第8話 冬の妖精王、アルバートの視点1
季節が狂いだしたのは、いつ頃からだったか。
騒がしい風で眼が覚めた。
襲撃かと思うような風に、重い瞼を無理やり開いて起き上がる。冬は眷族以外の妖精たちは眠っているので静かだが、その分春と夏と秋は賑やかだったはずだ。少なくとも季節が狂いだす前はそうだった。
丘の上にある石造りの屋敷から自分の領地を眺めるのが好きだった。庭園は様々な花の精霊や妖精が住み着き、山々から流れる地下水はひんやりと心地よい。
領地には幾つかの森があり、その殆どは鬱蒼と生い茂る森は生命に満ち溢れ、精霊、妖精、幻獣、竜と様々な種族が暮らしている。特に大地の精霊は、冬の間でも自由に空を飛びまわるので、数少ない話し相手だ。もっともオレは殆ど聞き役だったが。
冬の眷族は数が少ない。その中でも冬の調停者として俺の配下である隻眼のシルエは俺の腹心であり、屋敷の執事超でもあった。
外見は十代の青年に見えるが、数百年以上生きている。
灰色の前髪で顔半分を覆って片目の傷を隠している。黒を基調とした執事服に身を包み常に手袋をしていた。それは俺も同じで、冬の高位妖精は冷気が手先から漏れやすいため常に手袋をしている。
「アルバート様。外見だけでも怖く見られてしまうのですから、せめて一人称だけでも『私』に変えてみてはいかがですか?」
地下室にある書庫に来るなり唐突に提案してきた。負担なら本に集中して無視をするのだが、今日に限っては白い花アリッサムやシクラメンやクリスマスローズ、フクジュソウ、ノースポールの花の精霊たちも賛同する。
「私もそう思うわ。王は威圧感が凄まじいもの」
「ねー」
「もっと愛想よくしなくちゃ」
「……なぜそんな面倒なことをしなければならない?」
少し声を低くするだけで、みな怯えた顔を見せる。花の精霊も例外ではない。シルエは懸命に言葉を紡ぐ。
「番を得る為でございます。そうすればきっとこの領土も、そしてアルバート様も……」
「そうです。いつか相応しい方にまで怯えさせぬためにも、言葉遣いを少し和らげるように……」
「俺に現れると思うのか」
そんな奇特な存在は現れる筈はない。冬と死を司る妖精王の番など誰が望むというのか。俺を恐れるモノしかいないというのに、番など現れる筈もない。
俺は自分の役割を繰り返せばいい、そう思って疑わなかった。
***
妖精はそれぞれの役割を担う。家事妖精と、コボルトたちは屋敷内を清潔に保とうとせっせと働き、ドラゴンの群れは長旅だった羽根を休め、穏やかに朽ちる場所にこの地を選ぶ。
ドラゴンの最期は森や土に還る。ユニコーンは角が取れると、死期が近いという。安らかに次の命へと繋いで眠りにつく。穏やかに世界と溶け合い巡る。
ここはそういった終わりであり、万物へと巡るための地。
俺の領土は春と夏が短く、秋と少し長い冬で領地を白く染め上げる。そして自身の役割は冬を管理すること。冬と死を司る妖精王だ。
春と夏と秋はさまざまな妖精と幻獣が住んでいた。ドラゴンやユニコーン、巨人族、美しい緑の佳人、森の守り手、屋敷の世話をする家事精霊、丘の防人の任にあたる妖精の護衛役たちの祝福によって季節が巡る。なにも変わらない──そう思っていた。
しかしそれは唐突に、季節が狂い出した。
この領土に春がこなくなり、夏もなくなった。幽世の均衡が崩れたと、他の妖精王たちが《会議の間》で呟いていたのを覚えている。
新たな春の妖精女王が生まれなかったのもあったのだろう。春の妖精の眷族たちも力が弱まり眠りについてしまった。
俺はどこか他人事のように、その光景を眺めていた。
