第16話 死の森と追っ手と黒衣の騎士
森の奥に進むとヒソヒソ声が聞こえてきた。
(妖精? ううん……この魔力の塊は精霊だわ)
精霊は妖精と異なり、万物のあふれる魔力から形を得ているようなもので、人間界では台風や火山のような災害、恩恵をもたらす神として、崇められているのも精霊の部類に入る。
それゆえ『精霊との約束や対応は、妖精よりも慎重に対応するべき』と書物の一節に書かれていた。昔、本を読んでおいてよかった。
『そっちは死の森。危険だけれど大丈夫ですぅ?』
「ん?」
ふいに声をかけられて、心臓が飛び出しかけた。
「し、死の森?」
慌てて振り返りかえるものの、そこには誰もいない。気のせいだろうか、そう思った瞬間。
『そっち違う。こっち。目の付け所が違います』
「!?」
『元気です? みんな元気ない、悲しいですねぇ』
『笑い声がないない。死の森、危険、死んでしまうですです』
声は私の足元から聞こえてきた。視線を落とすと、セントジョーンズワート、別名セイヨウオトギリという星型の黄色い花の上に、精霊がいた。
(か、かわいい!)
背中には鳥の翼を持ち、顔と上半身は人の形に近く、下半身は鷲の足と、率直に言って可愛い。精霊図鑑を熟読した私にはわかる。
この子たちの特徴を見るに大気の精霊だ。愛らしいのだが、話していた内容はだいぶ物騒だったような。
「死の森? この先はノックマの丘に繋がる森だと思っていたのですが……?」
『合っているです。でも、今は危ないかも? かも? かももも??』
『この草、太陽みたいにキラキラしているですよ。食べられる?』
『オトギリソウ、首切りです? 危険? デンジャラスですです』
途中からセントジョーンズワート草の話にすり替わっているのは、突っ込んだ方がいいのか。しかし「危険」とワードがどうも気になる。
「どの道なら安全か分かる?」
『あっちですぅ。ひゃくぱーあっち!』
『ノンノン、こっちです! ごじゅっぱーせんとこっち!』
『そっちですです! たぶん、きっと、ぜったい?』
「どっち!?」
思わず声を荒げて突っ込んでしまった。大地の精霊は私の反応が気に入ったのか、いっぺんに喋り出して止まらない。
(どうしよう。話が進まない……)
なんだか肩の力が抜けたような気分になる。そこで自分がどれだけ緊張していたのかがわかった。思えば妖精都市に寄った時も、食事や水分補給などしていなかったことを思い出す。
「(だから喉の調子が……)痛っ!?」
喉に痛みが走る。
私は立っていることが出来ず、その場に蹲って動けない。トリア姉様の時とは異なり、何かに締めつけられるような痛みに、呼吸が上手くできない。
これは本当にまずい──。
「あがっ……」
『あわわ、強い魔力を感じるぅう』
(魔力!?)
『ゲームオーバー、あわわわ、僕はどうすれば? 苦しい、辛いですぅ? ですよね!』
『助け必要です? 助け呼びに行きますですです』
大地の精霊たちの声が遠のき、別の声が頭の中に響く。
『まさか妖精の国まで逃走しているとは……。どんな魔法を使ったのか──早く捕まえて実験したいものだ』
「!」
ゾッとするような低い声を聞いた瞬間、『この声に抗うな』と警告音を鳴らし、頭が割れるように痛い。逃亡した私をモルモット扱いするのは──誰?
『……ふうん。場所はノックマの丘の方か。逃げ切れるとは思えないが、念のために猟犬を放つとしよう。いや、これでは縊り殺してしまうな……。殺すのはまずいが、足がなくなるぐらいならいいか』
(猟犬……!)
