朝食
「時間です。おはようございます」
「おはよう、クマ君」
頼んだ時間に、可愛い声でモーニングコールをしてくれたクマ君に癒されながら、ベッドから降りる。
翌朝の目覚めは、あまりスッキリとしたものではなかった。
昨晩は考えることが多すぎて、夜更かししてしまった。ストレスのせいか、眠りの質もあまりよくなかった。僕は自分で思っていたよりもなかなか繊細だったらしい。
中身が同じ僕でも、やはり体質は当然肉体の方に準拠するようで、幸喜時代はショートスリーパーだったのに、今は七時間は眠らないと、日中快適に過ごせない。まあ、そこは若さでカバーしよう。
手早く着替えてスクリーンを解除したら、すでにアルフォンス君は朝の支度を終えて、デスクワークをしていた。
「コーキさん、おはようございます。あまりよく眠れませんでしたか?」
仕事の手を止めて振り返るなり、僕の顔色を見て、少し心配そうに言い当てる。
「そうですね。さすがにこの環境で熟睡できるほどの図太さはなかったようです。君は朝から元気ですね。ちゃんと寝ましたか? あまり無理はしないでくださいよ」
僕より遅く寝て、早く起きて仕事しているので、ついお母さんのように口を出してしまう。この件に関しては、言っても聞かないことは分かってはいるのだが。
「この程度、無理には入りませんよ。そもそも今しないでいつするのか、って話ですしね」
予想通りこれまでも何度化したやり取りに終始する。聞く耳を待たない様子に苦笑だけして、僕はバスルームに行った。
僕の朝の支度は、マリオンになっても幸喜時代とあまり変わらない。顔を洗って、髪を軽く整える程度。ショートヘアだし特にメイクをするわけでもないので、すぐに終わる。髭剃りがない分、以前よりも早いくらいだ。
「では、食堂に行きましょうか」
「はい」
アルフォンス君が片付け終わるのを待って、客室を出た。
機動城の朝食受付は、五時半から六時までの三十分間だけ。食事をする猶予は、サーブから一時間あるが、締め切られる前にオーダーしないと、食べ損ねることになる。
今日も一日機動城の調査で動き回る予定なので、朝食を抜くわけにはいかない。
「何人、集まってるでしょうね」
二人並んで廊下を歩きながら、アルフォンス君が何気なく疑問を口にする。欠席者多数を予想した口ぶりだ。
「やはり全員出席とはいかないでしょうね」
「ですね。ただでさえ朝食の時間が早すぎるから、十五年前も朝は誰かしらは来てないって状態だったんですよ。まして今回、初日からアレでしたからね。まだ寝込んでてもおかしくないですよね」
「そうですねえ。本当に最悪、五日間閉じ籠って絶食する人も出るかもしれませんね。まあアルコール以外の飲み物だけは自室でも摂れるので、それでも死にはしないでしょう。相当キツイですが」
僕に言わせれば、わずかな安心感と引き換えに、冷静な判断力と動ける体を自ら放棄する自殺行為だが、パニックものなら一人や二人は必要な人材というものだ。こちらに迷惑がない限り、自己責任で本人の好きにすればいいだろう。
食堂前の通路に出ると、ちょうど階段から曲がってきたベルトランと行き合った。
「おはようございます。お一人ですか?」
彼は自身に割り当てられた客室に、アデライドとジュリアンと三人で滞在している。
しかし娘と孫の姿はなかった。
「ああ、アデライドは食欲がないと言っていてね。ジュリアンは朝に弱いからまだぐっすりだよ」
「彼は臆病なのか大物なのか分かりませんね」
「まったくだ」
そのまま合流して、世間話をしながら三人で食堂へと入った。
ちなみに昨日の話し合いで、一日三回、食事のついでに生存確認し合うことになっている。一家全員欠席する場合は、食堂の電話に連絡を入れる決まりだ。
その電話連絡には、職務として必ずアルフォンス君が対応し、出席者に伝えられる。
電話対応を警察官のアルフォンス君一人に限定するのは、誰が信用できるか分からず、当番制にしたら不正や行き違いが懸念されるからだ。
