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第二十話

 アルヴィアが身につけている装飾は全て竜王から贈られたものだ。その中のひとつ、コスティアで贈られた青藍と金が重なった瑠璃の耳飾り。石牢の中でも光るそれをアルヴィアは外し、竜王から教えられた誓言を唱える。


「――……」


 耳飾りから光が失われる。本来であれば竜王に場所を伝えることもできるが、アルヴィアは意図を持ってその機能を消した。


(心のままに振る舞ったといえば、タウメは泣くかしら)


 食事すら満足に届けられるか見通せぬなか、アルヴィアは自ら望みを絶った。


(飢え死には苦しいでしょうか)


 皇女として生まれ、妃として竜域に迎えられたアルヴィアは飢えを感じたことがない。絵物語や歴史書、ミズチの授業。理解した気分だけが積み重なった張りぼての追憶のみが蓄積されている。


(苦しければいい。正気など消えてしまえ)


 のたうち回り、己の心の醜さと同じだけ見てくれもおぞましいものに変わってしまいたい。牢の中でアルヴィアは一心に願った。




 番の失踪を侍女に報告され、王は竜域の全土に意識を張り巡らせた。結界を破ったものはおらず、門を抜けた記録も無い。であれば必然、番の身柄は竜域に留まっているという判断のためだ。


「アルヴィアは真珠の洞にいる」


 十も数えぬ内に竜王は番の居場所を割り出す。表情が失せているせいか、どこか茫洋としている。


「では、道をつなげます」


 タウメがすかさず転移の術を整えようとするのを竜王が制した。


「彼女は自分の意思で耳飾りを外した」


 竜王は常に番の心を優先してきた。不自由を強い続けたこともあり、罪滅ぼしの意もあった。

 学を与えた。無知故の盲信で視野を狭めてほしくは無かった。

 名を教えた。瞬きの百年を秘め事を抱えたまま過ごしたくは無かった。

 友は番自らが獲得した。運命がねじ曲げられるよりも前、アルヴィア自身が勝ち得た友だ。

 愛は心がけるまでも無く心の内からあふれ出した。

 人の寿命はあまりにも短い。だが、それは同時に救いでもあった。


「限りがあるなら、あの子を逃がしてやれると思ったんだ」


 一度きりの生を終え、肉の身体を捨て、魂のくびきから解き放たれるまでアルヴィアに真の自由は訪れない。

 そのような考えに竜王は常々支配されていた。


「おれはあの子に本当の意味での自由を与えられない」


 竜は奪うことしかできない。いくら長じようと本質は変わらない。異端の竜とされてきたセイケイですら心を得てからは無欲を装うことすら不可能だった。


「選択を、尊重しなければ。意思を妨げてはならない。望むままに、思うままに。彼女の心の赴くままに」


 青い鱗が、波打つように肌の表層に浮かび上がっては消えていく。白い牙がやわい口腔内を切り裂き薄く開かれた口から生血がしたたり落ちる。青藍の髪は両の手でかき回され乱れきっている。


「では、姫がお隠れになるまでそうしていますか」


 眼鏡を手巾で拭いながらミズチが尋ねる。


「姫君の姿が見えなくなったのが四半刻前。連れ去った衛士の意図は分かりませんが、危害を加えられない保証はありません。そしてあの洞は数千年の時が経とうと竜気が濃い。影響を受けぬとは断言できません」


 開けた場所であればアルヴィアのように毛髪の色が変わる程度の変化に留まるが空気の通りの悪い場所で竜気を吸い続ければその変調は精神に表れる。

 思考の麻痺、倦怠感、幻覚。苦しみを伴うものではないが軽視できるものでもない。


「睡眠と水さえあれば人間も早晩どうにかなるわけではありませんが、竜気に侵されればその限りでも無し。陛下であれば姫君の命の灯火も感知できるでしょう」


「ミズチ」


 言葉が過ぎる側近をタウメが目で制し、嘆息の後続けた。


「物言いはともかくとして、こやつは間違いは申しておりませぬ。どうか、再考を」


 人の寿命が短いことはタウメも承知しているが、これではあまりにやりきれない。

 詰め寄ろうとするタウメを今まで静かだったシラハナが押しとどめた。


「二人とも落ち着きなさい。番同士の話です。われらが容喙できることでもありません」


 言葉と共に三人の姿が消える。タウメほどでは無いがシラハナも転移術を使うことは可能だ。

 部屋には竜王ただ一人が残された。




 竜宮の一角から布の裂かれる音が絶えず聞こえる。織布、綿詰め、寝台の天蓋。そのすべてが狐の爪で見るも無残な姿に変わっていく。

 部屋を下がったタウメは己の居室で憤りをぶつけていた。

 許せるはずもない。あの小さき子が苦しんでいるというのに、タウメは手出しを許されていない。法術で跳ぼうとも、先ほどシラハナに細工をされたのか些細な術ですら使えない。

 番という仕組みをタウメは忌まわしく感じている。世のすべての理屈がこの言葉の前では無に帰してしまう不条理が受け入れられなかった。ただ、自ずからの心で愛し慈しむ。それだけの望みが何故叶えられない。

 怒りを燻らせていれば、耳障りな音を上げて居室の扉が開かれた。


「外にまで気が漏れていたぞ。並の亜人ではまともに意識も持っていられない。抑えろ」


 不躾極まりない闖入者をタウメは灰色の目で睨み付けた。


「妾だけではない。陛下も似たようなことになっておるだろう。そちらから抑えよ」


「馬鹿を言うな。あんなもの浴びて無事で済むのは同族か番だけだ」


 その言葉にまたタウメの心がささくれ立つ。番、番、番。それのなにが特別だというのだ。結局は呪いと変わりはしない。


「そもそもお前は何故、番という概念にそこまで拒否を示す? 一目惚れ、遺伝子の相性など似たようなものはあるだろう」


 ミズチからの言葉にタウメはさらに顔をしかめた。


「結局はお前が一番、「番」というものに縛られているのではないか」


(本当にこの男は、妾の尾を踏みつける)


 五百年前から何一つ変わらぬ朱色(あけいろ)の瞳は彫りの深い眼窩に収まっている。


「ふん、お主には関わりのないこと。疾く失せよ」


 言葉とともに神通力でミズチが部屋の外に飛ばされる。法術のように応用が利かないので、普段使われることは少ないが精霊に近いタウメはこのような芸当も可能だった。

 扉だけは己の手で閉め切り、最後に忌々し気に言葉を落とした。


「お前もどうせ、番を得る」


 シラハナからミズチの母まで三代。彼の一族は番を探し当て結ばれてきた。

 幼きあの日、番に焦がれていた己を心の深くに沈めながらタウメは願う。

番など現れるな。己以外の何物にも道行きを左右されてくれるな。

五百年目のあの日からタウメは動けないままだ。


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