『精霊魔術師レムルの名において命ずる。十三番目、お前はこれ以上は動くな』
「!」
声の主が私を産みだした精霊魔術師レムルだと理解するのに、数秒もかからなかった。安堵した瞬間にまさかの展開。
(ここまで来たのに……っ)
賑やかだった大地の精霊たちの姿はない。ここが危険になると察したのだろう。賢明な判断だ。
(私も、ここからにげ……なきゃ……)
複製体である以上、創造主の命令は絶対。首の痛みは精霊魔術師レムルの命令を拒絶しているから、起こっているのだろう。
それだけじゃない。体に力が入らないし、思考も鈍い。
それでもここから逃げなければ、私に明日はないのだ。創造主だろうと、私は前世での記憶があり「私は私だ」と再認識することで、拘束された感覚が消えていく。
よろめきながらも歩道ではなく、森の獣道へと足を進めた。
***
それからの記憶は朧気で、現実味がなかった。
突風のような速さで、豹のような獣が肉迫し──襲いかかる。
すぐに「これが追手だ」と直感で分かった。獣の四肢には、ルーン文字の魔法が付与されて強化されていた。
「きゃっ!」
一度目は反射的に体が動いて倒れたおかげで、回避できた。しかしこのラッキーが気に障ったのか、獣は身が縮むような咆哮を上げて、突っ込んでくる。直撃したら確実に即死だ。
(ああ! こうなったら一か八か)
魔力暴走とか、肉体の負荷とか考えている場合じゃない。元々ある大量の魔力を使って、指先で稲妻のような紋様を描く。術式込みなら肉体への負荷も減らせる──はず。
「太陽!」
「ギャウ!?」
私の書き出した紋様が金色の火の玉となり、獣にぶつかる。
轟ッ、と凄まじい劫火に獣は怯んだ。
(お、思ったよりもすごい!)
忘れていたが、ここは妖精の国。周囲に魔力が満ちていたのもあり、獣を牽制させるには十分だった。しかし魔法を使うと喉の痛みが増した。
(攻撃も反逆行為と見なされている……って、わけね)
「太陽の盾!」
「ガルルルル」
炎の壁を作り上げたのち、脇目も振らず全力で森の奥へと逃げる。
冬の領地に入れば、そう自分を鼓舞して走った。
「はぁ、はぁ……」
どれくらい走っただろうか。
体から体温を失っていき、指先の感覚は失いつつあった。
寒くて、痛くて、それでもここで足を止めれば文字通り、私の人生が終わる。
雨も降って来たせいでさらに視界も悪くなり、方向感覚が狂わされ──ここがどこなのか考える余裕もない。
「きゃっ……」
足場が悪く地面がぬかるんでいたせいか、盛大に転倒してしまった。足の踏ん張りもきかなくなっていて、限界だった。
私にはシンデレラ・ストーリーなど無いのだろう。苦労をしても足掻いても、救われるとは限らないのだから。
(喉が焼けるように痛い。もう……これ以上、魔法は……)
獣の足音は迷いなく、私に向かって突っ込んできた。押し倒され、痛みが走る。
「痛っ」
獣が私の体に馬乗りになって、大きな牙が迫った。これは回避──できそうにない。
(モフモフ……最後に会いたかったな)
轟ッ!
吹き抜ける不可視の刃が、一瞬で獣を切り裂いた。断末魔を上げる暇もなく、肉塊になった獣は地面に転がった。
(……え?)
馬の嘶きと同時に、「ふう」と溜息を漏らす声が聞こえた。ゆっくりと視線を向けた先には、漆黒の──死そのものが立っている。
(黒衣の……騎士?)
濡れ烏色の外套を纏い黒く艶やかな長い髪、造形の整った顔立ち、白い肌、琥珀色の双眸──外見は二十代後半だろうか。
威厳に満ちた態度と、氷のように凍てついた表情の男が黒馬に乗って私を見下ろしていた。
それは「白馬の王子様」といよりは死神という表現が正しいだろう。彼は手綱を引くと馬に乗ったまま、私の近くに歩み寄った。そしてその影から黒い獣が姿を見せる。
それは既視感があり──石榴色の六つの瞳を見た瞬間、目を疑った。
「モフモフ!」
「ワフ!」
私に抱きつく黒い獣によって倒れるが気にしない。モフモフの手触りに頬をすり寄せる。
夢じゃない。
その温もりに心から安堵する。
「サティ……俺、いや私は──」
(そういえば、この人は……?)
視線を上げようとして、視界が暗転していることに「あれ?」と、呟いて──そこで記憶がブツリと途切れた。