろん商売ではあろうが、まがりなりにも料理人を志したからには、「自分の料理で、食べる人を美味しいと喜ばせたい」という目標は大なり小なりあったはずだ。実際初期の頃は、家庭料理寄りの、地味ではあるがその馴染みやすい無難な美味しさが喜ばれるタイプの店だった。

 店主の最終目標が美味しさから辛さへと変わってしまったのは、妥協なのか、新しい道に目覚めたときれいに言い換えるべきなのか。美味しさで評判になるのは大変だが、激辛で評判になるのは調味料次第というハードルの低さを指摘するのはうがちすぎだろうか。辛くても美味しいものはあるだろうが、果たして作っている本人は自分の極端な激辛料理をおいしいと思っているのかは甚だ疑問が残るところだ。いや、そもそも九割以上の客がリタイアするようなあれを本気でおいしいと思うようなら料理人を名乗っていい味覚ではないし、自分が美味しいとも思わない料理を、売れるからと提供するのなら、それはもはや料理人ではなく商売人と言うべきじゃないだろうか。料理を作り提供するという行為自体は変わらないのに、自分の美味しい料理で笑顔になったお客様に完食してもらいたいという志は、どういう変遷を経て、嫌がらせのような自分の料理を涙を流し苦しみながら食べるお客様を前に、完食できるもんならしてみろやと、全く正反対の方向に変化するのだろう。実に興味深いテーマだ。


 おっと、また横道にそれてしまった。

 まあ僕も結局のところ、動機は変わってもやることは同じだ。優先順位のトップが、小さい弟の命と幸せになっただけで。


 それにしても、モチベーションが可愛い弟の幸せを願って――なんて、実に僕らしくもない、随分と建設的なことじゃないかと、我ながらその転身振りに感心する。これもある意味心変わりと言うのだろうか。


 ――僕の救いがたい妄執なんてものが動機であった頃よりは、遥かにマシになったと言うべきなんだろう。

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