その後、王の中の王であるオベロンや丘の妖精王たるミデルは素早く行動を起こしたと耳にする。他の王たちも動いていた。それなのに俺は──ただ傍観していた。
冬と死を司る以外、何の力もない。《世界樹の種》を生み出すことは可能でも、そこから芽吹かせることはできないのだ。
なにが足りないのだろう。
その方法をオレは知らない。終らせることしか出来ぬ俺が、命を芽吹かせることなど出来るはずもない。時間だけが無意味に流れていく。
季節が狂い、森にケガレが蔓延し始めた。
精霊や妖精、幻獣はこの地を離れ、秋とは名ばかりの枯れゆく景色が続いた。
「春が来ない……。このままでは……」
そう思ってもどうすればいいのか、俺にはわからない。
「花がなぜ……。何がいけないのだ?」
『もし、私で手伝えることがあるのなら、花や土いじり……サツマイモ畑……に関わることがしたい』
それは春風に似た優しい言葉だった。
春の妖精を思わせる温かい魂。
「君は春の妖精女王なのか?」
返事は無かった。けれど、妙にその魂が気になって、惹かれた。
絶望の中で、それでも前向きであろうとする、その逞しさや楽観的な考えが自分とは違ったからかもしれない。
そう遠くない未来ケガレがこの丘を飲み込むだろう。ここの屋敷に花を咲かせていた花の精霊たちも、もういない。
最後まで残っているのはシルエだけ。それでもまだ間に合うのなら――。
「人の国に出向く? 本当ですか、アルバート様! やっと番を探しに出てくれるのですね! よかったです! 最悪引きずってでも社交界に出そうかと思っていたところなのですよ!」
シルエはサラッととんでもないことを言っていたが、強制でない分良かったと思うべきなのかもしれない。
そうやって人の国に訪れるはずだったのだが、妖精王オベロンが「こっちのほうが人間の本質を見抜くには都合が良いんだよ」とか言いだし、俺を子犬の姿に変えやがった。
オベロンからすれば人慣れしていない俺のことを思って、社交界の雰囲気を見せておきたかったのだろう。子犬ならダンスやら面倒な会話に加わらなくてよかった。
オベロンは少年の姿で常に令嬢たちと楽しそうに会話をしていた。子犬の姿で肩に乗っているだけなのだが、貴族令嬢たちの獲物を狩るような視線は正直恐怖でしか無い。
国の礼儀作法は完璧なのかもしれないが、その心根がどうにも苦手だった。夏や秋の賑やかな雰囲気が好きな妖精は特殊な性癖が多いので、魂が穢れているほうが好みという。
よく周りを見渡せば夏の妖精しかいない。
「秋は芸術肌だからね、社交界よりもお茶会を好む。春と冬は無関心かのほほんとしているから、こんな所に連れて行けば餌食になりかねない……だから僕としては春と冬の妖精には、縁談という形で僕がセッティングをしているのさ」
『なるほど』
シャンパンを片手にオベロンはいろいろ考えていることを語った。俺に声をかけてくるときは妻のティターニアと喧嘩して追い出されたとか、浮気したとかで匿うことが多かったので、王らしいことをしっかりしているのだと少し見直した。
それから何度か、人間の国の社交界やお茶会の雰囲気を体験して慣れた頃――転移魔法の座標軸を誤ったのか、あるいは引き寄せられたのか《白の妖創塔》の暖炉にいた。
全身煤だらけでなんとか抜け出したが、この場所は特殊なのか本来の姿に戻ることも、上手く力を使うこともできなかった。
そこで俺を助けたのは、サティだった。
くすんだ翡翠色の髪に、雪のように真っ白な肌、透き通る瞳と目が合った瞬間、心臓が酷い音を立てた。
「モフモフ!」
ギュッと抱きしめられた時、その温かさに涙が零れた。
(ああ、俺を呼んだのは君だったのか……)