確かにミステリー小説の定番なら、安否を知らせる電話一本にも、「まだ生きているように見せかけるための録音された生前の音声」だの、「別の場所からの電話による時間差のアリバイ」だの、「無関係や犬猿の仲と見せかけて実はグルだった」だのと、まさに花形トリック候補目白押しのシチュエーションだなと、つい変な期待をしてしまう。
「真犯人は捜査官だった」という別のお約束だった場合はまったくの無意味だが、現時点でできる範囲では有効な手段だろう。
もういっそのこと館内放送で報告したら、どこにいても全員同時に情報共有が出来るだろうと僕が提案したら、寝てる時にいきなりうるさくされるのは嫌だとジュリアンに反対されて、なんとなく流れてしまった。今朝の状況を見ると、自身の寝坊は織り込み済みだったらしい。
なので結果的にアルフォンス君だけは、毎回食堂待機が義務付けられる。当然僕も付き合うわけだ。まあ、体が資本ということで、食事を抜く気はないので問題ない。
食堂には、先客が二人いた。
イネスとギイだ。まだオーダー受付の開始時間を十分ほど過ぎただけなのに、すでに食事を始めている。早めに入って、受け付け開始と同時に注文したのだろう。なんだか慌ただしい様子だ。
「随分お早いですね。キトリーさんとルネさんは部屋に留守番ですか?」
僕達も同じ食卓につきながら尋ねる。
「キトリーがすっかり参っちゃってるのよ」
イネスが溜め息混じりに答える。隣のギイも浮かない表情で食べ進めている。昨日の件をどの程度引き摺っているか心配していたが、とりあえず食べられる状態ではあるようでひとまずほっとした。
だが、キトリーはそうではないようだ。
「塞ぎ込んで外に出たがらないし、ノイローゼっぽくなっちゃって……一人にしておけないから、今はルネも一緒に部屋に残ってもらってるの。ギイを食べさせたら、いったん帰って次はルネを連れてくるわ。だからのんびりしてられないのよ」
おしゃべり好きなイネスは、会話に花を咲かせながらゆったり食事を楽しみたいタイプなのだろうが、今は追い立てられるように食べながら答える。
オーダーの受付時間は三十分間。食事時間はサーブされてから一時間の猶予がある。オーダーだけは時間制限内に先に出しておいて、最長一時間半の間に双子を入れ替える予定らしい。
だが子供一人を、精神的に不安定なキトリーと残すのも心配だからか、できるだけ早く戻らなければ、といった様子だ。
まあ、状況を考えれば、限られた時間内で何とか出来る苦肉の策なのだろう。
イネス一家も、祖母、娘、孫達の四人で、イネスの部屋にまとまって宿泊している。
部屋の主はイネスのため、ドアのロックも彼女にしか解除できない。
双子は年齢的にはすでに中学生なのだから、通常ならイネスがキトリーの付き添いで部屋に残って、子供達だけでいってらっしゃいと送り出せたはずだ。しかし機動城内にある危険性を考慮すれば、取り越し苦労ではあってもやはり移動には大人同伴が望ましい。
そうすると、イネスにとっては二度手間で非常に面倒だが、孫達を一人ずつ伴い、前半と後半の交代制での食事となったわけだ。
「それは心配ですね。キトリーさんは、最初からずっと元気がなかったようですし」
「そうね。あの子はラウルとは仲が良かったから、思い出してしまうのかしらね。ここに来るのもすごく抵抗が強かったみたいよ」
「確かにこんな得体の知れない場所、喜んで来る方が少数派なんでしょうね」
適当に話を合わせながら、キトリーが塞ぎ込んでいるという理由について、考えを巡らせる。
もちろん僕の持つ情報には、十五年前の人間関係も漏らさず入っている。当時のキトリーは、二歳年下の従弟のラウルとは特に親しくしていた。
「あの事件が、すっかりあの子を変えてしまったわ」
イネスは母親として憂いの呟きを漏らした。いくつになっても子供は子供ということか。アルフォンス君を見ている僕にも、そこはなんとなく共感できる部分だ。
いろいろと無神経な点も目に付くが、育ち盛りの子供達にはしっかりと朝食を摂らせたり、用心深く送迎も怠らない姿勢など、意外とそういうところは良識と常識を持った保護者なのだなと、新しい面を発見した。




