第5話 プロポーズは空気を読んで
「サティ・フォン・クワールツ嬢、私と一曲踊って頂けませんか?」
「!」
長身で、すらっとした体躯に燕尾服が似合う殿方で、なにより溢れんばかりの色気。淡いエメラルドグリーンの長い髪、彫刻のような整った顔立ち、外見だけなら十代後半のエルフ族の美男子に近いのかもしれない。しかしエルフと異なるのは背中の羽根だ。
若草色の美しい蝶の羽根が広がる。大人の魅力満載の――どう考えても王の称号を持つ妖精貴族にしか見えない。
「(いや、まだ違う可能性だってある!)あの……お名前を伺っても?」
「これは失礼。妖精貴族では公爵、妖精国では夏を司る王、ミデルと申します」
(トリア姉様が狙っていた公爵!?)
私としては妖精貴族に嫁いでも、土いじりやある程度の自由はほしい。もういっそ契約結婚で、互いのプライベートに無関心のほうが気楽だと思った。だからこそ先ほどの少年の提案を受け入れたのだ。
(公爵ってことは、いや王ってことは外聞も大事よね……)
知名度の高すぎる妖精貴族に嫁げば、何かと社交界や、それらしい役割を求められる気がする。
土いじりや畑仕事など夢のまた夢。
お茶会に、甘ったるいケーキ、会話は恋愛や宝石、ドレスのことばかり──私には向いていない。
寄りにもよって大物を釣り上げたことに衝撃を受けた。
(全力で断りたい! というか視界にトリア姉様の姿が見える。般若の如くこちらを睨んでいるのだけれど! 断っても地獄、断らなくても地獄!)
「サティ・フォン・クワールツ嬢?」
「(ああー、もう! こうなったらままよ!)はい。喜んで」
淑女らしく張り付けた笑みを浮かべ、差し出された手を取る。
その瞬間、令嬢たちの悲鳴が後ろから聞こえ、ミデル公爵を狙っていた令嬢たちから刺すような視線が痛いほど向けられた。
痛い、痛すぎる。
なに、この地獄。張り付けた笑みが崩れそうです。ああ、このまま逃げ出したい。モフモフにギュッてして撫で回して癒されたい。
(モフモフはいずこ……)
「やっと見つけることができた」
ぽそっと呟いた声は、切実な吐息と共に放たれた。
どういう意味なのか分からず、聞き返そうとした瞬間。
「!?」
それは単なる情報と異なり、衝撃にも近い感情と映像が脳裏に蘇る。
淡いエメラルドグリーンの長い髪、美しい美丈夫が愛を囁く。
穏やかに微笑み、花々が次々と祝福するように咲き誇る。春を引き寄せるかのように周囲は花畑で溢れた。
幸福で満たされていた。
けれど、翳りは瞬きの間にやってきた。
(……なに……これ……?)
鮮明に過る映像に、胸がざわめく。
幸福だった──けれど花の楽園を追放され、荒れ狂う海の中へと落とされた。
漆黒のローブに身を包んだ誰かが──突き落とした。
手を伸ばしても美丈夫が助けに来ることは無い。「ずっと一緒にいよう。そう約束をしていたのに」──叶わない。
(今の……は……)
「ああ、やっぱり。キミが彼女の記憶を受け継いだんだね」
「?」
ミデル公爵が何か呟いたが、上手く聞き取れなかった。
どうして追い出されたのか、悲しい思いが私の内から溢れ出て、その衝撃にステップが狂ってしまう。
(あ……!)
「大丈夫です」
「!」
そのまま転びそうになった私をミデル公爵は支えて、見事ダンスのパフォーマンスに昇華させた。不可抗力だったのだが、私とミデル公爵のダンスに拍手喝采が増す度に「違うんです、事故です」と声を大にして言いたかった。
時すでに遅し。
令嬢たちからの悲鳴、殺意のこもった視線が突き刺さる。射殺されかねない。
(にしても、さっき流れ込んできた映像は、私の記憶じゃない……。これは……誰かの記憶?)
複雑な感情が私の中で蠢く。
その思いは一体なんなのだろう。
それともミデル公爵の感情が流れ込んで来ただろうか。だとすれば「なぜ?」と言う疑問が浮上する。
長く感じたダンスも終わり、手を放して一礼しようとした直前。
彼は私の手を掴み直した。
「え?」
「サティ、どうか私の妻になってほしい」
「!?」
初対面かつとんでもないタイミングでの求婚。
恋する乙女なら憧れるシーンかもしれないが、私としては全く嬉しくない展開だった。だって、これ死亡フラグじゃん。
もうトリア姉さんなんて鬼の形相で私を睨んでいるではないか。とにもかくにも、ここで頷かなければミデル王の顔に泥を塗るようなものだ。そうなればクワールツ家としての評判はガタ落ち。
姉以外にもミデル公爵を狙っている令嬢たちからの視線が痛い。
今日生きて帰れるかな、と私は思案を巡らせる。こんな時、生き残りつつ、返事を先延ばし似する方法――。
(うん、未来の自分、ガンバ☆)
それはザ・気絶による先送り。
突然のことに気を失った。これなら今すぐ返事をしなくても問題ない。そしてきっとミデル公爵なら倒れる私を抱き留めてくれるだろう。
うん。紳士だというのを信じている。そんな訳でなんとか死亡フラグをギリギリで躱したと思ったのだが、甘かったと後で私は知ることになるのだった。