第9話 冬の妖精王、アルバートの視点2
サティの手厚い看病と保護によって、あっという間に体は復調した。彼女が常に魔力が暴走しかねないほどの魔力量を有していることに気付き、できるだけ肉体に負担にならないよう傍にいて魔力を吸収して安定させた。
(こ、これは助けられた礼であって、ギュッとされたいからじゃない! それに俺の魔力が回復するために仕方なく……)
自分に言い訳めいたことを言いながらも、サティの傍から離れず――べったりと常に傍にいた。誰かと一緒に居ることは苦痛で、できれば時間のある限り本を読み漁っていたかったのが嘘のようだ。
サティは勉強熱心で、常に図書館に入り浸っては本に齧り付いていた。そんな彼女が可愛らしくて、傍にいたい。
「モフモフ、この本ならお前がなんの妖精か書いてあるかもしれないね」
(たぶん載っていないと思うが……)
俺にも本が見えるように膝の上に乗せるので、その温かさと居心地の良さにぐでーんと、体を横にする。サティの手は温かくて柔らかくて、良い匂いがした。
「モフモフは、サツマイモやジャガイモという野菜があるのを知っている?」
(野菜? 紫色のナスの形に近いサゥツォマイモと、アピオスが近いジャガーイモゥ? 我が領土に似たようなものはあるが、果たしてあれは食材だっただろうか)
サティが本をめくっていると、自分の領土の話が出てきたので頬に前足を当てて止めようとしたが、そのまま本を閉じてしまった。「閉じないでくれ」と頬をすり寄せるつもりだったが、獣の本能なのか舐めてしまう。
(なっ、舐めるぐらいならキスしたいのに)
「後でいっぱい撫でてあげるから」
(いやそうではない。いや撫でられるのはやぶさかではないのだが……って、その本を戻さないでくれ)
「貴族令嬢なら今の生活よりも自由が増える……。ということは、土いじりや庭園ぐらいなら許されるんじゃ!? それに妖精貴族なら、植物に身詳しいはず! ふふふっ」
(貴族令嬢。……そうかサティもいずれは、あの魑魅魍魎の跋扈する社交界に……。いやそれなら、その時に出会えば……)
「大丈夫。お前もちゃんと連れて行くから」
(ああ、俺もちゃんと君と出会い、気持ちを伝えよう)
そしてサティの望む環境を整えるため、シルエに準備を頼んだ。
サティが貴族令嬢として出て行ってから、俺も社交界に人の姿で出ることにしたのだが――。
「酷い匂いだ……。香水がいくつも重なって……吐き気が……」
「まったく、アルバートは繊細だな」
「オベロン、俺は今、君を尊敬している。よくあんな血に飢えた戦場で飄々としていられるな」
「いや照れるよ。……君が番を見つけたのなら僕がセッティングをしてあげようか? そうすれば君もやりやすいだろう?」
「……頼む。だが、サティには惚れるなよ」
「あははは、ダンス一曲ぐらいは目を瞑ってくれたまえ」
オベロンと楽しそうにダンスをするサティは、以前よりも美しくなっていた。宝石のように輝いて、社交界での吐き気のする匂いを凌駕するほど、彼女の存在は輝いて――四季の妖精もみな好意的だ。
衝撃だったのは、あのミデルがサティとダンスを望み、そして求愛したことだ。あの男は先代の春の妖精女王エーティンだけを妻にして、その生まれ変わりを探していた。
そう思い出して背筋がゾッとする。
(あの塔は、まさか……。サティはエーティンの生まれ変わり? だから春の妖精の気配がした?)
