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第十七話

 コスティアから帰った翌日、アルヴィアは常の通りミズチの授業を受けていた。

 竜域の外に訪れたことが刺激になり、一層勉学に身が入る心地だった。


「竜域を囲む結界については以上です。……質問などありましょうか」


 授業に対する質問を求めるミズチにアルヴィアが確認を兼ねた閑話を始めた。


「結界の術そのものは陛下の法力に左右されるものではないのですね」


「ええ。術を作られたのは竜王ですが、維持には竜域の地脈から引いた力を用いております。我ら亜人は法術の扱いに長けますが、それは竜域の地脈からの援あってのものです」


「では、人界で法術を使うことは?」


「人界にも地脈は存在しますので、場所を選べば充分使用ができます。とはいえ慣れぬ場所での法術の行使は出力が安定しません」


 言葉と共にミズチは紙を取り出し、井戸と海星の綿詰めにしか見えない図を描き出す。


「この井戸を地脈と思ってください。慣れた井戸であればどの程度紐を垂らせば丁度良い量の水がくめるかが感覚的に分かります」


 海星が井戸を使う図を見て、どうやらこの海星が人であるらしいことにアルヴィアは思い至った。


「また、井戸から蒸発した水……地脈から大気に放出される法力も術に使えます。竜域は結界で囲まれていますので、大気中の法力が逃げにくいのです」


 井戸の方は実に写実的で明瞭なのだが、人と思われる方は描く際に無駄な力が入るのか線が震え妙にずんぐりむっくりとした根菜のような風情を醸し出している。


(指摘するべきでは無いわね)


 今までの授業でミズチが地図や史跡などを図示することはあったが、人物画は用意されたものを差し出してくるだけであったのを思い出した。


(恐らくあれは、シラハナが描いたものだったのね)


 写真と見紛うばかりの人物画に思いを馳せながら、アルヴィアは気を落ち着けた。手元の紙に太ましい海星が増えていく様子は見ないふりをして。




「少し時間が余りましたね。姫の理解が早くて助かります。茶でも淹れましょうか」


 場を整えようとするミズチにアルヴィアが声を重ねる。


「では先日の恋の話ですが」


「…………」


「黙っていても続けますわ」


 譲歩する様子の無いアルヴィアに嘆息を落とし、ミズチが口を開く。


「……この関係を打破してまで実りがあるとは思えません」


「あなたが臆病なのは構わないのですが、タウメに恋人ができたとして耐えられます?」


 タウメは常日頃より恋の話を好み、異性に対する憧れもある。恋人がいたことは無いが、年若い亜人としては珍しいことでは無い。


「……そういえば三日前。あなたがお客様の応対をしていた時分、法術士があの子の手を握りましたわ」


 アルヴィアの言葉にミズチが形相を変える。丸くしていた瞳孔は縦に細まり、薄く開いた口からのぞく舌は二叉に裂ける。形の良かった耳殻が消え穴に通していたピアスが床に落ちた。


「嘘です。いえ、正しくは法術士はタウメのお祖父さまです。近くに寄ったので顔を出されたそうですわ」


 凶相とも言える有様のミズチを気に留めずにアルヴィアは続けた。


「仮定の話でその有様なら、真にその兆しが見えたらどうなってしまうのでしょうね」


 息を整え人化を安定させようとする男を睥睨する齢十四の少女は竜王の妃に相応しい高慢さを持っていた。


「何が望みですか」


 ミズチとアルヴィアの間に深い交友は無い。背の君の側近、主人の妃。いくら会話を重ねても互いに心を開く気がなければ言葉は事実の確認にすぎない。


「いえ。ただ恋の話を聞かせていただきたいだけです」


「……は?」


 再度、ミズチの口から間の抜けた声が出る。


「宮に籠もっていると、どうしてもその手の話は聞けませんから」


 竜宮には衛士、女官、法術士などが勤めているが彼らは一様に番を持たぬ身だ。

 番を持てばその者のためだけに生きるのが亜人の常なので、竜王に仕えているのは恋知らぬ若人のみである。


「タウメは恋に対する憧れはありますが、あなたが衛士との接触すらできぬように調整していますし、シラハナには笑顔で躱されてしまいますので……一番活きの良さそうな話を提供してくれる人物を選んでみました」


