怯え
「いや! 来ないで!」
「あっち行け!」
いざサロンを出ようとしたところで、子供達の悲鳴のような拒絶の声が聞こえた。
当然のように、クマ君達が持ち場に戻ろうと、それぞれ担当する対象の元へ歩み寄ってきたせいだ。
レオンを殺したクマ君とは別個体とはいえ、自分に近付いてこようとするテディベアに、ルネもギイも拒否反応を示していた。
ルネにはお姫様、ギイには王子様が付いているのだが、お姫様の濃いめの高飛車キャラを知る前だったら、微笑ましいままだったのにと、少々残念な気もする。キャラがいまいち薄かった王子様は、お姫様に尻に敷かれていないのか気になるところだ。
ちなみにゴスロリちゃんは、気の弱いジュリアン付きだった。こちらも、母親のアデライドの後ろに身を隠すようにして、気の毒なくらいに縮こまっていた。
十八にもなる青年が、可愛いクマちゃんに怯えている図は何とも情けないが、それも致し方なしか。ただでさえ一番質の悪そうなゴスロリちゃんだし。
さて、どうしたものかと、勃発した問題について思案する。
確かにあのゲームの場に自分が立たされた場合、凶器を向けてくるのが担当のクマ君であることは容易に想定できる。
参加資格からいえば、子供達がゲームに臨む予定はないのだが、参加者リストに自分の名前が載っていない事実を知らない以上、怯えるのは当然だった。
大人達ですら、嫌悪感は抑えきれていない。
「クマ君、おいで」
僕はあえて、僕の執事クマ君を呼び寄せる。クマ君は忠実に僕の隣に戻って来たので、その頭をなでた。
「皆さん、まずは冷静になりましょう。殺人の罪は、あくまでもそれを行った人間だけのものです。銃でもナイフでも、使われた凶器はただの道具に過ぎません。この場合の道具とは、あのサーベルだけではなく、ロボットまでも指すと考えるべきでしょう。本当の罪は、道具を使った人間にあります。道具自体は恐ろしいものではありません」
まずは淡々と理屈を述べる。
まあそうはいっても、あんな惨劇を見せつけられては、簡単に受け入れられるものでもない。ナイフを持った人間に襲われれば、ナイフを見ただけで恐怖の記憶を思い出してしまうのが道理だ。
いくら目を瞑ってほとんど見ないようにしていたとしても、普通にトラウマになる異常事態だった。
言われた方からすれば、正論ではあっても、物は言いようだとしか感じられないだろう。
特に僕のように少々穿って考えてしまいがちな質だと、どうしてもきれいな言葉の裏を勘ぐらずにはいられない。
そういえばぼくが日本で利用していたスーパーで、そんな感じでまさに副音声が聞こえる類のアナウンスがあったのを思い出す。お客様に安心してお買い物をしてもらうために私服警備員が巡回している。何かあったら遠慮なく声をかけてほしいというのだが、そもそも私服警備員と一般客をどう区別すればいいのだ。店内に万引きGメンが紛れていても、どの人か分からないのと同じこと。名札を付けているわけでもない私服警備員の見分け方など、アナウンスでは一言も触れてはいない。その場で「私服警備員の人いますか~」と叫べとでも言うのか? 「お呼びですか?」と出てきてくれるならまだしも、あいにく居合わせておらず放置された時の空気を考えれば、普通に手近の店員かサービスコーナーに声をかけるだろう。そもそも私服警備員は顔バレOKなのだろうか? とにかくあまりに非現実的なご案内だ。要するにそのアナウンスを意訳すれば、「警備の目が潜んでるんだから、店内でおかしな真似はするんじゃねえぞ?」という脅しが本意としか思えないのだ。おためごかしな物言いが実に鼻に付く。
コンビニのトイレなどにある「いつもきれいに使って頂きありがとうございます」の張り紙と一緒だ。ドアを開けた瞬間に目に入る。お礼なら該当の行為の後で言うものだ。張るべき場所を間違えている。本当にお礼を言う意図があるのであれば、個室の扉内側であるべきだ。終わって帰るタイミングで目に入るようにするのが正しい姿勢だ。つまりあれも実質的な内容は、感謝どころか「当然キレイに使うよな? ゴラアッ」という圧力なのだ。感謝に弱い日本人の性質を心理的に突いたいやらしい手口と言う他ないと、少々ひねくれた僕は見るたびについ思ってしまう。
おっと、少々脱線してしまったが、きっとそんな納得できないモヤモヤを、子供達も心のうちに抱えていることだろう。受け入れがたい正論など世の中にはごまんとあると学ぶ第一歩にしては、やはりこの件はあまりに重すぎる。
なので、僕の先程の見解は、正論で無理やり終わらせず、実現可能な代替案を出して、心理的な抵抗のハードルを下げるための発言だ。
「とはいえ、落ち着くまで少し時間は必要でしょう。クマ君達、許容できる範囲まで、対象から距離を置いてくれますか?」
いったん無理目の意見を出した後で、妥協案を提示するように、テディベア達にお願いしてみる。
すると彼らは、今までのようにすぐ傍らに侍るのをやめ、それぞれ五メートルほどの距離を開けての待機を選んでくれた。
なるほど。彼らの読心可能な範囲は最大でこの距離と考えて良いだろうか。そういえば騎士クマ君が転移のサーベルを持ってレオンと対面した最初の距離もそのくらいだったか。
もちろん僕のクマ君だけは、すぐ隣に控えたままだ。それで正解。
僕はまったく気にしていないし、むしろ微妙に離れられている方がいろいろと厄介なのだ。
彼はきちんと僕の思考を読み取っているのだと、改めて実感する。
クマ君全体に向けた指示から、自分だけ対象外とする判断能力も持っている。
ちょっと試す意図もあっただけに、難なくクリアした様子を感心すると、なんだか嬉しそうな表情を返しているように見えた。
こんなに可愛いのにどうしてみんなそんなに怖がるのだろう?
「距離は空きましたし、あとはみんなで固まって、できるだけ子供達の視界に入れないように大人が間に立ってあげましょう」
クマ君が傍にいる僕もある程度離れてから、改めて促した。アルフォンス君だけは僕に付いてきてくれた。
とりあえずは双子も、渋々ながらも何とか我慢できるラインにはたどり着けたようだ。
それを確認して、今度こそ全員でサロンを後にした。