今までサティの育った場所のことも含めて、彼女の事情をあまり見ていなかった。もっと目を凝らしていればサティがなぜあの施設に居たのか、どう思って貴族の養子になったのかわかっていたのに、俺は些末なことだと軽視していた。
その結果がこれだ。
生涯の番と思った相手は、ミデルの探し求めていたエーティンの生まれ変わりだった。そしてあの暑苦しい愛情を注ぐミデル相手では、俺に勝ち目はない。
(サティ)
気の遠くなるような時を待ち望み、たった一人の思い人だけを愛する。
ミデルがサティを愛するのなら――。
俺の初恋はあっさりと砕け散った。
***
妖精の国に戻ってきてもサティのことが頭から離れなくて、本のページが進まない。
静かすぎる部屋。暖炉の火の温もりよりも心地よいものを知ってしまったせいか、体が冷えてしょうが無い。
『モフモフ! 見てみて焼きイモを焼くために必要なアルミホイルがやっと完成したの!』
賑やかだった声が酷く懐かしい。
「アルバート様、失恋して落ち込んでいるのは分かりますが、いつまでも引きずるようなら一度、そのサティ様と縁談をしてみて、綺麗さっぱり振られたほうが踏ん切りが付くと思いますよ」
「……ミデルは正直好きでは無いが、それでも妻に対してだけでは溺愛していた。サティも幸せなのなら」
「幸せでなかったら?」
「なに?」
ふとシルエの顔を向けると、その手には分厚い束の報告書が目に入った。
「ミデル様はサティ様だから求婚を申し込みした訳では無く、エーティン様の生まれ変わりであり、エーティン様の魂と記憶を蘇らせるための器として選んだに過ぎないようです。その証拠に、どうにかしてエーティン様の記憶が戻ってくるよう、サティ様の意見は希望を聞かないとか」
「は?」
「さらにサティ様と同じ施設で育ったトリアという娘は、ミデル様に懸想しているようで、サティ様に八つ当たりだけではなく嫌がらせを――」
「ふざけるな。サティが幸せになると思ったから、俺は身を引いたんだ。それなのに――」
「一度、サティ様の現状を見て、それからでも動くのは有りだと思います。妖精は気に入った者に対して掠奪婚も罪になりませんし、私としては『よっしゃイッタレ!』と全力で応援致します」
シルエは分厚い書類を俺に差し出すと、サティの現状が細かに書かれていた。その中で「モフモフ」と黒い獣を懐かしんでいるとも報告があったのを見たら、我慢できなかった。
人間の国で顔色の悪いサティを見つけた時、力一杯抱きしめて連れ出したいという衝動に駆られた。
「サティ!」
サティに手を伸ばした瞬間、背中に痛みが走る。
振り返って見るとそこには、杭のようなものが背中に食い込んでいた。すぐさま魔法円が展開して、杭そのものは消えたが、代わりに呪いに似た紋様が浮かび上がる。
「がはっ……これは……」
「これは、これは……クククッ」
油断していたとはいえ、気配が全くなかった。漆黒のフードで顔を覆った男は不気味な笑みを浮かべて俺から素早く離れた。あと一歩でもタイミングが遅れていたら首を飛ばしていたのだが、勘も良いようだ。
(いや、今この男、空間いや時を止めなかったか?)
人間に時魔法を使う者はいない。太古の昔に居たが、観測者として別の空間に幽閉されたはずだ。あまりにも危険な魔法を持ち、危険な思想を持った一族。
(何故ここに!?)
「ククッ、危ない。危ない。まさかあの術式を撃った後で反撃をするとは……。ああ、上位妖精だから耐性が多少あるみたいですね」
「それは禁術だったはずだ。遙か昔に禁止された術式をなぜ、いやそもそも――お前は、なんだ?」
「私ですか? ミデル王専属の精霊魔術師ですよ。悪夢に誘う毒でも良かったのですが、どちらかというと幸福な夢を見続けたまま死ぬほうがいいでしょう」
ぐだぐだと説明をしている男の話が長いせいか、意識が飛びかける。視界が歪み、目を開けていることすらできない。
(サティ……)
転移魔法で飛んだが、その後の記憶は朧気だった。
ただまた自分が失敗したこと、そしてあの男が予想以上に厄介な存在だと改める。あれは恐らくただの術師、いや人間は――ない。
自分の屋敷に戻った瞬間、限界が来た。
その場で倒れ、うずくまる。何とも情けない。
「アルバート様!?」
(サティ……すぐに、迎えに……)
微睡みの中で、彼女が困った顔で微笑んだような――そんな気がした。