 たおやかに、春に咲く花を思わせる笑みをアルヴィアは湛える。その様がミズチにはある人物を想起させてならなかった。


「以前、タウメを手本にすると仰いませんでしたか?」


「もちろん参考にしておりますが、学べると思ったものは積極的に取り入れて参ります。ミズチはどうもこういった迫られ方に弱いようですし」


 アルヴィアが観察する限り、ミズチはシラハナに強く出ることができない様子だった。

 淑やかなようでいて己の主張を譲ることが無いのがシラハナという女だ。


「お聞きになられるくらいです。大体のところは察しているでしょう」


「そんなことないわ。私、十五にもならない小娘ですもの。数百年に渡る恋物語なんて、想像も付かないの」


アルヴィアは笑う。いとけない少女のように、不敵な女のように。

 遂に観念したのかミズチは緩慢と口を開いた。


「……俺はあの女に抱いている感情を恋と思ったことはありません」


 滔々と朗する声に淀みはなく、事実を告げるためだけにその口は動く。


「共にありたいわけでも、子を成したいわけでもないのです。ただあの女が損なわれることだけが耐えられない」


 身勝手な心を隠さず男は詳らかにしていく。恥じることも誇ることも無く、言葉を並べ立てる。


「美しい女です。伸びやかで、気ままで、情が深くも矜持の高い女です」


 凪いだ目のまま熱烈な告白をなす男をアルヴィアは退屈に眺めていた。


「それにしては、随分気安く接しておりましたね」


「あの程度であれが揺らぐことは有りませんから」


 話は終わりだとばかりにミズチは傍らに退けていた本をまとめ出す。


「ですが、何故なにゆえこのような話をご所望に? 姫と陛下の関係性の参考になるとは思えませんよ」


 竜王とアルヴィア、ミズチとタウメの境遇に似通うものは少ない。心を通わせようと言葉を尽くす竜と番、罵り合いながらも通じ合う一対。

 ミズチからすれば竜王と番は実に円満に仲を深めている。はじまりが竜王の乱心であったにもかかわらず、姫は慈悲を以て竜域に留まり恋を得て育てた。

 それゆえの疑問だった。なぜ、今更。

 ミズチの問いにアルヴィアは言葉を落とした。


「……あなたたちは永い時を生きていけるから」


 堰を切ったかのようにアルヴィアは語る。


「私があなたのことが分からないように、あなただって私のことは分からない」


 アルヴィアはいつ何時も笑みを浮かべていた。戸惑いも悲しみも憤りも全て笑顔によって表していた。


「姫?」


 優美な弓月をかたどる口許はいまや引き結ばれ、強張りを示すかのように震えていた。


「ずっと美しいまま、美しい恋を抱えて千歳ちとせを生きていける。あなたたちの在り様が私には毒なの」


 関わりが少ないからこそアルヴィアはミズチに話をせがんだ。

 アルヴィア個人に対する興味が薄いこの男であれば、いくら醜態を晒そうと障りが無いという判断だった。


「恋を教えてください。醜い恋を。たったの五年で醜く成り果てた私をなぐさめる話を差し出しなさい」


 帝国皇女らしい不遜さでアルヴィアは命じた。

 沈黙が場を統べるなか、人影が部屋に入り込んだ。


「いたずらに、己を言葉で傷付けるのはおやめなさい」


 開け放たれていた戸から、音も無くシラハナが割り入る。


「恋の話でしたら、わたくしに持ち合わせがございます」


 愛らしき唇から蠱惑的な声がこぼれる。瑞々しい音とは相反する古鐘の響きを携えて。


「良かった。姫のお望みの話を聞かせてあげましょうね」


 アルヴィアを胸に抱き、シラハナは微笑む。

 母性すら窺える振る舞いだったが、アルヴィアの狂乱を宥めるには至らなかった。


「……ねえ、シラハナ」


「いかがなされましたか、姫」


 シラハナの赤眼をアルヴィアの群青が見つめる。


「あなた、竜よね」


 理性での判断では無い。


「最初はハルのように、何か秀でるものが有って若年で竜宮に勤めているのかと思ったわ」


 直感で結論をつかみ取り、論拠を後付けで用意した言葉だった。


「でも、あなたは力そのものは私が会ったどの亜人よりも少なかった。なのに、纏う雰囲気は陛下に似ていて、周りもみんなあなたに傅いていた」


 静寂の深淵にも似た瞳がアルヴィアの激情を表白することはない。


「私、あなたの赤い眼が羨ましかった。色味が似ているのに、決して同じでは無い私の群青とは違う。あの人の対のような赤い眼が」


 五年の歳月はアルヴィアに破綻を抱かせた。

 慈悲を以て竜域に留まり、恋によって我欲を知り、日々の澱で信念は塗りつぶされた。

 前後の話との接続も怪しいアルヴィアの言葉もシラハナは耳を傾け聞いた。

 アルヴィアの発作が収まり、シラハナは抱擁をひとつ落として礼を取った。


「改めて挨拶申し上げますわ。今上竜王の姉、カガチでございます。――現在はシラハナと名乗らせていただいております。どうぞよしなに」


 瞬きの間に、童女が女に変わる。


「ミズチはわたくしの曾孫にあたりますわ」


 温かみの有った焦げ茶の髪は真白に。小さく愛らしかった矮躯はすらりと四肢が伸び、目線もアルヴィアと変わらぬものになったが、赤い瞳だけはそのままに穏やかな光を湛えている。


「それでは、愚かな竜の話をしましょうか」


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